手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

漢詩づくり  

2018-07-08 20:52:07 | 詩吟関係
  もう20年以上前だったと思う。漢詩づくりの講座などが開かれ、詩吟をやる人は漢詩を作れなくちゃ駄目だといったような勢いで皆様その講座に参加されていた。私はその流れに入らなかった。

 唐詩をその作法に随って作る。定型詩の作法、特に平仄法を重視して漢詩を作る。これは漢文を白文で読める力のある方ならまだわかるけれど、短い漢詩だって中国語で読むことの出来ない人が、作るのは無理な話なのだ。折角、苦心して平仄を揃えても、中国語で読まない限り平仄からくるリズム感は味わうことができない。

 詩歌には定型と自由詩がある。詩歌の歴史の中で、定型でなければ詩歌でないみたいな時代もあったが、現代では、俳句、短歌で定型を守っているところはあるけれど、散文詩は定型の時代は終わっている。俳句、短歌でも非定型で認められている。

 現代は自由詩の時代なのです。漢詩から平仄を省いて、五・七を基調として押韻、音数律だけを定型にした詩を作るほうが、もっと良い詩ができると思うのだが、無理やりに平仄を合わそうとして、とてもひどい言葉使った詩を幾つも見せられて、それを違和感なしに受け入れていることにおどろいている。

 
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百人一首

2018-07-07 18:27:18 | 随想
 先日詩吟の教室で、「百人一首」の読みて手となって、読んだのを覚えているかと聞いてみたら、読んだことがないし、わからないという答えだった。北海道の「下の句カルタ」誰もが経験していることとおもったりしたが後期高齢者でもやったことのない人が結構多いのに驚いた。

 私は小学生のころから正月の遊びとして覚えてきた。下の句を読んで、下の句を書いた板の札を取る。それを特におかしいとも思わないでやっていた。ただ、私は読み手になることが結構好きだった。試合開始の時、一枚を空読みをして本番に入ります。その時普通は「まずは空読み一枚」といって下の句一枚を読みます、そして二枚目から本番になるのですが、私が読み手になったときは、一枚目を上の句から読んであげるようにしていました。そして、できるだけ自分で上の句も覚えようとしていました。

 一度だけ、上の句から読む本来のカルタ会をした経験があります。札幌西陵高校の現役の時、学校の公開講座で私が「百人一首の解釈と鑑賞」という講座を開いた時のことです。10数名の方が受講してくださったのですが、中に本州で育って、子供のころ上の句カルタをやったことがある方がいらっしゃった。この講座の打ち上げで、食事会をすることになり、その折みんなで上の句カルタをやってみましょうということになった。やはり経験者にはかなわなかったけれど、結構楽しむことができた。

 下の句カルタは北海道の風土に合っていたのかもしれない。上の句からだと和歌百句を暗記しなくてはならない。大変手間がかかる。手っ取り早くとなれば下の句カルタだ。暗記力の強さは言うまでもないけれど、感の鋭い人にかなわない。数枚になって二人が最後の勝負をするそんな時、次に読まれる札の頭の文字のアクセントが頭高型か平板型かで読み手の読みの余韻の最後が微妙に変化するその変化を感じ取って取るような凄い人がいる。そんな感覚を研ぎ澄ますために、畳をばんばんと叩いて気合を入れたりする。まるで格闘技のような感じさへ出てくる。「ひやくにんいっしゅ」が正しいけれど「ひゃくにんしゅ」で通ってきているのも北海道らしい。
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こんな性格は嫌われるようだ 

2018-07-06 19:56:00 | 無題
 私は自分の所属する団体の間違いがひどく気になる。最初に詩吟で加盟した 象堂流では、教本の誤字や解釈の間違いなどがひどく気になり、自分で全部チェックしていた。そして、宗家に改めて私に教本の問題個所をチェックさせてくれないかお願いしてみたけれど、わからない理由をつけて断られた。一流派の教本は流派の顔です。間違いだらけではその流派の資質が問われることになる。傷だらけの顔をさらすことになるのです。私の 象堂流に対する思いはこのあたりから変わってしまった。そして。20年目にしてお弟子さんともども退会させてもらうこととした。

 同じようなことが、新しく所属することになった現在の流派についても不信感を持たざるを得ないことがあったりする。最初のころはアクセントの使い方が極端で、そんなな読み方は日本語でないと言い張っていた。しかし、聞き入れられなかったが、研修会で中央の吟士を招き、その吟を聞いたら私の主張は聞かれなかったけれど、その講師の吟を聞いて変わった。また、ある問題集を出していて、それを見たら間違いが随分目についた。それで何か所かについて意見をまとめて検討してくれるように頼んでみた。これは聞き入れられ私の納得できるように改められた。そのあと、私に短歌の部分について助言を頼まれることがあった。その時たまたま、教本に出てくる短歌の解釈と鑑賞の研修会の講師をすることになっていて、私の講義を聞いた後、手を入れることにしてくださいといってその場は引いた。私の講座の中から大きな問題を拾い上げ問題集の再校正をされるかなと思ったけれど、そのままになった。又別な問題でもそれは間違いですといったけれど、聞き入れてくれない方が多い。明らかな間違いなのです。それを通すことは自分の顔に泥を塗る野と同じだとおもうのです。

