手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

今日もお雪  それでも福祉センター詩吟 13名参加してくれた

2015-01-20 19:31:30 | 詩吟関係
  朝起きたときはサラット積もっているだけでやれやれと思った。それがひどい雪に変わった。8時半にはロードヒーティングを作動させた。11時ころ福祉の詩吟の生徒さんから電話がある、今日詩吟やるのですかという質問だった。やるやらないは私の権限でなくセンターから何も言ってこないのだから私は行くしかありませんと答えておいた。

 ひどい吹雪です。ひょっとしたら女性は誰も来ないかもしれない。男性が3人ほどは来る、そんなことを考えていました。とにかく行かなければなりません。12時40分に車庫に向かいました。玄関から車庫まで10センチ以上の積雪になっていました。雪は撥ねる余裕もありません。センターに着いたらKさんが待ち受けていました。何人か来ていますかと声をかけたら結構来ていますという。結局13名の方が参加してくれていました。

 全般は前回もやった「阿寒湖を詠ず」と「氷雪の門」の両方を一通り稽古して、どちらかを選んで 独吟をしたもらいました。後半は「九段の桜」をやりました。

 教室の始まる前にセンターの方から会員にアンケートを実施されましたので、時間にゆとりができていつものように稽古ができました。2時45分に終了した時は、雪がやんでいました。

 帰宅したらいつも除雪を手伝ってくれるKさんが車庫前の雪を片付けてくださっていました。助かりました。天気が回復してロードヒーティングが止まっています。まだまだ解けきっていません。多分今晩また降るでしょうからそのままにしておきました。朝起きたら舗装がきれいに出ている、そんなようになっていてほしいものです。
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 大雪  町内会新年交礼会  喘息 etc

2015-01-18 19:02:51 | 身辺雑記
 昨日平和教場の初吟会、ひどい吹雪だったが行ってきました。吟、無理して声を出しました。喘息の咳が付いたまま、無理して声を出しました。帰宅してから絶え間なく咳が出るのです。薬も効いてくれません。

 外は大風吹。やむなく17時過ぎからロードヒーティングを入れました。夜中3時過ぎに目を覚ましたら咳が出始めて朝まで寝ることができなかった。4時過ぎにブルトーザーが入った。朝起きてみたらロードヒーティングは効いていましたが車道部分にかなりの雪が積まれていた。おまけに吹雪は止んでいません。でも何とか車を出せるようにだけはしたいので、除雪にでました。ブルトーザーが寄せて行った雪をロードヒーテイングで解けて舗装の出ている歩道に下すだけの仕事にして、運ぶことをやめました。

 今日は12時から町内会の新年交礼会で参加することにしてあります。更に余興で健幸くらぶの方たちの詩吟の伴奏と私も一吟やることにしていました。喉の調子は最低です。私の吟はキャンセルして、伴奏だけして、お酒はいただかずに帰宅することにして車で出かけました。

 今年の交礼会の場所はヤワラギ斎場でした。会場の関係でしょう、カラオケなしの交礼会でした。開演して30分くらいからビンゴゲームがあり、そのあと余興で詩吟が最初でした。健幸くらぶの予定していた男性「富嶽」、女性「松竹梅」の伴奏をしてあげ、私はキャンセルして、そこで退席して帰宅しました。

 帰宅してからも喘息の咳が切れることなく出ていてまいっています。ひょっとして二階に上がるとせきがとまめるかもしれないと思って先ほど上がってきました。咳が取れたわけではないけれど下にいるより出ないというの不思議です。

 明日は手稲第一教場の初吟会。会場の関係で午前中の稽古です。声はおそらく出せないのだろうと思います。あさっての福祉センターも心配です。
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咳で大変でした  喘息からきているのだと思う 

