釣・食・感

釣行記録と釣魚料理、雑感等をつらつらと。

【感】潮と魚の関係を考える

2016-04-14 12:11:00 | 雑感
3月18日、20日と中1日で野毛屋さんで連釣したものの、潮が行かずに2日の合計でショウサイフグ3匹という貧果に終わった。
船釣りを始めて以来、こんなにも潮が動かなかった経験はなかったな。


(こちらは横須賀沖。)

釣りを趣味としていれば「潮が動かないと魚は食わない」とか「潮止まりは釣れない」は耳にしてるし、常識として捉えていること。
じゃあ、その理由は?というと、色んな説があるようだ。

潮が動くとプランクトンが動いてそれを補食する小魚が動く、すると小魚を補食するフィッシュイーターの中魚が動く、するとそれを補食する大魚が・・・
という食物連鎖に直結した説明をよく目にする。

他には、潮が動くと魚の食欲のスイッチが入るから。とか。でもこれは理由じゃなくて生態の説明だな。
この理由にあたる説では、潮が動くことで魚のエラを通る流水量が増えて、酸素取り込み量が増えた結果、活性が上がるから。ってのもある。

確かに、これまでの釣りの経験で潮止まりは釣果が少ないのは事実として頷ける。


(前回は1匹だったし。)

しかし、ショウサイフグに関して言えば、プランクトン食ではないし、小魚も食べない。海底にいる甲殻類等をエサにしているから食物連鎖の線は薄いと思う。

そして潮止まりに魚が全く釣れないかというと、そうではなく、数は出ないけれど釣れたりする。前回もそうだった。だから、潮の動きで補食のスイッチが入るというのも、それだけではなさそうだ。


(動かない潮でも釣り揚げた。)

そこで考えた。

魚は潮流に逆らってその場に留まる努力をするより、流れに任せて泳ぐ方が楽なはず。人が流れるプールで流れて楽しむのと同じで、わざわざ流れに逆らって疲れることはしないだろう。
泳いでいればエサに出会うチャンスが増すからヤル気も出て、積極的にエサを食う。

潮が動かなければその逆で、魚は泳ぐよりもその場に留まる方が楽だろう。下手に動いて体力を消耗するより温存を選ぶだろうて。人も電車が止まっていれば、無理して歩かずに動くまで駅で待つしね。

つまり、潮が動かないと潮流に乗った魚の回遊がないから、同じ場所で釣りをしている限り、新たな魚に出会えない。だから釣れないのではなかろうか。

潮止まりであっても魚が留まっている場所にピンポイントでエサが入れば、魚はきっと食わずにはいられないから、その場合は釣れる。

そういうことではなかろうか。

だから、前回、前々回の潮が動かない時のショウサイフグ釣りでは、船下ではなく幅広くキャストして居場所を探り、ピンポイントで食わせなければならなかったんだろう。
そう結論づけた。

どの説も人が考えたことなんで、トドの詰まり、本当のところは魚に聞いてみないと判らないんだけどね。



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【食】ショウサイフグの刺身・薄皮の湯引き

2016-04-10 21:47:00 | 釣魚料理
野毛屋さんへ連休中に中1日で2回釣行して、釣果はショウサイフグ3匹という貧果。

母親と妹夫婦に刺身を味あわせるために、3匹を薄く、うすーく下ろして数を稼ぐ。


(何とかこれだけ切り出した。)

薄皮は湯引きしてポン酢で和える。


(プリッとした触感がいい。)

量は少なかったけど身質、味ともに上等だったな。
「江戸前超最高級極上飛び級スペシャルブランドショウサイフグ」と健船長が宣うだけのことはある。流石だ。

少食の母親も喜んで、大食の妹は数切れを一辺にパクついて、フグなんて久しぶり、と大喜び。

「今度着払いで送ってよ。」

とまで言ってきた。
送れるだけ釣れたらな。
その前に投資して貰いたいもんだ。

マゴチを取れてたら余裕の食卓だったのに、3匹で何とか皆で満足できるくらいになって良かった。
ショウサイフグに感謝。

・ショウサイフグの刺身
・ショウサイフグ薄皮の湯引き


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【釣】ショウサイフグ 3/20(野毛屋)「ダブルショック」

2016-04-06 12:11:00 | 釣り
連休中日、3月20日(日)に野毛屋さんへリベンジ釣行。2日前の貧果に釣果を上乗せするミッションを担い、気合いを入れて5:40に現着、左舷艫2番に収まった。


(雲が厚いのが気になる。)

出船前に準備をしてると案外風が強い。予報じゃ横須賀で3~4mだったはずが時折7、8mは超える風が吹く、いやーな感じ。
いざ出船となった時、船長から現地は14m吹いてると伝えられ、全員キャビンに退避するよう指示された。
大貫沖に着くまでうねりで船はドッタンバッタン。釣り座もバシャーと潮に洗われる。退避してなければ、船上のどこに居ようが頭からずぶ濡れになったろう。行きからこんな状況は初めてだわ。


(少しうねってるけど釣り開始。)

