4/6(土)木下黄太 講演 IN 沖縄市 「放射能汚染の現状と対策」
場所:沖縄市民会館(沖縄市八重島1−1−1)中ホール 開場13:30 開演14:00 終演16:30(質疑応答含む)
料金:800円(小学生以下無料)駐車場:有(無料)
申し込み方法:kinositakouta_okinawa20130406@yahoo.co.jp に、ご予約(お名前、電話番号、参加人数を記入)をお願いします(yahooドメインのメール受信を可能にしてください)。
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ガレキ焼却は、あす31日で終わる北九州。総括で伺います。
【4/7(日)木下黄太講演会in北九州】★『マスコミが報道できない西日本の真実』
13:30~15:30(開場13:00)
【会 場】 北九州ムーブ5F 大セミナールーム(北九州市立男女共同参画センター)
申込詳細⇒http://kokucheese.com/event/index/81367/
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午後、九時ごろから就寝して、深夜におきたので、簡単にブログ更新は行います。
皆さん、お疲れ様です。
さて、皆さんの問い合わせの中で、僕はこれは違うだろうということを少しだけ話しておきます。
それは、僕が「何を食べているのか」「どう過ごしているのか」ということに関心がある人が時々います。
そうしたことに関心があって、その情報を得るためにおかしなことをする輩までいます。
正直、意味が解りません。
まず、食べ物というのは、放射性物質の回避も大切ですけれども、食べないと死にます。
ですから、一定程度回避して、一定程度の被曝は受容して食べているのに他なりません。
全国どこでもそうですが、確率の低いリスクは、致し方ないと考えています。しかし、極力放射能リスクを下げて食べるしかありません。
例えば、東京で何にも気にせずに、食べ続けたら、リスクは高いと僕は思います。
ですから、講演やミーティングで都内にいる際は、一定程度以上、気をつけて飲食します。
完全には、もちろん避けられませんが、危険な食材を原則的に避け続けることで、ある程度回避することは可能です。そういう食材を扱わないタイプの飲食店はあります。勿論、本当に気をつけているところは、そうでしょうし、外国産のものばかりでそもそも固めているところのリスクは、放射能的には低い場合が多いです。
そうした感覚で、僕は選択を続けているだけです。
これが西日本なら、事前にお店に問い合わせれば、ほぼ食材の産地はわかります。大概、外国産か周辺の食材が多いため、リスクは圧倒的に東よりも低いです。
だから、確認して選択しています。それだけです。
特に関東で、飲食の楽しみという概念は、僕の中に完全に喪失しました。
3.11前に、都内で、常連だったと言える飲食店は、和食一軒、南欧料理一軒、蕎麦一軒、寿司屋一軒、中華一軒です。このうち中華はなぜか店を畳みました(関東より西の支店は営業継続、中国人経営者はすばやい)。蕎麦屋は「流通食材は大丈夫ですよ」と笑って答えたため、「何を言っているんだ」と冷たく言い放って、店主を硬直させて、二度と行っていません。蕎麦粉は島根の蕎麦粉オンリーが元々の店なので、残念ですが、意識が甘すぎました。
和食と南欧料理は、個人店舗で、彼らのメニュー感覚から、恐らく対応できないと判断して、3.11前には毎月行っていましたが、一度も足を運んでいません。
僕にとって、外食も普通に楽しめなくなる国というのは、自分が人生を楽しく過ごす実感のうちの、多くの部分がないんだなあということになります。西日本や北海道ならまだしも、特に、関東では、その食への感覚は喪失しています。
ここで欲望を満たせるかどうかということを、人生の価値においてみます。
なぜなら、勿論、いろんな生きている目的はありますが、人間が生活していくうえで、結局、人間そのものが、なぜそういう選択をとるのかというと、欲望の充足が大きなテーマだからです。
人間は、例えば、衣食住といいますが、僕は衣は最低限しか考えていません。昔から。利便性やフィット感覚位です。他の人のように、衣に凝る人生はほぼありません。
住は大切ですが、欲望というよりも、より安定して過ごせるかということです。放射性物質の回避は不可欠ですが。
そうすると欲望という中で、その充足ということを中心に考えると、食の欲望が、どうなのかということしか本質はないと、僕自身では思います。
その欲望の充足できないエリアに居続けることに僕が本質的に違和感があるのはこうしたことも強いと思います。
僕は食欲でも、そうなのですが、他の方たちは、いったい何の欲望を大切にしているか、汚染地が大切なんでしょうね。
金銭欲なのか、名誉欲なのか、性欲なのか。どれにしても、僕には不思議な感じが致します。東京に留まらずにも、本質的には、何とかなりそうな気がするので。
僕的に、しっくりこないんですね。
だから、日本人というのは、ある意味、自分の欲望を顧みない、禁欲的で従順なしもべの集団なのかもしれません。
それを、人は、奴隷と呼びます。
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