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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

中流危機

2022-09-22 | 雑感
9月18日に放映されたNHKスペシャル「“中流危機”を越えて『第1回 企業依存を抜け出せるか』」を見た。

まず、いわゆる中流層の平均賃金がいかに低下したかという数値に驚かされる。世帯所得の中央値は、この25年で約130万円減少したというのだ。

この番組は、技術革新が進む世界の潮流に遅れ、稼げない企業・下がる所得・消費の減少、という悪循環から脱却できずにいるこの国の現状を踏まえ、厳しさを増す中流の実態に迫り、解決策を模索する……というのが主眼であるらしいのだが、その大きな要因が“企業依存システム”、社員の生涯を企業が丸抱えする雇用慣行の限界だった、としていることにまず大きな違和感を抱いてしまった。

そもそも番組タイトルの「企業依存」という言葉自体に少なからぬ抵抗を感じてしまうのだが、誰もが企業を離れて転職を重ねながらキャリアアップできるわけではない。
私は雇用に対して古い意識と価値観を持ち、そこから脱却できないタイプの人間と言われても仕方ないのだが、企業にはやはり雇用主としての責任があるだろうと思ってしまう。
 
この番組は続く第2回目でも同じテーマを深掘りするようなので、この問題に対しどのような解決策を提示するのかまだ分からないのだが、1回目を見た限りでは、何を問題視し、焦点を当てようとしているのか、どうもピントがずれていると思わざるを得ないのだ。

従来の雇用慣行は本当に切り捨てるべきなのだろうか。企業依存は本当に悪いことなのだろうか。
内部人材の能力を育て引き出すのではなく、能力の高い人材を外部から登用することが本当に解決策になるのだろうか。
根本的問題は果たしてどこにあるのか。

社会全体が負のスパイラルに陥り、企業が人間を切り捨てる方向に向かわざるを得ないような体制になったのは、そうなるような政策を政府が取ったからなのだ。
その結果として現状があるのであれば、やはり政治の間違いと無策ぶりは告発しなければならないだろう。

人材育成はすべての基本である。人が育たなければイノベーションも起こらない。業績もあがらない。
企業にとって人材育成は最大のミッションであると言い切ってもよいのではないか。企業理念の根本に置くべきテーマであると私などは考えてしまうのだが、それはお花畑的発想だと断じられてしまうのだろうか。

企業が衰退し、人を育てる力も余裕もなくなってしまっているのなら、それを補完する機能を政府がしっかりと将来への投資として制度設計すべきなのだ。
働く人々へのセーフティネットの構築は急務であり、スキルアップのためのシステムづくりは喫緊の課題である。

そしてそれは今からでも決して遅くはないのだ。


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