2015-01-16 19:58:03 | 身辺雑記
  一昨日、クリニックに降圧剤をいただきに出かけた。一週間ほど前から血圧が高くなっていて残っていた降圧剤を使っていてそれが切れたのでもらいに行ったのです。
 診察室に入るや「ひどいゼイゼイだね!喘息です」といわれた。聴診器を当てて間違いなく喘息です。喘息の治療をしましょうといわれた。吸入と点滴です。その時、肺気腫の薬何を使っているか聞かれ、薬手帳で見ていただいた。今使っている薬、朝晩二回使うことになっているのだけれど、先月北大に行った折、効き目が短いようだといったら、一日三回使ってよいといわれそのようにしているといいましたら、「それはだめです。心臓に負担がかかる」といわれた。三回という北大の先生の考えは朝晩そして寝る前ということだったのかもしれないけれど、どうも昼頃に薬が切れたように思うので、二回目を昼にしていました。血圧が上がったのはこのためだったかもしれません。昨日から朝晩二回にしたらきょえの血圧は正常になっていた。

 喘息の方ですが、吸入はむせてほとんど駄目でした。点滴一時間かかりました。点滴が終わったらゼイゼイは収まっていました。とても楽になったのです。ところが、今日朝から咳が出て止まらないのです。風邪かと思って「葛根湯」を服用したが全く効き目がない。3時過ぎに苦しいのでクリニックに行きました。するとこれは喘息でないといって吸入を処方してくれた。薬は喘息の発作を収めるものでした。ゼイゼイという喘息でなく、咳になっている喘息発作なのですね。帰宅後すぐ使用してみました。すぐ効きました。今の時間ちょっと咳が出始めていますが、吸入は朝晩二回となっているので、朝まで我慢することになる。このまま収まってほしいものです。

 数年前に亡くなった藤井君は、肺気腫といっていなかったけれど、喘息がひどく時々入院していた。入院して酸素吸入をしていたようだった。多分飽和度が下がって酸素吸入を受けていたのだと思う。肺気腫に喘息はつきものじゃないのだろうか昼間咳込んでいるのを聞いたことがないのだけれど、夜だけ起こる喘息もあるのだろうか。私の喘息は昼間疲れると出てくる。静かにしていると収まるみたいなところがある。それで放置していたのだけれど、今回の点滴の効果には驚いた。これから時折点滴を受けることにしようかと思ったりしている。
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2月15日  西行忌  そんなことからの連想歌の世界でも

2015-01-15 19:18:06 | 無題
 「願はくは花の下にて春死なんその如月の望月のころ」とよんだ西行法師は、その願いどおりに2月15日に死んだという。こんなに思うとおりに往生できると有りがたいものだけれど、せめて「ぴんころりん」と最期を迎えることができればと時々思ったりする。まだ如月には遠いけれどふと思いだして書いてみた。

 今日は1月15日、今年の正月は20数年ぶりの温かさだそうだ。でも明日からまた寒くなるらしい。

 ところで、時代の変化は私たちにはついて行けないものかある。その一つに子供の名前がある。10人の名前を見てすべて正しく読めることはまずないと思う。訓読どころではない。音訓併用から漢字の片かなまで、特に女の子に子がなくなった。そして外国人の名前のような感じの名前が出てくる。学校の先生は覚えるのに大変かもしれない。

 歌の世界でも演歌が歌と思っていたら、フォークソングが出てきて、次にはロックそして、多くのダンススタッフをそろえたグループなど、そしてあの広い屋内野球場が舞台となり4万人以上の観客を集めたりしている。歌の歌詞は聞いていてもわからない。こんなことになってきている。話を聞くとそれらのフアンは日本国中ついて回る人が大勢いるのだといいます。

 のど自慢を毎週見ています。この頃演歌で鐘三つという日とは珍しくなった。ほとんどがポップスだ。時代の流れです。つい怒れない人が多くなっている。

 
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「淑気融せず」  

2015-01-14 19:37:04 | 詩吟関係
 武田信玄の詩「新正口号」の冒頭の一句です。"淑気融せず春尚遅し"・・・「新年になっても春の気配がいきわたっているわけでない。山奥の甲斐は春の来るのも遅いのだ」くらいの意味でしょう。旧暦での正月ですから二月になります。内陸では春の気配が満ちているのでしょうが、甲斐にはまだ春の気配もないのでしょう。

