手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

二日酔いで、ぐったり・・・

2006-11-20 14:15:11 | 身辺雑記

 北詩連札幌西支部の「吟詠剣詩舞の集い」で、料理はあったのにさっぱり食べないで、飲んでばかりいました。おまけに、手稲に帰ってから第二教場の中村さん、猪股さん、小林さん、八重子さんと「鴎」と「ペルシャ」の二軒を回り、11時過ぎまで飲んできました。
 
 食べないで飲むと二日酔いになる、最近は気をつけていたのですが、ついつい、空酒を飲んでしまいました。朝から頭が痛く、ごろごろしていたのですが、ようやく気分が持ち直してきましたので、ブログを書き始めました。

 外はいい天気、とても11月の20日なんて思えません。今日がPG山口緑地のクローズのはずでしたが、いい打ち納めになっているのでしょう。



 フアイターズ優勝パレード

2006-11-18 20:11:13 | スポーツ

 天気が良くてよかった。北海道フアイターズの日本一祝賀パレードが札幌駅からススキノまでで開催された。わたしはテレビで見ただけだけど、素晴らしいパレードだった。先日から15万人が集まるだろうと報道されていたが、一寸「シンジラレナイ」と思っていたのだが、「シンジテル」と言うべきだった。
 
 フアイターズのあの優勝、ドームの大観衆、本当に「シンジラレナイ」の一言だったし、今回のパレードに集まった観衆の数、一連の流れなのだ。

 どこかで紙吹雪を用意しているとの報道があったけれど、何と沿道のビル、総てが紙吹雪をやったのじゃないかと思うくらいすごかつた。あちらこちらで優勝パレードはやられているけれど、こんな凄いのは無かったと思う。北海道の底力なのか、凄い!!!!!

 それにしても、小笠原君、巨人に行くの? 止めなさい・・。今まで巨人に行って、使い捨てになつた選手たちを見てご覧。広島の黒田は、広島のフアンを裏切れないと言って、広島に残留した。それが男だろう・・・。メジャーにでも行くのならまだ許せる、でも巨人は駄目だ。フアイターズに骨を埋めなさい。・・・まだ決定していないけれど、そうあって欲しい。「小笠原・・・お前もか!!!!」それを言いたくない。

一年で一番うっとうしい時期になりました

2006-11-17 21:24:26 | 無題

 日の暮れるのが早く成りました。雪が平地にも到着し始めました。

 これから、しっかり雪が積もり根雪になってしまえば、観念して落ち着くのですが、それまでは、嫌です。特に雪の降り始めは、車の運転が疲れるのです。
 これから長い冬になるのですが、それでも冬至が来ると、これから日が長くなるのだと言う何か峠を一つ越した感じに成ります。そんなことで、私にとって今の時期が一番うっとうしい、嫌な時期なのです。

 冬もPGをやる人が結構いるのですが、私はその気が有りません。もう道具は車から降ろしてしまいました。

 来年の文化祭の開催について、区民センターと協議に入らなければならないので、今日とりあえす館長と今後の打ち合わせの進め方を相談してきました。

 野幌の本田君から電話、私の作った旭農同窓会会詩(漢詩)を記念誌に校歌と並列で載せたいと言っていたのですが、無理だと思うので、せめて記念大会のとき吟で披露するにとどめようと話したのでしたが、どうしても話を進めるというので任せていたら、やっぱり無理だったようです。その経過を話したいから一度飲もうという。月末に今度は札幌で落ち合って飲むことにします。

 

「納豆」を食べてはいけない人もいる

2006-11-16 21:48:43 | 身辺雑記

 納豆は栄養価も高く、最近は健康食品としてもてはやされている。中に、あの独特のネバネバとか匂いが嫌いといって食べられない人もいる。しかし、好きだけれど食べることを禁じられている人もいるのです。実は、私の家内もその一人なのです。面白い取り合わせだと思うのですが、納豆は血液サラサラの効果が抜群といわれます。それなのに血液サラサラにする薬を服用しているから食べてはいけないというのです。家内は、数年前、軽い脳梗塞にかかり、その後薬を服用していて、納豆を食べることが禁止されたのです。薬の薬効と関係するのでしょうが、面白い取り合わせだと思います。
 
