手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

大声で笑ってみたい・・・

2015-06-06 20:59:20 | 身辺雑記
 笑いがあって悲しみがあって、楽しいことかあってつらいこともある、それがなくちゃ生きていることにならない。

 今の自分は口を開いて大声で笑うことなどは縁遠くなっている。こんな時、落語でも聞くと笑えてきっと楽しいのだと思う。落語でなくてもそんな機会を作ろうと思えば作れるのでしょう。だけど今はそれほど楽しさをもとめる状況ではない。

 気がかりなことが胸の中に鎮座していて、あれこれ心を使っている。これは生きている証しだし、やる意欲も失われていない。それも自分一人の問題でなく、大きなつながりとなっているのだから、これは喜ぶべきことなのだ。

 歳をとるに従い、人の輪から次第に外れてゆく。人と談笑する機会が少なくなる。その点私は幸せなのかもしれない。詩吟で常にお弟子さんと対話しているし、カラオケで楽しむこともある。

  友達と酒を飲んだ楽しむ機会が無くなってきたし、あれだけ好きだったパークゴルフもできなきなくなってきていて、生きている幅が狭くなってきている。

 時々、大声で笑いながら、酒を酌み交わしたいなんて思ったりするけれど、それも今は郷愁みたいなものになっている。
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創立30周年記念吟道大会実行委員会終わる

2015-06-05 19:10:10 | 詩吟関係
 本日手稲第二教場が終了してから、実行委員会を開催した。

 95名の参加をいただきホテルで大会を開催するのですが、結構面倒です。お弟子さん任せには行きません。このような大会の経験のない方ばかりですし、集まる人について全員顔と名前が一致できるのは私だけなのです。

 結局準備の90%以上は私がやることになりました。行き届かない面も多いと思いますが、とにかく必死で頑張りました。16ページのプログラム、編成から校正までやりました。特に間違いがいままだ出てきていないからまずまずといえそうだ。会場の席順、懇親会の席割も作り上げ印刷して実行委員会で承認してもらいました。

 司会の原稿も司会者に今日渡してそれぞれの担当も決めてもらいました。

 昼食のメニューが届き、クレームとなりました。何と幕の内を用意していたのです。簡単に食べることのできる「海苔巻きと稲荷づし」にしてもら交渉をお願いした。

 いよいよです。私の吟歴の最後を飾る大会になるでしょう。会員の皆様もよくやってくれています。感謝です。

 本当なら写真も撮りたいところですが、やめました。時間も費用もちょっと大変なのです。そんなことを言えない立場なのですが。

 90番まであります。中に日舞とか長詩が含まれていますので、時間の予想がむつかしい面もあるのですが。多分15時30分には吟が終わると思います。そうなれば予定通りで万歳なのです。

 いよいよ迫りました。私だけはやはり袴を着用しなければならないのでしょう。あまり着用したことがないので疲れそうです。
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山菜をいただきながら

2015-06-04 21:13:53 | 身辺雑記
 先日山ウドを購入してきて味わった。独活だとか蕗なんかは買うものと思っていなかったのに80歳を過ぎてからは買ってたべることになった。

 80歳前までは毎年月形まで出かけて、いろいろな山菜を取ってきていた。食べるのも楽しみだけれど、静かな山間の空気を揺らして聞こえる鶯の鳴き声を聞く楽しみもあった。。

 5月の連休頃に行者ニンニクを取りにゆき、20日過ぎ頃には根曲り竹の筍と蕗、独活を一緒に採って来たものだった。

 これが老いるということなのでしょう。あの山の空気が郷愁のように迫ってくる。
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失敗はつきものだけど

2015-06-03 20:53:49 | 身辺雑記
 6月14日に私の詩吟の会の創立30周年記念大会を開催する。実行委員会は立ち上げたけれど、事務的仕事は私が全部やっている。

 何とか最後の打ち合わせの準備まで来たけれど、これまで資料などの作り直しどれだけやったか、エプソンのプリンターインク黒三本目になっている。用紙の無駄も人に言うのも恥ずかしほど使っている。初めてやることだから仕方がないのだけれど、もう少し気をつければいいの、印刷終わって気が付いて、50枚作り直すとか、まあまあ我ながら情けない。

 せっかく作ったのに気に入らなくて作り直す、手間もかかる、用紙もインクも無駄になる。

 まあ、こんな苦労もこれが最後だろうし、それで大会が成功できればよかったということになるのでしょう。

 無駄はあったけれど、その甲斐があったといえる終わり方になりたい。
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ロッテ 逆転勝利 オゥ!!

2015-06-02 21:50:17 | 野球
仕事をしながら隣の部屋のテレビを時々見ていた。9回表2アウトになってもうだめと思った。だけど根元がヒットで出塁。次が清田、何とかしてくれと思ってみていた。ショートゴロだと思った。何ととんだ位置が良かったのかヒットとなった。次が2番の鈴木、2回も番と失敗をしている。何とかしなさいと思っていたら、ファーボールとなった。満塁になった。そして3番角中に回った。もしかしてと思っていた。ツースリー、何とか4球でもと思っていたらなんと満塁本塁打になってしまった。まさかまさかの大勝利になった。

 今日は、パシフィックの勝利はロッテだけだったみたいだ。ロッテ貯金ができた。凄い!!明日も勝て!!
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教科書に出てこない歴史を見つめる目

2015-06-01 19:32:04 | 無題
  昨日だったでしょうか、寝る前にテレピで話されていたことになるほどと納得した。戦後の日本の復興の速さ・・・私自身も凄いことだと感じてはいたけれど、なぜそれができたのかまでは考えなかった。ただ、日本人の才能と素晴らしい対応力のようなものがあってと漠然と考えていた。

 テレビで話されていたことは、あの戦争の中で日本の技術力が高められその力は失われないで残っていたからだというのだ。あの戦争に対応する高度の技術開発、生産性の向上など、物はなくても作り上げる努力が積み重ねられていて、特に優れた技術者たちは兵隊に取られなかったのだという。戦時産業に向いていたものが平和産業へと転換した時それを推し進める頭脳と技術があったということなのだ。

 日本人の素晴らしさは、積み重ねられた教育の成果なのだが、そこを読み解く視点がむつかしい。明治維新が、全国を配下にしていた徳川幕府を転覆して成し遂げられたのだけれど、戊申戦争で戦争らしい戦争は会津との戦いくらいだった。江戸城が無血開城された。

 薩長が官軍として維新を成し遂げたその陰には、新しい武器が大量に薩長に売り込んでいた、外国の姿がある。ある方の説によると、武器を薩長に売って儲けるという裏で、日本が内乱状態になるのを待っていたという。一つには戦には武器が必要、武器を売り込める。内乱状態で国土が疲弊したらそこにつけ込み日本を属国にする魂胆も有ったのかもしれない。しかし、日本人はそんな裏側も感じ取っていたのかもしれない。勝海舟が江戸城無血開城へと向かわせたのは、内乱を避け、外国に隙を見せない大きな展望に立っていたといえそうだ。

 日露戦争も戦争に入らなければならないように仕組まれていたと言えるかもしれない、最後の戦争も起こさざるを得ないように仕組まれていたように思う。そして。、それが敗戦で明治以来突き進んできたファシズムからの脱却へとつながった。そして、見事な復興を成し遂げた。

 今、国会で問題となつている集団的自衛権、自主的な発議でなく、どこかからの力がそんな方向へと向かわせていないといいきれるのだろうか。こんな時こそ、日本人の知恵が生かされるべきでしょう。たとえ集団的的自衛権が確立されても、使い方でしのぐ知恵はあるはずだ。
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