手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

機上からの満月

2008-09-18 21:15:53 | 身辺雑記

 今年は中秋の名月を飛行機の中から眺めた。

14日が満月の日だった。新潟空港を17時に発ちまだ暮れない空に浮かぶ満月を写真に収めた。

 この日、帰宅したのは21時過ぎだったから、お月様は見ごろだったはずだ。しかし、疲れがひどく、月見なんて忘れちゃっていた。帰宅するなりビールを飲み、夕食を食べてなかったので、それを頂き、すぐに寝てしまった。

 この数日、次第にぼけていくお月様を二階の窓をあけて眺めたりしている。天気がいいので、月影は美しい。それにしても、今年の残暑もすごい。9月に入って夏日が何日続いているのだろう。例年なら、更衣の時期なのにまったく夏のままでいいのです。おまけに雨は降らない。

  秋が長いのは結構なことです。紅葉が遅れても、綺麗にならなくても、灯油の値段が高くなっている今、寒くなるのは一日でも遅い方が嬉しいのです。
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佐渡での思い出

2008-09-17 21:48:25 | 身辺雑記
 佐渡についての私の知識はお粗末なものでした。地名だって両津・相川・小木くらいしか知らなくて、両津が一番大きな町らしい、また「竿さしゃ届く」といわれる本州に一番近いところが小木辺りではないかとというくらいのものだった。歴史的には順徳天皇が配流されたり、日蓮が流されたりした所だということ。また、金山があったということ、佐渡おけさの発祥の地だというくらいしか知らなかった。

 今回の旅行でいろいろ勉強させていただいた。観光タクシーの運転手のガイドで勉強したのです。

 その中で記憶に残っているものを挙げると、先ず、能舞台が今も20数箇所残っていて、かつては、一集落一舞台ということで40数舞台があったのだそうです。そして、いずれも宝生流だということを知りました。世阿弥が流された島だといっても、これだけの能舞台が建てられ、集落の住民が能を鑑賞できたということに驚きを感じました。ただ仕舞いを見るだけではなく、物語と一体になって鑑賞するのでしょうから、伊勢物語とかが教養として享受されていたのだと思います。この、本州から切り離された島でこのような文化が継承されてきたことに驚きを感じました。

 流人の島のような印象が有りますけれど、極悪罪人が送られた島ではなかった。罪人といっても、政治犯に近い、いわば多くの文化人が流されていて、それが独特の文化を形成する基となっていたのは間違いないのです。

 佐渡の人の依拠する宗派は日蓮宗とばかり考えていた。間違いでした。日蓮上人が流される以前から島は開けていたのですから、当然です。しかし、3年間の島での生活の中でその教義が深められ、島民にも迎えられ、その足跡は島中に残されています。現在、30を数える日蓮宗の寺があるそうです。

 佐渡は、寺と神社の数が同じくらいあって、どちらも今でも200以上有るというのです。ただ、すでに建物としては存在しないものも有るということでした。

 長谷寺・清水寺があります。本は、京都の寺と同じものを建てる意図のものだったのだそうですが、今は「ちょうこくじ」「せいすいじ」と読むのだということでした。

 「たらい舟」は、小木のものでした(写真)。昔は女性が漁に使ったものなのでしょうが、今はこのように観光客を乗せる観光舟になっていました。小木はまた佐渡おけさの発祥の地でもありました。

 島とはいうものの、大きな島です。観光は、一日二日くらいでは足りないと思います。でも、とにかく、佐渡の土地を踏み、我が家のルーツという小木を見て何か一つのけじめが付いたように感じています。


 
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新潟 ホテルオオクラにて 姪の結婚式

2008-09-16 21:24:02 | 身辺雑記

13日、新潟市のホテルオオクラで姪の結婚式があり、出席しました。

 「人前式」という話で、この言葉に戸惑っていたのですが、会場に行って判りました。「神前」でも「仏前」でもない、「人前」なのです。

 要するに神主さまや神父さんのいない、三三九度もない、新しい形の結婚式なのです。披露宴の席が同時に結婚式場なのです。

 普通の披露宴と同じ会場に、新婦が父親にエスコートされて、入り口から進み新郎に引き継ぐ、二人は写真のように台上に並び、司会の進行に従い、指輪の交換、誓いの詞を読み上げる。次に、その誓いの詞に二人が署名する。次に、それを友人二人が出て証人として署名し、その誓いの詞の署名の終ったものを、この写真のように、掲げて皆様に示し、式は終了となるのです。

