北詩連の資格審査は支部単位で開催されます。ただ札幌は東西二支部になっていて、それぞれが年二回の審査会を開催します。受審資格のあるものはどこの支部の審査を受けても構わないことになっています。従って札幌在住の方は年四回の受審機会があるのです。
審査は初段、準二段、準三段、三段というように進み、10段で一般審査は終わります。そのあと吟匠、吟宗と続きます。吟宗を取得すると、申請して名誉師範の称号をいただくことができ、続けて福師範の審査も受けられるようになっています。指導者位の取得は8段終了後、本人の希望により副師範、師範の試験に挑戦することができるようになっています。
又一般審査では、70点以上の得点を取れますと、短縮合格ということで、次の審査が通常6ケ月の所3ケ月で受審できます。力のある方は忽ちにして指導者資格の挑戦権も獲得できるのです。また指導者にとっては、短縮合格者を出すことは名誉でもあります。
その資格審査会の受信者がどんどん減少しているのです。多かったときは100名を越す受審者がいたのですが、会員の減少、高齢化も進み、此の12月に開催される審査会は42名の受審者数になっています。
私の会、碌峭会は13年前に 象堂流から独立して、北詩連に加盟してきたのですが、これまで審査会に誰も出なかったということはありません。12月の審査にも3名参加させます。
審査の最後に審査員講評があります。その時になると一般の会員はほとんどいなく、先生方の方が多いように思われます。技術的なことをいろいろ話されているけれど、会員に浸透しているかといえば疑問です。教室で指導を受けていても、まだ身についていないとか、審査の雰囲気にまけてしまっている方もいるのです。聞いていてこれは生徒に話すより、先生方に話すことだと私には思います。失礼を覚悟でいえば、先生方の資質にも問題があるように思います。従って講評でおっしゃったことを師範会などを構成し、実力のある先生を講師にして実践的な研修を重ねることが大事じゃないかと思います。
コンダクターの普及で、細かいアクセントの指導が容易になっていますが、アクセントの問題より、吟声の確立が問題だと思う。全体的に技術的な節回しとかアクセントで変化をつけてアッピールしたりしているのが好成績につながっていて、細かい欠点があっても、詩吟としての格調を感じられる吟はもっと大切にしてあげたらと思ったりします。それと、先生は詩文とか、詩文にかかわる歴史とかをもっと勉強していく必要があると思います。詩吟の教室が知的に楽しさを感じられるものにしていきたいものです。
審査は初段、準二段、準三段、三段というように進み、10段で一般審査は終わります。そのあと吟匠、吟宗と続きます。吟宗を取得すると、申請して名誉師範の称号をいただくことができ、続けて福師範の審査も受けられるようになっています。指導者位の取得は8段終了後、本人の希望により副師範、師範の試験に挑戦することができるようになっています。
又一般審査では、70点以上の得点を取れますと、短縮合格ということで、次の審査が通常6ケ月の所3ケ月で受審できます。力のある方は忽ちにして指導者資格の挑戦権も獲得できるのです。また指導者にとっては、短縮合格者を出すことは名誉でもあります。
その資格審査会の受信者がどんどん減少しているのです。多かったときは100名を越す受審者がいたのですが、会員の減少、高齢化も進み、此の12月に開催される審査会は42名の受審者数になっています。
私の会、碌峭会は13年前に 象堂流から独立して、北詩連に加盟してきたのですが、これまで審査会に誰も出なかったということはありません。12月の審査にも3名参加させます。
審査の最後に審査員講評があります。その時になると一般の会員はほとんどいなく、先生方の方が多いように思われます。技術的なことをいろいろ話されているけれど、会員に浸透しているかといえば疑問です。教室で指導を受けていても、まだ身についていないとか、審査の雰囲気にまけてしまっている方もいるのです。聞いていてこれは生徒に話すより、先生方に話すことだと私には思います。失礼を覚悟でいえば、先生方の資質にも問題があるように思います。従って講評でおっしゃったことを師範会などを構成し、実力のある先生を講師にして実践的な研修を重ねることが大事じゃないかと思います。
コンダクターの普及で、細かいアクセントの指導が容易になっていますが、アクセントの問題より、吟声の確立が問題だと思う。全体的に技術的な節回しとかアクセントで変化をつけてアッピールしたりしているのが好成績につながっていて、細かい欠点があっても、詩吟としての格調を感じられる吟はもっと大切にしてあげたらと思ったりします。それと、先生は詩文とか、詩文にかかわる歴史とかをもっと勉強していく必要があると思います。詩吟の教室が知的に楽しさを感じられるものにしていきたいものです。