大貫沖に着くと、北風は強いが陸が遮るのでうねりは弱まるから、釣りには支障なし。
アンカーリングして釣り開始。

カットウの上に胴突き2本針を付けた仕掛けを落とした途端、ドキッとした。

・・・潮が全く流れてない。2日前と同じ状況だ。
(´д`|||)

瞬間的に今日も厳しい闘いになることを覚悟した。

誘い続け、キャストもし、手を変え品を変えても、やはり音沙汰ない。2日前の再現のようだ。少しでも周りにいるショウサイフグを寄せてくるためにキャストを中心に愚直に誘い続ける。

誘い続けて2時間。前触れもなくサクッと掛けた。


(9:55に1匹目。)

案外早いうちに型を見れたんでホッとした。でも相変わらず潮は流れてないから、たまたまそこにいた1匹を掛けたんだろう。

その後は読みどおり厳しい状況が続く。ごくたまにエサをかじられるけど、時間が開きすぎてて集中力が続いておらず、アタリが取れていない。
他にチップと巻きバレが各1回つづ。これを取らないといけないのに、取れない。


(波・風は治まってきたけど潮動かず。)

午後になり1時過ぎ。突然だった。

誘いにガツン!という強烈な手応え。
一気に巻くと竿先がグイと入った。かなりの良型のようだけどフグとは違う引きの感覚。構わずゴリ巻きすると素直に揚がってくるから、エイじゃないはず。

水面に見えてきたのはマゴチ!
しかも50cmを超える良型だ!

「マゴチだ!でかい!」

大艫の方が声を上げてくれた。

「船長!マゴチー!」

自分も声を上げる。

水面に浮かせて見ると、顎の下にカットウ針が掛かってる。でも3本のうち1本だけだから抜き上げは無理だろう。

「船長ー!タモお願い!」

操舵室から慌てて出てきた健船長がチラとマゴチを確めてタモを取りに行った。

アカメフグ狙いならタモが外に用意されてるけど、残念ながらショウサイだと船室の中。出してくるだけでも時間が掛かる。

幸いマゴチは大人しくしてくれてる。テンションを掛けたまま水面に浮かせた状態で待つ。まだか、まだかと、時間が長く感じる。

船長が駆け付け、タモを入れた正にその時、マゴチがゆらゆらと水面から沈んで行った。健船長が腕を伸ばして掬おうとしてくれたけど届かず。

あーっ‼と船中がどよめいた。

無念の水面バラシ。
。・゜゜(ノД`)

「残念。デカかったなー。」

と船長。

カットウを見たら掛かってた針が伸びてた。それで外れたんだな。

これが本日のクライマックスだった。その後ショウサイの追釣もなく沖上がり。
リベンジのはずが返り討ちに会ったのもショックだけど、良型マゴチのバラシが更にショック。

こんなことならマゴチは掛からなければ良かったのに。掛かったがために、余計に悔しい思いを噛み締めた。
マゴチ取りたかったなー。

まあ、これも釣り。
楽しいことだけじゃないからこそ面白い。

・ショウサイフグ : 1
中潮
船中0~11



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【感】桜並木でお花見散歩

2016-04-03 21:52:00 | 日記
桜の満開宣言を受けてのこの週末に、近所でかみさんとお花見散歩。


(接写。)

地元の駅から隣駅までの川沿い約1kmに樹齢40年のソメイヨシノの並木があり、見事な桜を鑑賞できる。
毎年お散歩しつつ桜を愛でるのが恒例になっている。




(スマフォのカメラ性能がイマイチ。)

残念ながら、曇り空で途中ポッポッ降られる天気でお日様が出ていないから、花びらの綺麗な桜色が今一つ映えない。
晴れてたら、両岸から川を被う桜と川面に映る桜で、見事な桜のトンネルを橋の上から鑑賞できるんだけどね。


(苔むす枝もいい。)

天気が良くなかったからか、時間が遅かったからか、屋台がほぼ店じまいしてた。桜を見ながら焼きそばやたこ焼きを食べるのも楽しみだったのにちょっと残念。

行きは右岸で帰りは左岸。桜を見ながらぐるっと一周。

一年後にまた見に来ましょう。
晩酌用のビールを買って帰った。



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【感】ブログ開設半年経過

2016-04-01 22:15:00 | 雑感
釣行記録の管理として始めた当ブログが4月1日の今日で開設180日、月30日換算で半年目を迎えた。

スマフォを買い替えて、それまでの釣行記録用のアプリがなくなったのをきっかけに立ち上げて、初めはどうなることかと思ったけど、それなりに軌道に乗っただろうか。

とはいえ、10年選手のブロガーがわんさといるこの世界でたったの半年だから、まだヨチヨチのバブちゃんってとこだろうな。


(画像に困ったら富士山を出す。)

いざ始めてみると、実用面の釣行記録としてだけではなく、つらつらと思いのままに文章を書き綴るというのは、日々の暮らしの中で新たな句読点となった。

また、それを見てくれる方々がいるということ、更に読者登録して下さっている方々が居られるということは、何かを認めていただけちゃったように感じていて、普段誉めることこそすれ、誉められることがめっきりなくなった身には、とりわけ家庭で埋めてもらえなくなった小さな承認欲求を満たしてもらえているようで、とても有り難い。

これからも、つらつらと綴って参ります。



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