 式が終わり、披露宴は新婦方の代表者がお礼の挨拶をして乾杯の音頭をとって始まりました。

 普通の結婚式の、披露宴とは、随分違いが有りました。料理は素晴らしいコース料理で例えば、「ふかひれスープ」は、ひれの姿入りでした。とても美味しく頂きました。もう一つ大きな違いは、くどくどした長い挨拶は何もない、カラオケもないということでした。

 BGMのように、バンド(ピアノ、テナーサックス、コントラバスにボーカル1名)が入っていたことです。このバンドは、此処にも出席していた、東京の妹村川レミが手配したものでした。

 私の弟に名古屋でバンドを組んでアルトサックスを吹いているのがいて、それも出席していましたので、レミのコンタクトで、弟も一曲参加することなりました。

 プロのバンドの中に入ってうまく合わせることが出来るか心配だったのですが、素晴らしいアンサンブルに成りました。会場からも大きな拍手を頂、最後にまたアンコールのような形で、ソロで一曲演奏しましたが、殆どアマの域を出た演奏だったと、兄弟ではありますが、その感情を抜きにして認めることの出来るものでした。

 3年ぶりで、兄弟7人、全員が集まり、2次会には兄弟だけで、町のカラオケ店に出かけ、歌って飲んで,さらにホテルに戻って3次会を部屋でやり、24時過ぎまで楽しみました。

 空港からホテルに行く途中、新潟駅の近くにヨサコイソーランに出るような踊りの一行をみました。何かの祭りで北海道からヨサコイのチームが来ているのかと思いましたが、翌日の新聞を見ましたら「総踊り大会」別名、「下駄踊り」という地元の盆踊りを発展させ、下駄の音を響かせる踊りとして、ヨサコイのようなものにしてきているようでした。北海道のヨサコイが各地に独特の踊りの輪を広げているのではないかと思いました。
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父のルーツ  佐渡は小木 に行ってきた

2008-09-15 21:45:43 | 身辺雑記
 
13日の姪の結婚式、新潟ホテルオオクラ、このことについては明日書くことにして、今日は佐渡に父のルーツをたどったことを書いてみる。

 7時30分にホテルを出て、新潟港へ、8時発のジェットフォエルに乗船する。両津港まで丁度1時間。港に「館山様」と書いた表示を掲げてハイヤーの運転手が待っていた。今回、佐渡はレンタカーを借りる話だったのだけれど、美瑛の妹が気を利かせて、両津のハイヤー会社に電話して、観光タクシーを3時間契約で借り切っていたのです。6人全員が乗れる車なのです。

 主目的は、父のルーツ小木に行くことでした。ルーツの細かいことを知っているものはいなく、妹二人と私がやや知っているくらいなのです。私の知っていることは、父の家は、旅館だったということでした。勘違いしていたところもあました。父の一家は分家のようにして北海道に来たというのは間違いで、旅館の経営から手を引いて、北海道に新天地を求めたらしいのです。ただ、姉が嫁いで小木に残り、旅館を引き継いだということを妹は知っていて、その旅館の名前とか姓とかを知っていないのです。両親がこの小木を訪れて、今も旅館が残っていると話していたと妹は言います。また、墓地にも行き、そこの土を母が持ってきていて、旭川に墓を建てたとき、墓にその土を入れたのを妹は覚えているのです。父の姉ですから当然他界して、子供、あるいは孫の世代になっているかもしれないのです。

 そのような話をしたら運転手はすぐ小木に電話をいれ、尋ねはじめました。そして心当たりの家を特定してくれました。

 車は両津から赤泊を回って小木の付いた。すぐに父の姉の嫁ぎ先の家が判明、その家の当主になっていた方が、一週間前に亡くなったということだった。

 たらい舟が観光客を乗せてぐるっと回っているすぐ横でこの写真は撮りました。此処で、一休みして、そのルーツに当たる家の前に行き、そのすぐ近くにあるお寺に行って見ました。丁度住職さんが玄関先にいられて、事の次第を話しましたら、一週間前になくなったその方の家の墓はある。ということなので、一応その墓のあるところへ案内してもらいました。狭い山の斜面の張り付くように墓石が立ち並んでいます。その墓石には、村川の名前がいくつもあるのです。ルーツの墓もあるのでしょうが、村川家も沢山あって、どこの村川かは、屋号がわからなくては探しようがないとのことでした。

