瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

考えたい自分へのサティ

2006年11月21日 | 瞑想日記
職場までの歩行中のサティが、仕事に入ってからのサティによい影響を与える。そして帰り、駅までまたサティ。ただし、途中まで、先ほどの電話でのやりとりに影響されて想念が多かった。

想念が多いということは、考えたい欲求があるからだ。その「考えたい気持ち」にサティしたことは、これまであまりなかった。この数日、「考えたい」欲求にもサティを入れるようにしている。すると、気持ちが楽になる。想念に遊んでしまう自分を否定的に捉えることが少なくなり、受容できるようになる。無理に想念を押し殺すのではなく、そういう自分をサティすると、やがて自然に今ここへのサティに移行するようだ。

私にとってのポイントは、考えたい欲求が湧きあがっているその時を捉えて、「ああ、考えたい自分がいるんだな」と、そんな自分に気づいた喜びとともに心中でつぶやくことだ。

今日は帰宅時間が少し早かったので、別の駅で降りて自宅まで20分ほど歩く。その間のサティも楽しかった。

今しがた入浴した。湯船の中ではほんとうにリラックスし、熱い湯の中で様々な感覚が押し寄せてくる。それらに細やかにサティしていく。「気持ちよい眠さ」にサティするときの気持ちよさ。これもまた充実した一時だ。

もう一つ大切なことを書きたかったのだが、一日一テーマの方がよさそうだ。明日にしよう。
コメント (2)
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