手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

碌峭会手稲   詩吟

2018-11-26 18:39:13 | 詩吟関係
  今日の教室は三階視聴覚室。堤さんが休みで5人の稽古となりました。内、三人が12月審査の受審者。審査前最後の稽古です。少し念入りに稽古しましたが、一日でいきなり上手になるものではありません。審査を受けるだけの力が付いているか、それもその段位に応じたもので、特別上手でなければならないということはありません。三人とも、それぞれ相応の力になっています。合格に問題はないと思います。

 吟じこむということがあります。下手でもよい。力を出しきって何回も吟じてみる。そのうちに吟力がついてゆきます。とかく指導者としての経験の浅い方は何もかも一気に詰め込もうとしたり、つまらないことで注意をしたり、いわば完璧な指導をしなければ指導者でないような気持ちになりがちです。その熱意はいいのですが、その個人の個性を考え、今何が必要なのかを見極めることが大切です。まず、吟じることの楽しさを感じさせることが大切でしょう。そのためには、やはり褒めてあげることが大切です。褒めるべきところを見つけて行かなければなりません。それも個人によって違いが出てきます。

 最近は吟法も多彩になり、いろいろな音楽的要素を取り入れて、素晴らしい吟がされています。これはこれでいいことですが、一定の技量に達した方たちが挑戦すれば、それなりの評価へつながりますが、むつかしいと思います。私の吟は最もシンプルかもしれません。シンプルでいいのです。詩文をしっかり理解し、その詩文を読む読み方が詩情を表現するものになっていることが大切だ。一文一文のイントネーションは詩文の理解の深さと関係する。シンプルであることは、一番詩吟の本質に迫っていることであり、小手先の技巧ではない深さがあるのです。

 今はお弟子さんも少なくなって、会の力が無くなっていますが、北詩連に入会して13年、その間、審査会に一人も受審者を出さなかったということはない。又 競吟大会でも、かなりの入賞者を出してきている。他の先生方に遜色のない指導になっていると思っている。

 1月の末に文化協会の70周年記念式開催される。その折に祝吟をしてほしいと頼まれました。受けないわけにはいきません。何を吟じようかと悩んでいます。
松竹梅などは、結婚式などの祝吟になります。石狩川あたりの方が格調が高いのでしょう。「清濁併せ呑む三百里」、文化協会のあり方を象徴していませんか。是なら今すぐにでもやれます。
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