 歩きながら軒先を見ると、表札のほかに、必ず屋号が掲げられています。狭い小さな集落だけれど、同姓が多いので、このような家名の伝承が、今もされているのですね。

 昔は、北前船の寄る港として、佐渡では栄えた港だったのでしょう。町の中に二階の前へ張り出した家があります。これはかつて遊女屋であった家の名残なのだと運転手が説明して呉れました。父がたまたま洩らした、「置き屋」というのは、ひょっとして、こんな仕事だったのかもとふと思ったりしました。そんな仕事をまともに話すことはない。京都あたりで言う「置き屋」というのは、芸子をいろいろな宴会などに派遣したりする、いわば手配、周旋業ということになるのだけれど、あの小さな集落ではそんな仕事は必要ない。旅館即置き屋であったのかもしれません。

 こんなことを考えると、ルーツを探るのも怖くなります。お寺はほかにあるように思えませんでした。しかし、あのお寺は真言宗のお寺だと運転手は言っていました。我が家は日蓮宗なのです。そこで、お墓と結びつかなくなるのですが、ひょっとすると、北海道に渡ってから、佐渡は日蓮とは深いかかわりがあるので渡道を期に改宗したということも考えられるのです。

 ともあれ、我が家のルーツの地をこの目で見てきました。今回の旅行、結婚式より大きな意味のある旅行と成りました。</font>



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明日は、姪の婚礼で新潟に行ってきます

2008-09-12 19:30:36 | 身辺雑記

 姪が新潟で結婚することに成り、出かけることにしました。10年ほど前に亡くなった妹の子で、心配していたのですが、結婚することに成りお祝いに出掛けることにしました。

 私は兄弟が多く、現在国内に7人いるのですが、その7人が全員参加することに成りました。名古屋から3人、東京1人、北海道3人です。

 我が家のルーツが佐渡なのです。父が幼少のころにいわば分家の形で渡道したのです。両親は晩年故郷詣でをしてきていました。しかし、私はあまりルーツについて関心がなかったので、細かいことを聞いていませんでした。その話の中でまだ先祖の墓があったと言うような話だけは記憶にありました。

 今回、新潟に行くことになったけれど、佐渡のことなど念頭にありませんでした。ところが女の兄弟達が新潟にいくのなら、次の日、帰りの飛行機に間に合うように佐渡にいってはどうかという話が持ち上がりました。それが可能だと言うのです。

 勿論賛成しました。結局、兄弟揃ってこのたび我が家のルーツをたどることになったのです。私は単純に両津だと思っていたのですが、実は小木の港らしいのです。両津でレンタカーを借りて小木まで行って来る手はずから、スケジュール一切東京の妹が組んでくれました。

 久しぶりに兄弟が顔をあわせ、おまけに揃ってこんな旅が出来るなんて嬉しい限りです。

 一泊二日の旅だけれど、とても中身のある旅に成りそうです。

 
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「いの平」 で、「残響」の田中先生と楽しみました 

2008-09-11 17:15:55 | 身辺雑記

 「残響」の作者、田中和夫先生が「幻の木製戦闘機キ106」を刊行されたと言う報道があった。一度お会いしたいと思っていて、なかなか機会を作れないでいたのですが、昨日ようやくご一緒できた。

 田中先生に初めてお会いしたのも「いの平」で、一番二人とも馴染みの店なので今回も「いの平」にしました。折角の機会なので、俵先生もお誘いしました。

 今回は、私のストックのウイスキーの中のオールドパーを一本もって行き、一寸贅沢な飲み会になりました。

 先日、村橋久成の胸像「残響」の製作者、中村晋也先生が文化勲章を受賞されたことは、新聞で知っていました。その中村先生の受賞祝賀会があり、田中先生も出席し挨拶の中で「村橋氏の高い志と果敢な挑戦こそが北海道民に息づくフロンティアスビリツトの源流の一つです」という高橋知事のメッセージを代読されてきたとのことでした。

 中村先生の文化勲章受賞の一つの功労として、村橋久成の胸像の作成、そしてそれが北海道知事公館に移設されたことが挙げられるということでした。田中先生によって北海道開拓に大きな足跡を残していた薩摩藩士だった村橋久成が掘り起こされ、その功績に感動した中村先生が胸像「残響」を作成された。そして、その胸像が知事公館に移設され、北海道と鹿児島を深く結びつけた。

