昨日は石原裕次郎さんの若きパワフルな映像と歌声に思わず見入りました。正直に言うと、昔は裕次郎さんの魅力がわからなかったんですが、今になって天性の声の良さに魅了されています。土曜日にはBSPで放送50年を迎えた「太陽にほえろ」を紐解く番組がありました。
石原裕次郎がテレビと出会った時 〜「太陽にほえろ!」の時代〜
1970年代、映画が斜陽の時代を迎えても裕次郎は大作を作り続けた。しかし無理がたたり35歳の時に病に倒れる。そんな裕次郎に声をかけ続けたのがテレビのプロデューサーたち。当初は断っていたが13本だけという条件で「太陽にほえろ!」に出演する。それがなぜ14年間も続き、刑事ドラマの金字塔とうたわれるようになったのか?竜雷太、水谷豊などの出演者、スタッフの証言から、裕次郎がテレビと出会った時代を振り返る。
放送開始から50年。裕次郎さん、ショーケン、優作さん。出演していた人々は、すでに多くの方が鬼籍に入りましたが、番組が作られた経緯、新人デカの登場など、多くの方の証言で綴られていきました。
初出演当時、まだ21歳のショーケンが初々しい。本気で走りまくります。
最初、台本には「坊や」と書かれており、こんなガキっぽい役なんですか!と噛みついたショーケンに、プロデューサー達は、これはガキっぽい刑事の成長物語だから理解してくれ。坊やと呼ばれているのは、お前じゃない。ところが
「俺はその役者じゃないんだから、誰かに化けるということは出来ない、俺自身で使ってくれ」っていう話なんですね。そこで監督と話し合ってくれ。
監督はおまえ自身でいいから、本気で走ってくれ。それでショーケンは納得。
第一回の放送は、事件の背景よりも刑事自身を描く、それまでにない幕開けでした。
徹底して刑事を描いた「太陽にほえろ」その成功の要因はマカロニを演じた、萩原健一にある。ジュリーの出演回がちょっとだけ画面に映りました。
ジュリー演じる殺人を犯した大学生を射殺してしまったマカロニ刑事が錯乱し、ごめんなさい ごめんなさい・・起きて下さい!もう刑事やめる!と泣き叫ぶ。身も世もあらず取り乱した姿を晒すショーケンを、死体になったジュリーは身動きも出来ずに息を潜めたまま、どう受け止めていたのか。
ショーケンの演技に、共演者からの賞賛が相次いでいました。殿下の小野寺さんが「エっと思いました、突き抜けている、こんな芝居があるのかと思った、僕なんかがやったらヤメロと言われる。」竜雷太さんはショーケンを型破りで魅力がある。カッコ悪いカッコ良さ。時代は70年代安保の2年後で、ショーケンは若者の挫折という感情を感じていたのではないか、という声が有りました。
マカロニやジーパンの殉職シーンは、今までに記憶に残る名シーンとして何度何度も見たのに、やっぱりあまりにも衝撃的。まだ若く先の有る刑事たちの最期の赤い血糊の色が鮮烈すぎて、眼をそむけたくなる凄惨さ残酷さです。その反対に歴代の若手デカ達の、デビュー間もない若々しい姿に、半世紀たった今は、母のような心持で優しい眼で慈しむように見てしまいました。
番組で久しぶりに大野さんの姿を見ました。「太陽にほえろ」の音楽を担当したのは、PYGで一緒にやっていたのでショーケンから推薦され、あとで有難うと電話を入れたのだとか。
大野さんは、見せて貰ったラッシュ映像と、頭の中のイメージでやれそうだなと思った。それまでのTV番組になかったロックサウンド、激しさ躍動するものがある、それがメインテーマだった。
先ほどブログをアップしようとしたら、ちょうどラジ関のPlaylist of Harborlandが始まって、MCの田名部さんが土曜日の祇園祭の映像を見ていたら、その後番組が「太陽にほえろの時代」だったので番組を見ました。と話されて、話題にあがっていました。「ジュリーにチェックイン!」はまた後程。
私も前の番組の祇園祭の生中継を見ていました。もう40年程前に宵山に行ったきりなので、とても観に行きたい! でも祭りに集まった多くの群衆の映像に、ちょっと引いてしまいました。😓
もう少しコロナが収まらないと不安はつきません。