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今なら絶対に比叡山で熱中症(-_-;)

2021年07月22日 | 比叡山フリーコンサート

1974年7月20日の比叡山フリーコンサートでの、ご自身の体験、参加されなかった方の当日の思い出も含めて、これからもずーっと、いつでもコメント欄でお待ちしています。「比叡山フリーコンサート」のカテゴリーに、コメントを下さった方々の思い出がまとめてあります。

本日コメントを下さった はまゆりさん、ゆうさんのコメントは、早速「比叡山フリーコンサート」の皆様の思い出の中のこちら⇒⑧比叡山フリーコンサート(皆さまのコメント集)に追加させていただきました。

それにしても、比叡山で飲み食いをしたという記憶が残っていません。トイレの行列はよく覚えているのですが。午前中に会場に入り、フリーコンサートは午後3時から。その間、飲まず食わずとは考えられないので、何か食べたんじゃないのかしら?あの頃はまだペットボトルが無かったそうです。

何か食べたにせよ、長時間の炎天下の下での待機は、今の年齢では絶対に無理(-_-;) ハイ・ティーンの時とは違い、今では間違いなく熱中症になります。すでに真夏のウォーキングで3回ほど経験しました。頭痛と吐き気で、翌日もしんどかったのですが、それが熱中症であると自分でわかっていませんでした。苦い経験を繰り返したせいで、今では水分だけじゃダメ、塩気もいると、塩飴を舐めながらウォーキングしています。

比叡山から46年、老体だとつくづく実感していますわ(-_-;)

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⑪比叡山への道(朝日新聞夕刊 読者のツボ「ジュリー来た!」)

2019年01月03日 | 比叡山フリーコンサート

1974年の比叡山フリーコンサートでの、ご自身の体験や思い出は、ずーっとコメント欄で受け付けています。「比叡山フリーコンサート」のカテゴリーに、コメントを下さった方々の思い出がまとめてあります。


4月に前から参拝に行きたいと思っていた比叡山延暦寺に、バスで行きました。バス道の途中では、車窓から目を凝らしても フリーコンサートの行われた蛇が原スキー場跡がどこだったのかわかりませんでした。京都駅前からバスで約1時間ほど、延暦寺の敷地に着いた頃には、車酔いで気分が・・ワルイ・・

山中の道はクネクネ曲がりくねり、日頃から車酔いしやすい私が、よくぞ74年のフリーコンサートに向かうバス中で、気分が悪くならなかったものだと思います。

ジュリーがステージに登場するまでの一番の想い出は、真夏の山道を何台も続くバスの大行列と、着いた途端に青い顔で倒れる若い女の子たち。救護所で寝ていた彼女たちが、ジュリーが来た~の声でムックリ起き上がって、そのまま救護所から飛び出していった姿です。

2017年の朝日新聞大阪版夕刊、金曜日のコラム「読者のツボ」で「あなたの思い出に残っているコンサートは?」というテーマで募集がありました。誰のどんなコンサートだったか、理由も添えて投稿してください。と書かれていたので、私にとって比叡山の思い出深い光景を投稿してみました。2017年7月7日→朝日新聞大阪版夕刊、金曜日に「読者のツボ」  目に焼き付いて離れないステージ外の光景から

1974年当時の新聞記事には『救護された女の子の人数は80人。いい席を取るために、早くから並んだ人が疲労と暑さの為に倒れた・・・。』と有りました、私の見た車酔いの人も多数いたと思います。

先日、ヤマトさんから比叡山フリーコンサートに特別な想い出がお有りと伺い、コメントを頂きました。ヤマトさんは、あの暑い中 日射病のようになり救護所で倒れていた女の子のお1人でした。

頂いたコメントは「比叡山フリーコンサート」のカテゴリー内に追記させていただきました。ヤマトさん、どうも貴重なお話を有難うございましたm(__)m


 

忘れられない思い出 (ヤマトさん)
2018-12-18 16:29:31
あの時、私は高校生で姉や姉の友人たちと 前日から京都のホテルに泊まり、3時半起床でバスの列に並びました。

着いたのは8時過ぎで、真ん中より少し前くらいの芝生に陣取りましたが、夏の炎天下で太陽を遮る場所もなく、飲み物の1つも持たず、日射病のようにフラフラになり、私はコンサートの始まる直前まで救護所で寝ていました。涼しい場所で寝かせてもらったお陰で、そのあとは一番元気に弾けていました。

「僕の妻です」と言われ、ファンの拍手と歓声に包まれて、鉄砲ユリを抱えたエミさんはつつましく涙を流し、きれいでした。悲しかったけど「おめでとう!」を心から言えました。行けてよかった!その瞬間に立ち会えて幸せでした。

何もかも全部姉や、姉の友人に甘えて、ただ連れて行ってもらいましたが、今思えば本当にありがたいことでした。半年ほど前にこのコンサートのLPのジャケットに 14年前に亡くなった姉が若い姿で写っているのを発見し、思わず涙でした。

姉がいなければ、ジュリーのファンになっていたかどうか わかりません。姉のすることは全部真似したかった私。姉がどこにでも私を連れて行ってくれて 私は何もせず、全部おぜん立てしてもらってついていっただけ。生きていたらきっと一緒にLIVEを見に行ったに違いありません。

