75年前の8月9日午前11時2分、米国の爆撃機B29に搭載された原爆「ファットマン」が長崎市に投下され、瞬時に7万人超の市民が犠牲になった。
原爆の投下目標は小倉(現在の北九州)の陸軍造兵廠だったが、小倉の空はカスミがかかり予想外の目視確認に失敗し、「ファットマン」を搭載したB29は次の目標地長崎に向かった。
当時10歳のわたしは、小倉から約4キロほど離れた、戸畑市中原に住んでいた。原爆が小倉に投下されていれば、当然被爆し、その後どうなっていたかわからない。ニュース等で核の悲惨さを知れば知るほど核は怖いと思う。
平和祈念式典で長崎の田上市長は、政府に核兵器禁止条約の批准を強く迫った。だが、平和祈念式典に出席された安倍総理は、あいさつのなかで、また記者会見でも、一言も核兵器禁止条約について触れなかったようだ。唯一の被爆国でる日本は率先して批准すべきだと思うのだが。