瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

じわりじわりと

2006年11月20日 | 瞑想日記
やはり、じわりじわりと日常の中のサティが増えているようだ。ドアの開け閉め、スイッチを押す、水道の蛇口をひねる‥‥そういう指先や手による単純な動作にはサティをする、と心に決めておくと、そういう動作でサティを思い出し、そこからサティが継続していくことは、やはり多くなる。

動作へのサティが多くなれば、それと連動して想念・思考へのサティも多くなる。動作中に想念に移ればそちらにサティが入ることが多くなるからだ。

今日は行事があって来客への対応などかなり忙しく動いていたが、ふと気づくと動作にサティが入り、さまざまな想念にもサティが入っていた。想念に関しては、それらと「自我」との関係をそのつど意識することが多かった。

想念・思考が生起するたびに、それに気づき、それが「自我」のどのような欲求から生じてくるのかを確認する。それをできる限りやっていきたいと思う。今は、このまま続けていけば、かなりできそうだと感じる。

一瞬一瞬働いている「自我」(エゴ)に限りなく気づいていたい。「自我」を実体として支える根拠などは何もないのだということが頭ではわかっていても、実際には強烈に「自我」に囚われ、優劣意識に一喜一憂し、人の評価を気にしている。そこから出てくる想念や思考にしっかりとサティしていきたい。

もちろん一日の中では、ここに書き切れない様々なことを感じ、考え、気づき、そして変化している。その中のわずかな一端を切り取って文章にする。それが、今日の自分を表現するのにどれだけ適切だったのかは、わからない。かなりのアンバランスや歪みがあるだろう。しかし表現することで確実に自覚化され定着していくこともある。

最近、こうして書くことが以前にもまして大切な作業になっている。
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