ジュリーのファンに数十年ぶりに戻り、今はあのころとは違う意識で、参加していますが、あのコンサートに行けたことは、今でも特別な思い出です。

いつか姉ともうまた会う時、今のジュリーのことを話したいです。今の私より若くして逝った姉ですから、会う時には私が年上?と複雑ですが。
ジュリーには元気で長生き、幸せに暮らしてもらい、いつまでも艶めかしい人でいてほしいです。 

 

 

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⑩比叡山フリーコンサート(新聞記事)

2016年08月07日 | 比叡山フリーコンサート

「比叡山フリーコンサート」のカテゴリーを新たに作りました。まとめて読めます(^^)

J友様から、新たに新聞記事を見せていただいたのでアップします。

そこには、私があれは何をしていたんだろう?と疑問に思っていたことが書かれていました。それはジュリーがCMに出ていたフジカラーの会社員達が、会場に沢山いた事。

彼らはあそこで何をしていたんだろう?以前、ブログにもアップしています。

「ポケットフジカ」 2013/2.13
http://blog.goo.ne.jp/nagatasatoko/e/2ab19f31f7987b71b021d95f9bce51a9

お陰様で、J友様から見せていただいた新聞記事でわかりました。

かなり字が小さいので拡大しました。それでも読みにくいのですが、コントロールキーとマウスで拡大して読んでね。

 

フジカラーの人たちは比叡山の会場まで「ポケットフジカ」を売りに来ていたのだった!

そういえば・・・ フジカラーさんが横でウロウロしてるけど、買わなくて悪いわね、なんて思ったことを41年ぶりに思い出しました(^_^.) 

家からカメラも持たずに行き、友人も誰もカメラは持ってきていなかったような?あの頃は、そう何でもかんでも カメラでバシバシ撮らなかったもんね。撮っておけば良かった・・・と今になって後悔しています。

今はお手軽に何でも写メで撮りまくり、カメラが売れなくなるはずです。 

かかった費用は1000万以上とあり、殆どがジュリーの自腹?! 警備の人数も詳しく書いてあります。

そして救護された女の子の人数は80人。いい席を取るために、早くから並んだ人が疲労と暑さの為に倒れた・・・。

頂いたコメントで、2週間も前から並んだ人達がいたと伺ったので、この記事を読むと現実感があります。私の見たところ、比叡山の山中を長時間かかって グルグルと巡るバスのせいで、車酔いになって 気分が悪くなった人も沢山いました。私は普段から車には強くない方なので、よくあのグルグルバスで車酔いをしなかったものだと思います。 

コンサートの最後に水を被ったジュリー、亡くなった前の奥様、あの日集まったファン(主催者発表3万、実質2万?1万5千人?)にも1975年7月20日の比叡山の蛇が原スキー場は、暑い熱い一日になったのです。 

私の記憶の中で、薄れて消えてしまいそうになり危機を覚えていた、比叡山フリーコンサート。一緒に行ったJ友は、私と行ったことすら覚えていませんでした

あの日のジュリーとファンが、どのような熱い一日を過ごしたのか、皆様のコメントや、今は黄色く変色した翌日の新聞記事のお蔭で、再びくっきりとした輪郭を持って、色も鮮やかに浮かび上がりました。

 

残念ながら、アルバムはCD化されていませんが、一部はYOUTUBEで聴くことができます。 

ジュリーの心からの叫ぶような若い歌声とともに、あの日の女の子達の、それぞれの思いや 祈るような気持ちを感じながら聴きたいと思います。

何とか、他のライブ盤と合わせてCD化して欲しいと願っています。 

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⑨比叡山フリーコンサート(皆さまのコメント集)

2016年08月04日 | 比叡山フリーコンサート

 ※ 比叡山フリーコンサートに参加の皆様から、コメントをいただいた続きです。お陰様で、比叡山のギモンが次々に氷解していきます(^^)まだまだ、コメントは募集しております。

コンサートの招待状は、ファンクラブ限定だったのか、他からでも申し込めたのか?と疑問でしたが、ファンクラブに入会していなかったJ友さんは、ファンクラブ事務所で配布していたチケットを貰って参加したそうです。

男性から始めてコメントをいただきました。当日はラジオで聴いた、翌日の「夜ヒット」で見たというJ友さんもおられます。


2022年追記 

 (アユミさん)
2022-01-13 
比叡山ライブ行きましたよ 京都駅から バスでピストンで現地まで運ばれました 暑い夏の楽しい想い出です 先日のフォーラムに行き メッチャ痩せて 伸びやかな声のカッコイイジュリーは 最高でした❤️🤗👏


 (田中尚美さん)
2022-01-13 
比叡山へは北陸からバス3台でお祝いに駆けつけました。丁度代表をしていて懸命に手配したのを覚えています。
あの頃は地球がjulie中心に周っていました。
金沢在住で有りながら毎月TV局やライブに出向いていましたから本を出版できそうな位の思い出があります。
彼は唯一無二のスーパースターだと思います。
夢を与えてくれた事に感謝しています。