 歴史の闇に埋もれていた、村橋久成という人物は、鹿児島の歴史を飾る人物と成り、北海道でも開拓の歴史にその名が刻まれることになった。その、胸像が北海道知事公館の庭に立っていることは、極めて大きな象徴的な意味を持つように私にも感じられる。

 鹿児島は、「篤姫」で一躍脚光を浴びているのですが、同時に中村先生の受賞により、村橋久成の功績がさらにクローズアップされることになっているのです。

 移設から3年目、今年も胸像を守る会が23日に持たれるといいます。私も参加できれば幸いと思っています。

 久しぶりに田中先生とお話が出来、楽しい一時でした。
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我が家の枝豆・・・初収穫

2008-09-09 20:06:06 | 身辺雑記

 家の前面は花畑、残りの三方はいちおう畑にしてある。東西は畑になっているのが1m幅、北側は、2Mほど有るのだけれど日当たりが゛良くないので、数年前までは、枝豆だけを植えていた。最近両端に別のものを植えることにした。

 今年は北の西側にヤーコン二株と唐辛子2本ピーマン2本を植え、東の端にはササゲを植え、4間くらい枝豆を植えたのです。草取りをろくにしなかったので、草原みたいになっているけれど、どうやる枝豆は実をつけてくれた。結構、実が入ったみたいなので、少し収穫してみた。

 今日もいろいろあったのだけれど、最後、北詩連の競吟大会の納金、郵貯でなければならないので、ATMで送金した。これが二度目で、やったことの無いことをやるのでひどい目に合った。最初に通帳を作って送金したときは、教えられてやったので、どんなやり方か忘れていた。機械に指示が出るのだからとやり始めたら、暗誦番号が必要なのだ。暗証番号を作ったのでしょうが、すっかり忘れている。別の方法で送ろうかと思ったけれど、通帳に入れたお金を引き出すには、印鑑が要る。

 やむを得ず、我が家に戻って探したらカードもあり、暗証番号もあった。すっかり忘れていたのだ。おまけに、一度に10万円以上は送れないと言うので、二本に分けて送金。一日の最後が本当に頭にくる終わり方だったのです。

 帰ったらまだ、晩飯の時間ではなかったけれど、枝豆が茹でてある。早速ビールを出して、枝豆をつまみに飲み始める。我が家で取れた枝豆だと思うだけで味が変わるみたい。美味しい。ビールもうまい。これで一日の疲れが癒された様に思いました。
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自民党総裁選・・・民主が埋没・・・

2008-09-08 19:04:12 | 随想

 福田総理の突然の退任はびっくりだつたけれとど、計算されてのことだったのか。

 この一連の動きの中で、民主党が埋没すると聞いたときは、あまりぴんと来なかった。でも、今はなるほどと納得。

 今、自民党の中では総裁選出馬の運動を始めている人が、ベテランから新人まで大変な数になっている。こんなことって自民党にとっても初めてのことだし、私達は驚いたりあきれたりしているけれど、これは計算されたものなのだ。

 民主党は小沢代表一人の対抗馬なし。自民党は結果はわかっているにせよ大々的な選挙戦となる。まるで民間活力を導入した選挙戦みたいな、すごい宣伝効果が期待される選挙だ。この間将に民主党は埋没していなければならないのだ。

 11月に予定されている総選挙の下ごしらえになりそうだ。

 一寸視点を変えて考えてみると、やっぱり自民党だ!!!という声が聞こえそうだ、なぜなら、これだけ総裁選挙に出る人材がいるということを誇示しているようなもので、小沢しか立てない民主には、政権を担えるような人材もいないということ公表しているような形になる。

 勿論、それはうがちすぎと言う批判はあるでしょうし、総裁選は、ただふさわしい人を択べばいいことだというでしょう。

 地方の票も必要なのですから、地方選出議員にとっては予定される総選挙前の大々的な選挙運動になる。是は計り知れない宣伝効果になっているのだ。

 まあ、次の国会の進展と、引き続く総選挙が楽しみだ。
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サッカー バーレン戦も見た