 私は、朝食に毎日に近いくらい納豆を食べています。今は安く、いつでも手に入る食品ですが、私の子供の頃は、めったに食べることができなかったのです。殆どが手作り、記憶をたどると、冬、藁苞に大豆の煮たのをいれて、コタツの中で熟成していたように思います。店頭に出るようになってからも暫くは、藁苞に入ったものでした。子供の頃は、食糧難の時代でしたから、納豆はとても嬉しい食べ物でした。私は、納豆があれば外のおかずは無くてもいい位なので飽きることなく食べています。

 朝食に納豆、昼食後バナナ、これが最近の私の食生活のパターンになっています。本当にいい時代になったものです。

「帰去来兮」 =「かえりなんいざ」

2006-11-15 22:03:46 | 随想

 陶淵明の文章、「帰去来辞」の冒頭、「帰去来兮」を「かえりなんいざ」と訓読する。この訓読をだれが読んだのか判らないけれど、これは素晴らしい読み方だと思い忘れることが出来ないでいた。

 先日、白居易の「菊花」を吟じ「東籬の菊のみ有りて」に触れて、陶淵明(陶潜)の「飲酒」を思い出しながら、「かえりなんいざ でんえんまさにあれんとす なんぞかえらざる・・・」と、この文章を思い出していた。官吏としての勤めは「心を形の役となす」"心を肉体の下僕とする生活"だと悟り、職を辞して故郷に帰る時の心境が表現されているのです。

 宮仕えという言葉が有ります。職業は決して軽いものではないし、そんな仕事に誇りと情熱を傾けることは素晴らしいことなのですが、しかし、自分を殺して努力しなければならないことも有り、辛いことでもあります。

 現職を離れて、老後の生活にというか、余生を楽しむようになつて、時間がひどく早く感じられるのは、心を束縛されることも無く、生きることを楽しんでいるからかもしれない。「心遠ければ地自ずから偏なり」とまではいかないものの、苦労してまでという、煩わしさからはかなり解放されている。

暫くぶりに「いの平」。帰宅してボクシングを見る

2006-11-14 21:40:50 | 身辺雑記

 北詩連西支部幹事会が道通ビルであり、帰り岡内支部長と一緒に成りました。8時、手稲に着き岡内氏を誘って「いの平」に顔を出す。

 相変わらずにぎやかでした。熊倉さん、佐藤さん、高橋さんがカウンター、小上がりにサッちゃん、山本さん。入るなり熊倉さんに「ブログの字が大きくなって読みやすくなった」と褒められる。盛り上がっていたカウンターの3人は、昭和9年生まれで、曰く同級生。特に熊倉さんと佐藤さんは幌内炭鉱で、あまり離れていないところで育ったらしい。そんな人が出会う、出会いが、こんな小さな酒場でもあるのですね。議論の中心は「いじめ」らしい。

 岡内支部長は1時間ほどでお帰りになる。わたしは10時近くまで飲ませてもらいました。

 帰宅して、すぐボクシングのバンタム級タイトルマッチ、長谷川の試合を見ました。いい試合だった。長谷川は3試合連続ノックアウトタイトル防衛がかかっていた。2回ダウンを奪ったけれど、倒すことが出来ず、後半は顔面に傷、血を流しながら、どちらかと言うと防戦一方に近い戦いに成りました。結局判定、3対ゼロで完勝でした。日本にこんな凄いボクサーがいるのを知らないでいた。


 

することも無く、将に休日

2006-11-12 21:28:04 | 身辺雑記

 朝から雨風が強く、外に出たくない日でした。いい日曜日、のんびり過ごすことが出来ました。一時雨が止んで手稲山が見えたときがありました。案の定手稲山は雪です。先日の雪はハイランドのスキー場を白くしただけでしたが、今日はオリンピアまで真っ白にしていました。本格的な冬の到来。でも平地はまだ雪の積もる状況では有りません。根雪になるのにはまだ暫くあるのでしょう。

 相撲が始まりました。ゆっくり見ることが出来ました。久しぶりに大関がみんな元気な相撲をしていました。白鳳の休場は残念です。

 フアイターズ、台湾に予選でも梃子摺りましたが、今日もはらはらさせられました。バレーが台湾に負けたのも意外だったのですが、野球が決勝でまた当たることになるとは思ってもいませんでした。韓国はどうしたのでしよう。台湾が強くなるとこのアジヤ選手権も面白く成ります。