(tomocoさん)
2022-01-06 17:16:51
先月、八瀬大原に行った際にガーデンミュージアム比叡の展望塔に初めて上がりました。
コンサート以来の46年振り、展望塔から見た人工スキー場に感慨深く。あの炎天下、トイレに行ったとか飲食したとかの記憶が全くないのですが、どうしてたんだか?謎です(^o^)
♪You are so beautiful♪は沁みましたね。
ありがとうございます。


2019年追記 (ochi)さん 2019-08-02 08:15:28
1975年7月20日 私も友人2人と共にそこにいました‼️
比叡山蛇が池人工スキー場julieのフリーコンサート
2万人を超えるファンを無料招待して結婚を報告してくれた日でしたね‼️
44年も経つんですね。
10代だった私達も還暦をこえましたが、今でも3人でライヴに行ってます‼️


(「スキー場敷地以外は蝮が出ます」と言われました)さん
2019-07-21 14:18:31
私も今でも毎日と言うのは大袈裟ですが、ものすごい出来事のひとつで、よく思い出します。高2の夏休み初日で学校の合宿で信州へ行く予定でしたが、私には比叡山しか考えられなかったです。日から京都に泊まり込み、河原町を歩いていると、ファンだらけと言うか、ファン同士だから解る何とも言えない殺気立つた空気満タンで、たまたま楽器店でjulieの写真が載った冊子をもらって、それを持って歩いていると「それ何処にあるの」って聞かれたりして、なんかえらいことになってるって思いました。

当日平安神宮前へ午前3時に行った時には、もう凄い人で会場へは8時頃到着で、それからカンカン照りの中ずっと座って始まるのを待ちました。トイレは帰るまで我慢できました。長袖ブラウスだったのに下着の形にくっきり日焼けしていました。今は、トイレ我慢できないし、シミだらけだけど、このシミは比叡山のあの太陽の名残だと思えば愛しいです。中身が子供だったから結婚は、julieが嬉しい事は私も嬉しい事でした。まだイッパイありますが、合宿より比叡山行って後悔なしです。


 (彩の国のジュリーファンさん)

既に社会人だった私はライヴ参戦は果たせずに ラジオ実況に耳を傾けていました。午後1時頃から放送が始まって ジュリー登場までが、とても長く感じていました。
(ピンク色の衣装のジュリーがオープンカーで登場しました)とラジオから聞こえて、(ああ、結婚したジュリーがファンの前に登場したんだなあ)と、ドキドキわくわくしたのを覚えています。今でも時々、YouTubeの(比叡山お話)を観ては、ジュリーに手を引かれ涙する奥様、小走りで純白のドレス、ゆりをかかえた姿に、(こんな時もあったのに…)と思い出に浸っています。 


 (bubukoさん) 私は夜のヒットスタジオ」で見たんですね。

これだけ人気があるのに 結婚しちゃっていいのかな? 
でもジュリーは筋が通って男らしいし、タイガースのときと変わっていない気がして、堂々としていてうれしい」と見ながら思ったのを覚えています。


(カンスケさん) 58の親父です。ガキの頃からジュリーの大ファンです。初ライブが比叡山です。野郎3人で行きました。

全盛期のライブ数十回見ました。野郎3人で‼(笑)
この5年は、欠かさず10月のロームシアターが楽しみです。
ファンでない嫁と行ってます。京セラドームのタイガースは当時の連れと行きました。
ちなみに京都で生まれ育ち、今は滋賀に住んでます。

 連れの一人がボンボンで望遠カメラに三脚立てて、俺ら右側で前から10番目位に座って、近くの東京から来ていたグループと仲良しになって、いつのまにかボンと連絡先交換してた。写真目当てやろね(笑) ボンが一人の女性に一目惚れして大変やった。写真持って東京まで告白しに行きました。結果は爆死 きっちり写真は渡したけどね。そのおかげで、俺らの手もとに写真がない。 それと男からのジュリーファンは、活字では伝わりにくい。まぁ オバサンのひばりファンと似てるかな❗


 (神戸市・Hさん) 私の比叡山 の思い出は、後方てっぺん近くからの参加でしたので、皆様のようなお宝エピソードは無くて、番外編のような事ばかりです。

当時、私はファンクラブに入っていませんでした。
新聞記事なのか、雑誌なのか覚えていないのですが、フリーコンサート があると知り、東京ならあきらめましたが、京都でやってくれる…。絶対行きたい と思いました。
ファンクラブの事務所で招待券を配布するとの事でした。丁度その頃、父が東京に出張 頼み込んでもらってきてもらいました (私、両親ともに巻き込んでますね)あのサスペンダージュリー の素敵なチケットでした。

友達と3人で参加。新神戸から新幹線 で京都へ。多分京都駅からバスに乗ったと思うのですが、記憶にありません 。次の記憶は、てっぺん近くの会場です。ポスターもサンバイザーも無かったです。

開演前、私もトイレの行列に並んでいたら、係の人からいったん席に戻るように言われました。
それから暫くして、さっき並んでいたあたりから、ジュリー がオープンカーに乗って、派手にご登場でした あのままいさせてくれたら、目の前であのジュリー を見れたのにね。