 新年だから新生口号でも新年会で吟じてみようかと思うこともあるのだけれど、新暦でしかも北海道はまだ真冬です。なかなか新年の吟として取り上げる気にならない。

 でも、上杉謙信と並び称される武将信玄はこのような漢詩を作る才を持っていたことに感心させられる。「霜辛雪苦豈詩を言わんや」と続く。そうだよなと納得する。

 以前に「興至吟新生口号」と詩にしたら友人から、七言絶句の作法に沿っていないと批判された。四ー三の作法が崩れているという批判です。私はそんなこと百も承知で作っているのです。必ず指摘する人がいると思っていたらやはりという感じでした。私は初めから絶句の作法を無視して作っているのですから、平仄なども無視しています。いわば七言絶句に近い形をとった新体詩=自由詩を作っているつもりですから、何とも思わなかった。

 今も漢詩作法を大切に作詩していられる方が沢山いられる。それはそれで結構なのですが、定型詩から自由詩への流れは漢詩でもあって当たり前だと思います。詩吟で現代詩を扱うことも多くなっている。詩吟が漢詩に縛られるより、もっと自由に吟の幅を広げることも大切なことかもしれない。

 歌謡曲の世界で、私などは演歌でなければ駄目みたいな古さがあるけれど、今の世代はポップス全盛だ。歌も吟も心の表現です。素晴らしいものは素晴らしいのです。変なこだわりは進歩に逆行することになるかもしれない。

 何か変な方に話がとんだ。
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 福祉センター詩吟  氷雪の門をやりました

2015-01-13 19:20:54 | 詩吟関係
 星野哲郎作の「氷雪の門」を先週に続いて今日もやってきました。

 北詩連全道吟剣詩舞大会の地方大会の最後となったのが稚内でした。北詩連に加盟してまだ3年目でしたが碌峭会として大型バス一台を借り切って一泊で参加させていただいた思い出は今も忘れることができません。前日観光で氷雪の門にも行ってきました。稚内支部が 構成吟で氷雪の門の詩舞を披露されたのも記憶しています。

 南の白百合の塔、北のの氷雪の門、本当に痛ましい歴史です。それにしても真岡の9人の乙女の最後は、戦い自体が理不尽なものでしただけに何ともやりきれない思いにさせられます。

 日露戦争の意趣返しのような戦争だった。8月15日にポツダム宣言を受け入れ、敗戦が確定し、武装放棄に入っている日本に宣戦布告。これは勝利は初めからわかっているのであって、いわば侵略戦争だったのだ。樺太を取り返し、千島を取り返しただけでなく、日本固有の択捉、国後などを取り上げたのだ。今領土返還の交渉を政府はやっているけれどまず返すことはないでしょう。  
 あのウクライナでのやり方は近代的侵略戦争だ。今や北方領土もソ連人によって開発されている。そんな実効支配地を返還することなど全く考えられない。二島返還もだめなのかもしれない。

 日露戦争を開戦しなければならなかった理由は、ロシヤの極東進出が既に遼東半島まで鉄道を敷き、旅順を太平洋艦隊の軍港とし、さらに朝鮮半島にその手が伸びていて、このままでは日本もロシヤに侵略されかねない状況があって、やむなく起こした戦争だった。この戦争のおかげで遼東半島は中国に戻り朝鮮半島は残ることができたのだ。確かに樺太の半分を手に入れ、満州での権益を得たのだから侵略といわれるかもしれないけれど、開戦の理由は、終戦後に日本に対して宣戦布告したソ連の理由とは全く違う。いわばソ連の極東における帝国主義を抑えるための戦争だったのだ。

