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手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

上川村字東雲

2018-11-27 18:59:13 | 身辺雑記
  上川村字東雲(とううん・しののめ)、東雲を「しののめ」と呼ぶのか「とううん」と呼ぶのか判然としないまま、小学一年生から16年ほどこの地に住まった。一つのだから戸数は30軒足らずだったと思う。ただここに安足間発電所というす力発電所があり、発電所の社宅がひとまとまりで一棟二戸の住宅が六棟くらい建てられていた。この発電所の従業員はのエリートでした。

 上川村なのですが、鉄道の駅は安足間に近く、亦安足間の駅周辺は町になっていて、商店がいくつもありました。ですから買い物はもっぱら安足間まで行くことになっていました。安足間は愛別村に属していましたから、子供の交流はあまりなく、時折、口喧嘩などもしたりしたものでした。

 発電所は水力ですから、遠くから水路を戸を通り水槽という小高い山の上に建てられた建物の中に入り、日本の導水管を通ってターピンを回して発電をしていました。この岡が水槽の山といわれ、子供たちの格好の遊び場でした。特に冬はスキー場となり、その天辺から直滑降するのはたのしかった。

 数年前に小学校の閉校式があり、案内されて行ってきました。その時、「とううん」と呼ぶことに統一されていることを知りました。また、子供の時は凄く高い山のように思っていた、水槽の山は、小さな丘でしかないことに、何ともいえない懐かしさを感じました。

 小さなだけれど、当時はどこの家も子供は5~6人はいましたから、小学校は複式でしたけれど結構な人数だったのです。ちなみに私の学年は男女併せて14名だったと思います。

 こので石狩川と安足間川が合流、その合流点に発電所の放水路が流れ込み、石狩川は大河の趣になるのです。水はきれいで、ヤマメや雨鱒が良く釣れ、釣りのだいご味を私は此処で覚えた。

 古き良き昭和でした。「あんたろまから来いという・・・」百田宗次の詩が懐かしくよみがえる。
コメント
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