遠くて、声だけを聞いているようなコンサート だったと思うのですが、ラスト近く、私も坂をかけおりました。そしてやっと、ギターを持って唄うジュリー を見る事が出来ました。本当に素敵でした 、それだけでも満足で、とても嬉しかった事を思い出します。

ファンクラブ以外の一般ファンにも、招待券を出してくれたからこそ、参加する事が出来たのですよね 。
「みんなに平等に」というジュリー の姿勢は変わらないですね。 


 ※2021年7月、追記

Unknown (はまゆりさん)
2021-07-22 13:38:41
はじめまして。いつも楽しく読ませていただいてます。
当時、私は20才でした。ファンクラブから届いたのは、京都駅八条口9時と書かれたハガキでした。
横浜在住の私はJ友さん4人で横浜から夜行列車で京都へと。
着いて直ぐにバスの停留所へと。

比叡山に着いてからも少し歩いて、ようやくコンサート会場へ到着。
置いてあったらしい?サンバイザーやポスターは全く記憶になく↓
そんな記念の品があったなんて残念です。↓↓

コンサート途中で、ジュリーが奥様の手を引いて現れた時には、
やはり幸せになってほしいと思いました!
この場に参加出来て、とっても良かったと思いました!
だって、ファンの方には1番に報告したいと言ってくれてましたものね!
(有言実行は今でも変わりませんね)

コンサートが終わり又バスで京都駅へ。そして、その日の夜行で横浜へトンボ帰りと。どこかで着替えて?仕事へ行きました。若かったから出来たことですね。でも大切な幸せな思い出です!!

余談になりますが、当時、ペットボトルもない時代、その日は食事をした記憶もなく、
食べ物も持っていかなかったし。飲まず食わずだったのかしらん?良くぶっ倒れなかったなと書きながら思いました。


Unknown (ゆうさん)
2021-07-22 15:29:29
SAOさん いつも楽しまさせてもらっています。
はまゆりさんが、新コメントされたので続いてお邪魔します。
毎年7月20日が来ると思い出します。
はまゆりさんと同じく八条口9時のバスでした。
JR在来線で2時間かけて京都行きました。

コンサートの記憶は鮮明ですが
やはり、水分補給・食事はどうしてたんでしょうね?いつも不思議に思います!
現代のような酷暑では無かったですが、暑かったでしょうね!
コンビニもないし水筒にお茶入れて、おにぎり作って持参したのかな??
謎です!!!
若さゆえできたことですね。
19歳の夏でした。良い思い出となっています♡


 (はまゆりさん) 2021-07-23 12:18:37
昨日、ふと思い出した事があります。
比叡山に着いてファンの人たちと山道を行列になり歩いてる時に、
どこからか🎶時の過ぎ行くままに🎶が聞こえてきたんです!
誰かがカセットデッキかウォークマンを持ってきたのか定かではありません。
誰がかともなく歌いだし、皆で歌いながら歩いたのを思い出しました!
PS
ハガキとパンフレットは押し入れの中に閉まって有りました。



(まだむコムソワさん) 2021-07-23 22:25:24
私も比叡山行きました
バスの往復券買ったのに、行きはたくさんのバス
でも帰りは何時間も待たされる!
で疲れきってたから電車で帰りました😢
皆様が言うように、よく熱中症にならなかったか不思議です
水分もろくに取らず、食べ物も食べた記憶がなかったし、日陰もなく斜面で座りにくかったです
コルクのヒールのサンダルで行っちゃったから歩きにくいし
でもコンサートが始まると本当にジュリーは素敵でした
なのでキュンとした思い出が私の財産です。




皆様、コメントどうも有難うございます♪ 

>『開演前、私もトイレの行列に並んでいたら、係の人からいったん席に戻るように言われました。
それから暫くして、さっき並んでいたあたりから、ジュリー がオープンカーに乗って、派手にご登場でした あのままいさせてくれたら、目の前であのジュリー を見れたのにね。

トイレに並んでいられると、ジュリーのオープンカーの登場の邪魔だったんですね。それで、「もうすぐジュリーが来る」という情報が、あの場に流されたんだとわかりました。私はトイレには行けましたが、行けなかった皆さんは我慢できたんでしょうか??(?_?) きっと若さで乗り切ったのでしょう(^^ゞ

それに、朝から比叡山に向かって午前中には会場に到着、ジュリーの登場は午後3時です。お弁当や水筒を持っていったのでしょうか? 少なくとも、京都駅に着いたらすぐに、バス停に並んだので京都駅では何も買っていないように思いますが、全くその辺りの記憶はないのです(^^; トイレには一回も行かなかったという方もおられました。そして飲まず食わずはキビしいです。何よりも若かったからこそ、ジュリーを待てたのだと思います。



そして、J友さんから新たにいただいた当時の新聞記事のお蔭で、一部、私の記憶も甦ったので明日に続きます。

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⑧比叡山でもらったポスター(番外)

2016年08月04日 | 比叡山フリーコンサート

土曜日は実家に帰ったので、ついでにゴソゴソ ジュリー部屋を捜索しましたが、目当ての物は見つからず・・・ エアコンがないので 汗がダ~ラダラ・・・

その代わりに、いつも探していないものが見つかる。
比叡山のコンサートに行った人に、もれなく ついてきたポスター。
それほど大きい物ではなく、B3サイズ程度かな?