 判っても黙っているのが利口な生き方なのでしょう。どうも私はそれができない。間違いを指摘して得意になるつもりはない。自分の所属する会の傷は治した方がいいと思う。それだけのことなのだけれど、どうもそうは見てはくれないのが世の中なのかもしれない。詩吟について偉そうなことを言える実力も見識もあるわけでないけれど、そんな私にさえ見える傷はほんとうの傷だと思う。
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手稲老人福祉センター 詩吟講座27年

2018-07-05 19:18:14 | 詩吟関係
  改めて福祉センターの詩吟講師何年になるのか振り返ってみた。私が定年退職した年からだから、多分27年目になっているのだと思う。まだ詩吟の教室を持ってから5年くらいしか経つていなかったと思うから、詩吟の技量もかなり低かったと思う。一方、講座に参加してくれた方は30名を超えていた。その受講者には、他の流派で経験を積んだ立派な技量の方もたくさんいらっしゃっていた。そんな中で指導を継続し、今日に至っている。

 自分ながらよくやってきたと思う。ただ、普通の先生と違っていたのは私が高校の国語の教師だったということでしょうか。当然、漢文、漢詩の理解は普通の先生に劣らなかったということと、まだほとんど普及していなかったコンタ゜クターを弾いて教えることができたということかもしれない。

 詩文の解説、関連する歴史の解説もほかの先生に引けを取らない自信があった。今でも、先生の話が楽しみで来ているといってくれる方が沢山います。
 
 詩吟という芸能を学ぶこともさることながら、詩吟を通して歴史を学ぶことができるということになりますから、老人福祉センターの果たす生涯学習の目的にしっかり根を置いた指導をしてきたと自負できる。
 
 今詩吟人口は極度に減少しているが、それでも20名ほどの会員が受講をつづけて呉れている。とても楽しく教えています。
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福祉センター詩吟

2018-07-03 19:44:26 | 詩吟関係
  朝から雨の日です。それでも大雨とはならず出かけるのにそんなに苦にならない雨のようでした。 それでも老人ですから何人来てくれるかといつもの通り心配しながら出かけました。会場に入ったら熱気に満ちている。雨にもかかわらず結局20名の参加がありました。

 嬉しかったことがあります。私の会にいて、数年前に退会のような形になっていた斉藤洋子さんが来てくれました。それと新人の中に入る二人が今日も顔を見せてくれました。

 20名ですと解説等で時間をあまりかけられません。前半は「鏡に照らして白髪を見る」全回後半にやった吟題をもう一度やりました。いつもの通り、素読を全員でやって、範吟の後男女別に二回づつ 合吟をしてもらって 独吟をやってもらいました。丁度予定の時間で終わりました。10分間の休憩を置いて「府西の池」をやりました。素読の後、内容を確認して、範吟、続けて私について合吟をしてもらい、男女別に 合吟二回づつやってもらってから独吟をやってもらいました。とても楽しい稽古になりました。

 最後に梶尾君が競吟大会で準優勝したことを紹介してあげました。梶尾君は今西野さんが休んでいるので、みんなの世話役をやってくれているのです。みんなから暖かい祝福がありました。
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北詩連  競吟大会  準優勝が二人  指導者の連吟で市橋さん入賞

2018-07-02 18:33:52 | 詩吟関係
  碌峭会からは、二部に一名( 峭燿会)、三部に一名(谺)、四部二名(手稲)、五部一名(谺)と更に指導者の資格所持者の連吟に口岩、市橋の二名が参加しました。

 今年の参加者は例年ななくとても迫力のある吟が多かった。かなり入れ込んだものと思います。ほとんど予想の範囲の成績でした。三部の石田さん、先日の交歓吟詠でも喉の具合が悪く、声が割れていたので心配していました。まだ完治していなく準優秀で終わりました。また四部に梶尾、勝呂の二名が参加しました。梶尾君については三位以内は確実と思っていました、結果は準優勝。これで三年連続準優勝です。勝呂さん、吟題の選択間違った。最初の一行がままならず、乗りかけた船だからといった出演で最悪でした。五部の安達さんはそつなく吟はこなしていましたが、力不足は否めませんでした。指導者の連吟、市橋さんのグループが入賞となりました。碌峭会、去年はトロフイ3本だったのですが、今年は二本、残念ですが、ますまず頑張ったことになると思います。

 この後8月までは特別のことがなく、平常の稽古ができます。
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