 戦争が終わったとほっとしてた日本に進攻し、略奪の限りをつくし、捕虜として何万もの軍人たちをシベリアに抑留し、シベリア開発の奴隷のような扱いをしたソ連、そんな理不尽な戦争の中で自らの命を絶っていった真岡郵便局の乙女に改めて痛みの言葉をささげたい。
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北詩連 初吟会に参加してきました

2015-01-12 19:02:14 | 詩吟関係
  KKRホテル札幌で北詩連の初吟会が昨日開催され参加してきました。予想通り参加者は100名くらいでしたが吟は51番までで 合吟の人数などを加えるとこの人数になるのです。懇親会は80名ほどで13時15分ころから始まり15時30分くらいで終わりました。

 早い時間なので手稲に帰ってもスナックが開かれるまで時間があります。かなり酔っていましたが汽車で帰ることにしました。汽車に乗ったら稲穂吟友会の方お二人と一緒になりおしゃべりをしながら手稲に着きました。もう少し元気なときはこのままカラオケの店に寄るのですが、その元気もなく、帰宅して相撲と「花燃ゆ」を見ることにして駅からハイヤーで帰宅しました。相撲も「花燃ゆ」も見ましたが、さすがにブログを書く気力がなく書かないままにしました。

 昨日の懇親会で同じテーブルについていた方、ちょっと変わった名前の方で以前から気にしていて吟の時、この人なのだと確認した方がいました。その方がお酒を注ぎに来てくれて、その時ブログ更新されていますかと声をかけてくれた。ブログ見てくれているのですが、詩吟関係のブログの方を見てくれているようでした。詩吟関係のブログ今更新していないのです。詩吟関係もGOOのブログにカテゴリーで分けて書いているのです。それにしても意外な人が私のブログを見てくれているのには驚きました。

 吟の方は予定通り「九月十日 菅原道真」を一本で吟じました。心配していたように声がつつきません。息継ぎに終われる吟となりました。歳ですね。でもまあまあでしょう。

 俳句の会「薺」の指導をされていたT先生が退会されました。そのあとの会どうなるのかと気になっていました。私の会からも四名ほど参加していました。今まで北詩連に加入して指導者として活躍されていた方ですが、北詩連を離れられたのですから、北詩連の会員がほとんどで構成されていた「薺」をそのままお任せするのはどんなものなのかと思っていました。話の模様では北詩連の会員は引き上げる方向で動いているようです。

 私も俳句を教えてきました、ただ詩吟学院でやってきた節を使ったのですが、今の吟会の調子とやや違和感があるので、お弟子さんが「薺」に誘われ加入していたのだと思います。声の調子を変えるだけで違和感なしでできるはずですので、これから改めて指導に当たるつもりです。

 
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明日は北詩連初吟会です

2015-01-10 18:56:20 | 詩吟関係
 毎年のことですが今年も1月第二日曜の明日kkrホテル札幌で10時から北詩連の初吟会が開催されます。私も参加することにしています。例年70名ほどの参加で13時過ぎから新年会となります。

 今年は碌峭会からの参加は少なくなりました。ちょっと寂しいけれど仕方がありません。私は「九月十日」をやることにしました。しばらくやっていませんが懐かしい詩です。最近肺気腫が進行して息がつづきません。二本をあきらめて一本にすることとしました。今更、気張ることもありません。体に無理のかからない程度で楽しむことにします。

 昨日、手稲第二教場でoさんが,年賀状に書いた私の漢詩を読み下し、解釈をしたものをプリントして私のところへ持ってきて、これで良いかと尋ねてきました。少し訂正してあげましたが、こんな方もいることをとてもうれしく思いました。多くの方は読む努力もしなかったのではないでしょうか。それほど自慢のできるような詩ではありません。でも共感してくれる人もたまにいるので書いた甲斐があります。こんな方もいました。私の年賀を見て、私の漢詩を年賀状に筆で書いて返信してくれたのです。読んだよという証拠でしょうか。

 さて、明日はお酒の席になります。この頃、飲んだ後が今までと変わってきていて、ちょっとつらい思いをするようになってきています。飲まないで済ますことはむつかしいのでしょう。結局手稲に帰って二次会まで付き合うことになるのでしょう。今回をこれからの指標にしてみます。
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新会員誕生  手稲第二教場 うれしい!

