瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

思考と指の動き

2006年11月08日 | 瞑想日記
◆思考と指の動き
昨日「文章を考えながらキーボードを打つとき(つまり思考中)でもサティが入ることは先日気づいた」と書いた。これに対して読者の方から、「これは、どうやったら出来るようになるんですか? 『思考』をぶつ切りにしてしまったら、考えがまとまらないように思っていました」というご質問があった。

これについては、補足説明が必要だと思っていた矢先だったので、日記の方に書きたい。人によるのだろうが、私の場合は、ある程度考えてはキーボードを打ち、打ち終わるとまた考えるということを繰り返しているようだ。少なくともキーボードを打っているときには、そのことにしっかりと意識を向ける。ひとつ一つの指の動きに気づきながらキーボードを打つ。それはできそうだ。

サティが入っていないと、思考と指の動作などの区別が曖昧になるが、気づきがあると、今は指の動きだなと、そこにサティが入るということだ。充分できているとは言えないが、ある程度出来そうな感じががする。

少なくともキーボードを打つときには、出来る限り気づきの状態を保ちたい。

◆痛みのサティ(続き)
今朝は、痛みが走る間隔が少し長くなっていた。「お、これなら大丈夫だ」と思った。昨日よりは鈍くなったが、それでも痛みが来るたびに、忘れていたサティを再開、そして継続した。昨日ほどではないにしても、仕事中の細かな動作や、些細なちょっとした心の動きにもサティが入った。

午後は、また「炎症」の感じがやってきて、痛みが継続するようになったが、昨日ほどではなかった。心臓ではなく、しかも治癒し始めているという感覚があったので、昨日に比べ心理的にはるかに楽であった。

それにしても「痛み」を感じるたびに忘れていたサティを再開するというのは、きわめて有効であった。

痛みがなくなっても、それに変わるなにかを設定しておこうと思った。その感覚が来るたびに思い出してサティを再開できるような、合図としての何か。痛みに変わる身体感覚といったら、たとえば肩こりとか。‥‥ちょっと考えておこう。
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