※今回の比叡山フリーコンサートのブログのコメントで、このポスターを貰った覚えがない
という方もありましたが、後方席ですが、少なくとも私の周りの座席部分には全て 
このポスターは置いてありました。

比叡山で貰った時は、艶然とほほ笑む薄化粧のジュリーはいつにも増して、とても美しいが、あまりにも色気が有りすぎないか?と、感じました。

裸の上半身が気になるんじゃなくて、笑顔の表情がです。
このポスター、実際に目の前で見たら、薄化粧のジュリーの笑顔が
あまりにも妖艶で、物凄くセクシーで、色気が過剰すぎて見るのが気恥かしいほど。。

まだ10代の私には それは正視するには余りに
刺激的な色気が有りすぎるジュリーの眼差しでした。
この頃は、ジュリーの化粧はファンにはまだ慣れないものだったのです。

あの頃演じていた「悪魔のような良ちゃん」そのまま、いやそれ以上の不敵とも思える笑顔
世界は俺の為にある、そう言いたげな笑みに見えます。

周りを睥睨するかのような自信ありげなこの表情の裏側で、ファンにこの結婚が
受け入れられるのかどうかという、大きな不安を抱いてのコンサートだったんだろうな・・・
と今はそう思えます。

数十年ぶりに 丸まったまま、引き出しの中の奥深くにあったのを

広げてみたら、湿気があったのか、ポスターがシミだらけになっていた・・・
ポスター全体に、まんべんなく丸い薄茶色いシミ、綺麗なジュリーのお顔が~(T_T)

下の画像は、そのシミだらけの私の物じゃなく、ネットでひろったもの。
今でもやはり色っぽすぎると思うけど
でも、現在は一番のお気に入りのジュリーです。

      

比叡山でのコンサートが終わった時に、このポスターが 
座席だった場所の、あちこちにシワクチャになって 散乱していました。
おーい ポスターを持って帰れ!ファンだから来たんだろう!と
怒りに思ったもんです。 落ちて散ばっている全部を拾い集めて、持ち帰りたかったくらい。

お願いだから、大事なジュリーをゴミにしないでね!

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⓻「比叡山フリーコンサート」(新聞記事より)

2016年07月26日 | 比叡山フリーコンサート

フリーコンサートのチラシ。雨天決行だったのか、降らないで良かった・・

           

前にJ友さんから、ジュリーのスクラップブックを見せていただきました。

そこに見つけたのは、比叡山フリーコンサートの翌日の新聞記事。

私は比叡山の翌日は、コンサートが新聞に載るだろうとは思いもせず、観光もせず

灼熱の暑さの京都の街中から逃げるように、昼にはH市に帰りました。 

コンサートの翌日もとても暑かった(*_*)

J友さんの新聞記事を見せていただいて、しまった! 

翌日の新聞を記念に買っておくべきだった。と、気がつきましたが 後の祭り・・・・

しかし、お願いしてコピーさせていただきました。J友様、貴重な記事を有難うございます。

コンサートの状況はヤングやLPでもわかりますが、私がいまだに忘れない

あの写真が載ってるんですよ~ 貴重だ!(笑) 

J友様、有難うございますm(__)m

 

画像ではガードマンがファンを押し戻そうとしていますが、これは最前列だからです。私のいた後方は、こんな事とはまったく蚊帳の外でした。あの日の女の子たちの熱気が伝わる、モノクロ画像です。

日射病でバタバタと有りますが、日射病だけではなく、バスで着いたとたんに倒れ込んでいた女の子も多数でした。

途中が切れているのがちょっと残念・・

当時の警備体制の詳細もわかる記事。何かあったらジュリーのせいになるもんね。

そして、懐かしのトイレの大行列(^^ゞ こんな写真が現在見られるなんて、とっても懐かしくて嬉しい!

『行儀よい行列』の文字に、ジュリーファンの育ちと しとやかさがわかる気が~(^^)

ワンピにツバ広の帽子。女の子達のファッションに時代も感じます。

トイレにたどりつくのに、どれくらいかかったんだろ。

今なら我慢ができないかも・・(*_*)

J友様、貴重な記事を見せていただき、有難うございましたm(__)m


 

 くしくも今日は、ジュリーの2016ライブの初日です。

あれから40年以上たって、様々なでき事がジュリーの上におこり

別れも有った。

手を引かれ涙ぐんでいた前の奥様は、すでに鬼籍に入られている。

ジュリーはデビュー50年を目前にして、その身を振り絞り

歌に変わらぬ情熱と強い信念を持って、歌い続けている。

 