2008-09-07 21:37:08 | 身辺雑記

 今朝4時半に目が覚めた。そうだ今バーレン戦がテレビに入っているはずだと起き出してテレビを入れる。2対0でリードしているじゃない。しばらくすると中村憲剛だっただろうか、交代で入った選手が見事なミドルシュートを決めて3対0となる。これで勝利は間違いないと確信した。その直後、一瞬の出来事みたいに1点取られ、続けざまに押し込まれ、キーパーに送ろうとしたパスが何とオウンゴールになって、3対2になっちゃった。3分間のロスタイムが何と長く感じられたことか。でもそのままホィスルがなった。

 バーレンの暑さはすごかったらしい、そんな中、相手以上に走った勝利みたい。どのチームも必死なのだし、一次予選を勝ち進んだチームなのだから、楽な相手は一つも無い。アウェイでのこの勝利は大きい。

 午前中眠かったけれどパークゴルフに出かけた。今日は原田さんと一緒に回らせていただいた。

 午後から日ハムの試合をテレビで観戦していて、2対2になったところで、今日も昨日に続いて連勝だと思って、ロッテの試合をPCの動画で見ることにした。動画を開いたら3対2でロッテが負けている。さらに7回の裏ソフトバンクは満塁の好機、リリーフに立った高木が押し出しで点数をやすやすと献上したのを見て、諦めた。

 先ほどPCのスポーツ欄を開いてみたら、何と、日ハムは楽天に逆転負けをしているし、ロッテはソフトパンクに逆転勝利で3位になっちゃっている。試合ってほんとに何が起こるかわからないものですね。ロッテの今江が骨折になったと言う心配だ。今江は凄く調子が上がっていただけに残念だ。

 試合の途中で諦めて、仕事、藤村先生に競吟大会の伴奏テープを作っていただくのにテープを持つていくことにした。行ったらすでに先生作ってくださっていた。本当に有難い。

 西支部の総務部長になったのに、さっぱりわからないことが多くて、今回も第五部はCDの伴奏を使えることになっているのを知らないでいて、藤村先生に教えられて、おまけに吟に合う伴奏曲まで作っていただいた。

 文化祭のプログラム未提出の2団体のところへ出向き頂いてくる。

 晩飯、今日は外食にしようということに成り、銭函の大山に出かけてステーキ定食を食べてきた。残念なのは、折角の料理、車だからビールも飲めない。ノンアルコールビールを飲んでみたがやっぱり物足りなかった。
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日ハム応援顛末記

2008-09-06 16:09:22 | スポーツ

 昨日は札幌ドームに日ハムの応援に出かけました。それでプログも書けませんでした。

 第二教場を終らせて帰宅してすぐ出発。15時29分のバスで手稲駅、すぐに札幌行きのバスが来る。それで宮の沢まで行って地下鉄に乗り換える。大通りから東豊線に乗り換えて福住まで。ヨーカ堂で夕飯を仕入れて、ドームに向かう。ドームに着いて席に入ったら17時40分だった。食事をし終わったらまもなくプレーボール。

 3回、ワンアウトで田中賢介がヒット。そして稲葉、ふるカウントから振った打球はライトの中段まで飛ぶホームラン。割れんばかりの拍手。さらに5回、森本がヒット、田中のバントで2塁へ、そして稲葉、稲葉コールが始まる、周りの皆様飛び撥ねる。するとセンター前へのヒット、森本が生還、3点目。楽天のビッチャーは将大君、調子は良かったのです。次々に三振を取るのだけれど、稲葉には 通用しなかった。7回が終って、是で日ハムは次から勝利の方程式に入って勝つだろうと思い、帰ることにした。続々と帰る人が続いていた。同じ思いの人が多かったと思う。暑かったのでソフトクリームを買ってなめながら地下鉄に向かう。

 家に帰り着いたのが22時40分だった。テレビを入れる、スポーツ番組を入れる。すぐ日ハム戦が報道された。何と、8回の表に3点取られ同点、そして9回2点取られて負けているじゃない。それも8回は勝利方程式の武田久が打ち込まれ9回はマイケルが打たれて、勝利の方程式が狂ったのだ。

 田中将大君、敗戦投手にならないで済んでいる。

 日ハム、この敗戦は痛いかもしれない。いつの間にかオリックスが2位になって、昨日も西武に勝っている。何だか3位争いをソフトバンク・日ハム・ロッテで争う展開みたいになった。

 ロッテフアンの私としては、これからの試合は気が気でなくなる。

 
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