昭和19年7月、高等科2年 修学旅行 それが大雪山の登山だったのです。
私の小学校は、上川村字東雲で、此処から大雪山の登山口、愛山渓まで20K=5里なのです。終戦前の大変な時期ですから、汽車での旅行など出来る状態では有りませんでした。
それで、愛山渓1泊、層雲峡1泊の2泊3日での登山が修学旅行になったのです。
この時の、愛山渓で、朝見た大雪山の山肌の美しさは、身震いするほどだったし、それから何年か登山を続けるきっかけになった。
朝6時、愛山渓を出発、永山岳を経て石室を通り、その日の内に層雲峡まで下りて、層雲閣に一泊次の日銀河、流星の滝を見て帰ってきたのですが、私は、体調を崩し滝を見に行けなかったのです。
写真は、石室で撮ったものですが、右から二人目、白シャツの横が私です。結構仲間の中ではませて見えます。どうも、名前の定かでないものもいて、申し訳ない感じです。
私の小学校は、上川村字東雲で、此処から大雪山の登山口、愛山渓まで20K=5里なのです。終戦前の大変な時期ですから、汽車での旅行など出来る状態では有りませんでした。
それで、愛山渓1泊、層雲峡1泊の2泊3日での登山が修学旅行になったのです。
この時の、愛山渓で、朝見た大雪山の山肌の美しさは、身震いするほどだったし、それから何年か登山を続けるきっかけになった。
朝6時、愛山渓を出発、永山岳を経て石室を通り、その日の内に層雲峡まで下りて、層雲閣に一泊次の日銀河、流星の滝を見て帰ってきたのですが、私は、体調を崩し滝を見に行けなかったのです。
写真は、石室で撮ったものですが、右から二人目、白シャツの横が私です。結構仲間の中ではませて見えます。どうも、名前の定かでないものもいて、申し訳ない感じです。