41年前、7月20日のあの夏、ジュリー!と涙を溢れさせ

叫んだ女の子たちのうちの何人が

今もジュリー!と呼び続けて

コンサートに駆けつけているんだろうか。

あの夏の日を知る人も、知らない人にも、

等しくジュリーは歌いかけてくれる。

明日からのライブで ジュリーはまた新たに歴史を作り、

私たちはその目撃者であり、共犯者でもある。

こうして、忘れられない様々の出来事は 

記憶の奥底に深く積み重なっていき

思い出となり、その輝きは消えることが無い。

ジュリーは現在進行形、今日のジュリーはきっと

私たちの知らないジュリーに違いない。

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⑥皆様のコメント集 (比叡山フリーコンサート)

2016年07月25日 | 比叡山フリーコンサート

元はJ友様から見せていただいた、当時の新聞記事を公開したいと思い、私の乏しい記憶と共に「比叡山 フリーコンサート」をブログにしようと思いました。 

コメントに私の知らなかった事や、忘れていた事など いっぱい書き込みを頂いて、頷き、驚きながら読ませていただきました。私が皆様から教えていただくことばっかりでした。

あの暑い夏の比叡山の想い出が さらに豊かに広がり、ジュリーとの幸せな想い出がもっと増えたようで、大変嬉しく思っています。 


 ※皆様からのコメント、第二弾です。素敵な想い出を有難うございます✨

ライブで投げキッスして欲しい~


 

(ぷーさん) 比叡山って聞いただけで、遠い記憶の重い思い出が蘇ります。
早いファンは2週間前から平安神宮のバスのりばで並んでいたそうです。
私は2日前に並んでいましたので、やはり前の方で見る事が出来ました…
120台のバスがピストン輸送だったらしいです。
後に知ったのですが、あの日はヘリコプターからラジオの実況放送されていたそうですね。14時頃前座で立命館大学、同志社大学の応援団の応援「フレーフレー沢田~」とかって長い長い💦
15時にやっとオープンカーでジュリー登場、もう綺麗だったな~
その時には暑さで頭痛やら ぐったり感がいっぺんで 吹き飛んでしまった笑
それから… 最後ジュリーが車で去って行く時には
車の中から身体が半分以上出して ファンに手を振って投げキッスまでしてくれていた
その後みんなで自然にアイビリーブインミュージックの大合唱 涙涙でした…
いい思い出として心に残っています。


(かぼすさん) 私も比叡山行きました。 当時OLで東京で一人暮らしの私は、
まだ未成年の友達と二人で深夜バス(彼女のご両親との約束)で京都に向かいました。
朝6時頃京都駅に着くと、すでにジュリーファンと思しき人でいっぱい。京都駅八条口をAM9:00発帝産バスでした。あの山並みをバスが連なる風景は忘れません。

saoさんが感じた印象に残った事柄、まったく同感で、私は「気分が悪くても起き上がる女の子たち」の代わりに、ジュリーがオープンカーで登場した時、土手を駆け上る女の子たち」の情景です。
私たちも行きたくもない時から トイレの長い列に並んでましたので、板の間に横になっている人たちが起き上がる姿も目にしましたよ!

バスを降り、蛇ケ池まで歩いている時、あのねのねの二人が「すごいなぁ~すごいなぁ~」とつぶやきながら歩いてました。あのねのねは、一ファンとしての参加だったようですよ!

私は、この年4月5日NHKホールのザ・ピーナッツの最後のリサイタルに行ってます。きっとジュリーが来るだろうと思いS席を取りました。なんと前から3列目中央の席でした。周りは芸能人ばかりでした。
最後に客席からジュリーが舞台に飛び上がり、労った姿をしっかり見てしまいました。なので、比叡山の当日は結婚のショックというものはなかったんです。エミさんのお披露目も当然あるだろうとも思っていましたし… 心から祝福しました。


(はつみさん) 友のお陰で1列で見る事が出来ました😍 

エミさんが出てきて心友(心の友)がステージに向かってマイクコードに引っ掛かってシネと叫びました。

私はびっくりポン 勿論ジュリーが結婚するって大ショックでしたが、、、花*太陽*雨を歌う自分が懐かしいTV ~DVDにしっかり残っています😱 

夜明け3時にホテルを出てみんなが並んでいる平安神宮に、、若かったからジュリーに一生懸命だから 帰りの新幹線乗るまでトイレにも行けず心友と参戦出来ました😍 

本当に一生忘れる事が出来ない一日でした。 
心友と共にジュリーを理解してくれる旦那様 気性激しい心友は長男を研〇〇と名命!出産直後に連絡くれました。元気で歌うジュリーをいっぱい見たいです。初日は京都🎶 楽しみです~ 😍


(カレンさん) 暑かったあの日 私も9時京都駅八条口発のバスで行きました。
双眼鏡でも見えなかったかもしれないくらい後ろの方でした。記憶がなくて、アルバムの写真が頼りです。
結婚の噂が出るたびにジュリーは「(週刊誌の記事より)僕自身の言葉だけを信じてー」と、
だからそうしましたよ。そして6/4がきてビックリ。今なら大人の事情がわかるけど、当時18の少女ですからね〜

そしてフリーコンサート  やっぱり信じててよかったと気持ちが揺れた(ザ・ピーナッツ引退から)三ヶ月間だったなあ
その後 本日結婚式をしたと妻を紹介……あの日はあのバスでないとコンサートに行けなかった。つまりファンは誰も延暦寺に行けなかったって事⁇
その後の数年間はプライベートを見せずに… それもジュリーのファンへの配慮だったんでしょうね〜
真っ先にファンに報告できたジュリーの笑顔と奥さまのうれし涙、 とってもステキでしたね