2015-01-09 18:51:25 | 詩吟関係
昨年12月の中ごろ電話があり、20日の平和教場の見学に行きたいという申し出があった。丁度20日は納め会で稽古はなく食事会になるのでその旨を話したら、手稲の教室は?という質問もあった。それで、年明けてから三つの教場を見学して気に入ったところにお入りになっては・・・と話して終わっていた。

 今日の手稲第二教場が最初の教室です。ほとんど期待しないで出かけたのですが、教室に入ったら見学にいらっしゃっていて、昨年の電話の方だとわかりました。会員名簿をお渡しし、三つの教室を見学されて気に入ったところへお入りになって結構ですと話して、お名前を聞きましたら名前住所を書いてくださいました。昭和22年生まれの方でした。

 前半の稽古が終わったところで、ちょっと触れてみましょうといって「富士山」を私と一緒に吟じてみてもらいました。終わって休憩時間に確かめたら手稲第二教場に入会することにするという話となりました。新年早々新人ができたことはとてもうれしいことです。しかも男性であることもうれしいことです。

 どうして私の教室を知ったのかと尋ねたら、インターネットで調べたのだそうです。私は早くに札幌市の文化講座案内に登録していました。それにこたえてくれた方がこれで二人目になるのです。最初の方は白石の方で、白石での詩吟の教室を紹介してほしいといういうもので、その方も男性で紹介してあげた教室で大変活躍されていました。今回は北区の方が見てこられたのです。

 もう忘れたような案内文がまだ生きていたのには驚きですが、やはりこのような活動が普及には必要なのだと確信しました。

 新会員の獲得に随分苦労してきましたがこの二年で7名ほど増えました。どこの会も苦労している中でこれは大きいことかもしれません。

 
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昨夜の暴風雪 心配だったけれど

2015-01-08 18:58:02 | 身辺雑記
  夕べは19時にロードヒーティングのスイッチを入れておいた。夜中すごい風音が聞こえていて、どんなことになっているのか心配だった。

 朝外を見たらロードヒーティングの入れてある部分は舗装が出ている。よく見ると車道部分にブルトーザーが寄せて行った雪がたまっている。でもそれほどの量でないので自分でゆっくり片付けられると思った。8時15分すぎてから片付け始めたらいつも手伝った下さるKさんが来てスノーダンプで瞬く間に片付けてくださった。私はスコップ10杯くらい捨てただけで終わった。本当に感謝です。ありがとうございました。

 排雪の業者、この冬二回目の作業に来ました。夕べの雪も含めて、塀のそとに山になっていた雪が消えました。また雪の捨て場ができたのですが、今は歩くのも厳しい状態なので雪を押してゆくことに耐えられるかどうかです。

 今晩も天気予報ではかなりの雪が降ることになっている。先ほど外を見たらまだ玄関前の舗装が出ているので、寝る時もう一度外を見て危なければヒーティングを入れて寝ることにします。

 今すぐ近くに高齢者向けの賃貸マンションが建てられていて、魅力的なのですが、家の中の荷物、畑などのことを考えるとちょっと二の足を踏まざるを得ない。雪だけが問題なのです。スコップを力を入れて使うとたちまち心臓が止まるみたいになります。本当にユックリユックリやるしかないのです。それを見かねて手伝いに来てくれるのです。いつまでも甘えていてよいのでしょうか。

 11日は北詩連の初吟会です。吟はあまり心配していませんが、懇親会でお酒を飲むべきか迷っています。この頃酔って歩くことがひどくつらいのです。飲まなくても歩くのはつらいのです。なら飲んで最後はハイヤーで帰ればいいのかもしれません。

 こんな悩みが出ている。やっぱり85歳です。
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