 さて明晩は、北詩連の西支部理事会で札幌へ出ます。帰り、久しぶりに小野さんの顔を見にちょっとよってみます。

 昼頃から雨・・・夜はぐんと冷え込んでいます

2006-11-11 22:01:10 | 身辺雑記

 今日は手稲区民センター文化祭演芸の部が10時からありました。来年から手稲文化協会と共催し、手稲区文化祭となる予定なのです。そんなこともあり、一寸覗いておこうと思い開会から11時15分まで見せていただきました。手稲文化協会に加盟していないサークルの発表にはそれなりのものがあり、新鮮に感じるところも有りました。観客は100人前後で推移している感じでした。

 午後から平和教場、今日は8名の出席でした。先日いらっしゃった加藤さん正式に入会と成りました。昭和25年生まれ、まだ60前ですから、私の教室では若い方に入ります。嬉しいことです。

 夕方、孫の有紗が詩吟の稽古に来る。大分上達してきている。中学3年で自分から詩吟をやりたいといってやりだしたのだから、頑張ってくれなくちゃ。偉いところも有ります。先日から乃木希典、西郷南州の詩を稽古し始めているのですが、自分で、乃木希典の息子が金州で戦死したこと、さらに、西郷南州が西郷隆盛だということを調べてきていた。本当は、私が説明しておくべきなのですが、それをしていませんでした。調べなさいと言ったわけでもないのに、自分で調べて来ていた。なかなか出来ないことなので、褒めてあげました。公立の中学に行っていては出来ないことかもしれません。私立の中学に入っていて、高校進学の心配も無いからこのようにのびのび出来ているのかもしれません。

 終わってから、娘に連れられイタリヤ料理をご馳走に成りました。外は雨、気温がぐんと下がっています。手稲山は雪でしょう。


 

冬支度 ほぼ終わる

2006-11-10 19:05:52 | 身辺雑記

 何ぼなんでも間もなく雪になる。覚悟を決めて?バラも切り、冬囲い。これで庭は、わずかに菊と、キリン草、フレンドリーの花だけになつた。後は何時雪が来てもOK。でも、遅くなるのは歓迎です。

 灯油の値段が若干下がったとか言っていましたが、それでも去年から見たらまだまだ高い。年金から税金が取られるようになった上に、灯油が値上がり、ロードヒーティングも満足に入れられない。雪は出来るだけ庭に積まなければならないのだから遅く、そして少なければいいのだ。そうはいかないのでしょうが・・・。

 ところで昨日11月9日と言うのは、私の結婚記念日なのです。私は忘れていたけれど、家内もしっかり忘れているのです。どうも、誕生日だとか、こんな記念日だとかに二人ともあまり関心が無くて、だから、誕生祝などの記憶がない。銀婚式とかってのも有ったのでしょうが、そんな事考えてたこともなかった。今度は金婚式と言うことになるのでしょう、何時なのだろう。考えて見ても悪くないか・・。

 

「この道や行く人なしに秋の暮れ」 芭蕉

2006-11-09 17:19:24 | 随想

 「この道や行く人なしに秋の暮れ」という芭蕉の晩年の句がふと思い出された。
前にも後ろにも人影がなく、一人旅を続ける芭蕉の孤独感がにじみ出ている句です。「秋の暮れ」と言う言葉は、「秋の夕暮れ時」という理解と「秋がもう終わろうとする=暮秋」の二通りに取れます。

 それでなくても寂しい秋、その夕方は更に寂しさを強めます、どこが今夜の宿なのか、それさへ定かでない旅の寂しさがにじみ出て、孤独感を強めています。

 秋の暮は同時に暮の秋、芭蕉はこの句を作った頃、病に侵されていました。人生の暮を意識していた時の句なのです。

 ただ、言葉どおりの理解でも十分に素晴らしい句であることは判るのですが、俳人芭蕉のたどり着いた、俳諧への思いとして評価されています。即ち、俳諧一筋に歩いてきて、今周りを見渡すと、自分の求めてきた俳諧の道を、真に理解してくれる人もいないという、孤独感だというのです。

 芸術家でお弟子さんを沢山お持ちの方も多い。そんな中で、芭蕉以上にお弟子さんを持った人はいないといわれます。奥の細道の旅だって、お金があってのものではなく、行く先々に弟子が待っていてくれて出来た旅なのです。そんな芭蕉が、孤独をかみしめる、将に孤高の寂しさがあるのです。「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」辞世の句になったといわれます。蕉風を確立した、俳諧の巨星、その高さゆえ、理解されない、理解されようともしない行きかただったのでしよう。</font>