私たちも負けずに幸せな結婚をしようねと友達と話しました。私にとっては7/20は記念日  今はあの会場となったスキー場はないけど、今年もコンサートの前に比叡山に行ってきます。
いろいろな情報を載せてくださり、ありがとうございます。ジュリーに夢中だった青春は中休みを経て復活しています。


 

(ジュリコさん) 私も高校3年の年、6月4日の新聞記事にはひっくり返りそうになり大ショックでしたが、その後はどうにかして比叡山に行かなければ!と、ファンクラブの入り方から探して・・・どうにか、間に合いました。

当日、暑くて暑くて、頭はクラクラ、前座の伴奏はうるさいだけで・・・帽子も飲み物の用意する事すら頭にありませんでした。
ポスター?見覚えは有りますが・・・会場に有った???貰ってないよ???サンバイザーは買った。と、記憶していましたが、配られていた?細かな所はいい加減な記憶ですが、あのコンサート!私の中で1.2を争う一生の思い出です。 


てるさん(2017年10月28日 追加)
比叡山コンサートのとき19才だった私。一人で参加しましたが、電車やバスでご一緒させていただいたお姉さま方の結婚に対する大ブーイングに驚いたものです。
コンサートで奥さまが現れたときも、周りのお姉さま方が、ひどい言葉を吐いていたことに傷ついていたものです。 


Iさん(2017年10月30日 追加)あれは40年程前、22才の夏の暑い日でした。ジュリーファンでしたが、ファンクラブには入っていませんでしたが、アルバイトで知り合った、大阪のスクールメイツの友人が誘ってくれて凄くラッキーな事だったと未だに忘れられない思い出です。

約2万人のコンサートで前から10列目ぐらいの所でジュリーの姿を思う存分楽しませていただきました。前日の夜に東京の友人の友人と京都駅で待ち合わせて、平安神宮のバス乗り場までタクシーで行って 当日朝のバスでジュリーの実家の横の道を通って、比叡山蛇が池スキー場へ。余談ですが、2年程前にジュリーの実家へ約40年振りぐらいに見に行ったんだけど、オシャレなお家に建て替えられてました。

で比叡山についたのはいいけど、朝イチだったので、コンサートが始まる午後3時まで待つのが暑くて暑くて、日焼け止めとかもっていってなかったので、顔やら腕やら真っ赤になって後で大変でした。近くの丘の上でサリーさんやタローさん、今は亡きゴールデンカップスのディブ平尾さんたちが居たのをお見かけしました。バックの演奏は井上バンドとミッキー吉野グループでした。

いよいよジュリー登場、ピンクの刺繍のスーツで、とっても素敵でした。その時の実況録音のレコードもモチロン買いました。ビデオやDVDがない時代だったので、写真やレコードで思い出を手繰り寄せています。とにかく一生のうちで一、二を争う思い出のコンサートでした。


 

忘れられない思い出 (ヤマトさん) 
あの時、私は高校生で姉や姉の友人たちと前日から京都のホテルに泊まり、3時半起床でバスの列に並びました。

着いたのは8時過ぎで、真ん中より少し前くらいの芝生に陣取りましたが、夏の炎天下で太陽を遮る場所もなく、飲み物の1つも持たず、日射病のようにフラフラになり、私はコンサートの始まる直前まで救護所で寝ていました。涼しい場所で寝かせてもらったお陰で、そのあとは一番元気に弾けていました。

「僕の妻です」と言われ、ファンの拍手と歓声に包まれて、鉄砲ユリを抱えたエミさんはつつましく涙を流し、きれいでした。悲しかったけど「おめでとう!」を心から言えました。行けてよかった!その瞬間に立ち会えて幸せでした。
何もかも全部姉や、姉の友人に甘えて、ただ連れて行ってもらいましたが、今思えば本当にありがたいことでした。

半年ほど前に、このコンサートのLPのジャケットに 14年前に亡くなった姉が若い姿で写っているのを発見し、思わず涙でした。姉がいなければ、ジュリーのファンになっていたかどうかわかりません。

姉のすることは全部真似したかった私。姉がどこにでも私を連れて行ってくれて 私は何もせず、全部おぜん立てしてもらってついていっただけ。
生きていたらきっと一緒にLIVEを見に行ったに違いありません。ジュリーのファンに数十年ぶりに戻り、今はあのころとは違う意識で、参加していますが、あのコンサートに行けたことは、今でも特別な思い出です。

いつか姉ともうまた会う時、今のジュリーのことを話したいです。
今の私より若くして逝った姉ですから、会う時には私が年上?と複雑ですが。ジュリーには元気で長生き、幸せに暮らしてもらい、いつまでも艶めかしい人でいてほしいです。


 

J友様からいただいた画像です、有難うございますm(__)m

 

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⑤皆様のコメント集 (比叡山フリーコンサート)

