1年間で私が映画館で見る映画は、せいぜい1本か2本だけ。その私が先月の「ヒルコ」に続き、今年で早くも2本目の映画鑑賞。「世界から猫が消えたなら」
題名の「猫」と、映画の中で「太陽を盗んだ男」がおすすめの映画として出てくる、ということに惹かれてJ友様と3人で、レディースデイの映画館へ行った。
始めは、映画の宣伝文句が「泣ける泣ける」の大宣伝だったのがちょっとイヤで・・・それほど泣きたいわけでは無し。どうしようかな~と思っていたら、さんごさんが行ってもいいよと言ってくれたので、俄然見る気になったのだ。
TVの映画宣伝では、高級じゃない ごくごくフツーのキジトラの丸顔の猫ちゃんが とっても可愛くて♡ 高級ブランド猫じゃないのがいいね =^_^=
映画のロケ地は函館とのこと、長く続く坂道を主人公が自転車を飛ばしながら走る。前かごには 猫ちゃん。なんておとなしい、よくできた猫さんだろう。
古くてレトロな外観の映画館や、市電などが走る町並みの風景は あえてワントーン彩度を落として主人公の心の内を反映しているのだろうか。粒子の粗いザラっとした質感の画面は、主人公の心の波立ちか。美しいがほの暗く陰りを帯びた、淋しい町だ。
主人公は脳腫瘍で余命わずかと宣告され、絶望に打ちひしがれている。そこに、全く自分自身と同じ姿の悪魔が「大事な物を一つ消したら 命を一日のばしてやろう」と、いかにも軽く明るく告げるのだ。その軽い明るさは不気味で底知れないものがある。
消すものは「映画」「時計」・・と、悪魔は勝手に決めてゆき、消した先からそのものに まつわる思い出も消え去ってゆく。「太陽を盗んだ男」は主人公の親友のおすすめ映画として、一瞬だけ本編でDVDが映るだけだった。どんな魅力を持った映画なのか、一言 説明くらいはして欲しかったなぁ。
この後は、最後のエンドロールの文字に「太陽を盗んだ男」の制作会社や監督の名前が入った。
消えるものと一緒に、思い出も消え去る。大きなスペクタクルなどはないけれど、小さな切ないエピソードの積み重ねられてゆく。それは意外に淡々と、静かに主人公の心に積もってゆく。別れた恋人、大切な親友。
そしてついに悪魔は猫を消そうという。猫の想い出と共に、亡くなった母、疎遠になった父もみんな消えてゆくのだろうか。このまま自分の命と引き換えに、愛しい猫のレタスとキャベツも消えてゆく? 思い出を消されていく、思い出が無くなるという事は、命の引き替えなんかではなくて すでに自分が死に向かっているのと同じことだ。自分が空っぽになるという事だったんだ。
哀しくて 泣けて泣けて、大泣き・・・
な~んてことはありませんでした。(^^ゞ
愛する者たちとの別れが切なくって、ちょっと涙がジワっときたかしら。
イグアスの滝や、アルゼンチンの派手な街並みや、唐突なバックパッカーの死などが、映画全体の静けさの中では場違いなエピソードの感、はあった。
登場ニャンコは ほんとにおとなしい、よくできた猫ちゃんだったけど、タイトルロールのニャンコが特に大活躍をしているわけではない。ただ、静かにそこに存在しているだけ。だけどいいの。ニャンコはそこにいるだけでいいの。 だって、この世で猫に代われるものなどないのだから。=^_^=
私はこの先、リタイヤしたら猫を飼いたい。飼う。
猫の柔らかい毛並みと、ふんわり温かい体に触れているだけで心が安らぐ。例え汚い野良ネコでもその姿を街で見かけるだけで気持ちが昂る。目で追う。
猫のいない世界、それは有りえない、考えられない世界です。