2016年07月24日 | 比叡山フリーコンサート

いつもたまにしかコメントのつかないブログなんですが、「比叡山フリーコンサート」については参加された皆さま、それぞれの想い出がおありのようで、大変興味深いメールや、ブログにコメントをいただきました。 数回に分けて、順に紹介させていただきたいと思います。

その前に、昨日のヤングの続き。 6月4日の結婚発表からのスケジュールがわかります。忙しかったんでしょうね。「悪魔のようなあいつ」も始まっていたし。

 

※行けなかった、行かなかった、というJ友さんもおられます。


どうしても、行く気持ちになれませんでした。子供だったなあ(~_~;) 


私は中2で、家でラジオで生中継?を聴いていました。


(Kさん) 比叡山のコンサートは私も千葉から参加しました。私はまだ学生だったので、バイトをして京都までの旅費を捻出。 暑かった事と本当にジュリーが結婚しちゃったんだぁという現実 不思議な感覚でした。

バスがジュリーの実家を通過する時、沿道でお父様が笑顔で手を振ってくださいました。その時のお父様の笑顔は40年たっても忘れません。
私は結婚したショックより、のちの80年代の騒動の方がずーっとショックでした 。
ジュリーの選択を年齢を重ねた今なら理解?できますが 暑かったし、トイレの行列も忘れません
一緒に行った友達は京都から帰ってダウン。本当に暑かった でもジュリーはカッコ良かったし、父様もカッコ良かった。

 


私は(結婚前の)主人と一緒に参加しましたが、ポニーテールに当時流行りのプカシェルをし、タンクトップにベルボトムのジーンズ、サボを履いて山道を歩いたこと、ステージからはるか遠い席、山の斜面に座り込んで炎天下の中LIVEの始まりを待ったことを想い出します。

お土産は、タンクトップとプカシェルの跡がくっきりと残る日焼けでした~

 


 

私は高校2年生で、2歳上のいとこと参加しました。本当に山の上の一番後ろでステージが遠かったこと、暑かったこと、トイレが長蛇の列だったことしか覚えていません。帰り、京都駅まで行くのに路面電車に乗ってしまい、新幹線に乗り遅れそうでした。

6月4日、この日も長い一日でした。 朝9時には帝国ホテルの前に居ましたから・・

比叡山ですが、私は従姉妹と姉と4人で参加、平安神宮のバスに乗りたいってことで、前日から京都に行きましたので、そんなに後ろの席ではなかったのですが
暑いのに加えて、車に弱い私は酔いどめの薬の影響で頭はボ~っとしてるし
なによりも胸が(心がね・・)ザワザワシクシク痛んで・・ 長かったわ~ジュリーが出てくるまでがTдT

いつ、その話しに触れるのか・・ずっと思いながら聞いていたので
前半は、ジュリーが「ノッてね!」って言っても、なんか緊張して見てましたね。
でも、ジュリーに手を引かれて、泣きながら歩くエミさんを見たときには一生懸命に拍手をしてました。
今でも一番記憶に残っているのは「小走りに歩くエミさんの足元」
「ジュリー、もう少しゆっくり歩いてあげればいいのに・・」って思いながらエミさんの足元をずっと見てました。
きっと、ジュリーも緊張してたんだろうな~ まだ、27歳ですもんね^o^

 


※ここからはブログ「①比叡山フリーコンサート」にコメントを下さった方の分です。

 

(直美さん) 私は当時学生でした。確か教育実習中でこのコンサートのために、泊まり込みの施設から、一時帰宅。初めての遠征でした。私は日帰りで行けましたが、高校時代からのジュリ友は 当時富山から夜行で京都着。

行きも並ばされましたが、それよりも帰りのバスに乗るために、なが~く並ばされた記憶があります。かなり前で見ました。ステージを見上げるような感じだったように記憶しています。

また、この日のために、初めてコンタクトレンズを購入。慣れないレンズのせいか、帰りにデパートの入り口でコンタクトレンズの片方を落とし、店員さんに、一緒に探してもらったのを鮮明に覚えています。五条から駅まで歩いて帰りました。
後日、名古屋で行われたこの比叡山のフィルムコンサートに参加。お土産にポスターをもらった覚えがあります。また何よりもびっくりだったのはこのコンサートに自分が映っていたことです。

 


(marucheroさん) 私は高校3年生でした。とにかく、行かなければと思い、親に頼み込んで、参加しました。夏休み、勉強、お手伝いなど色々な約束をしましたw~初めての遠征です。

席に置いてあった、色っぽいB4のポスター、残念ながら、全く覚えていません。サンバイザーは今でもプログラムと一緒に保管して有ります。
私のは黄色と白、確か青、赤、緑が有ったような?LPの写真で自分を一生懸命探した憶えがあります。

 


(ひろみさん) 私はAコース.7時に平安神宮前に集合でした。

始発電車で友人と2人で大阪より参加しまして7時前には集合場所に到着。その後 バスで比叡山へと。私もバスには弱く乗車前に酔い止め 服用した為か 到着後に薬が効いて 眠くて眠くて…。暑さも加わり 頭がボーっとして、辛かったですね〜ジュリーが登場するまで 6時間ぐらい待ったのかな? 本当に長かったです。
バスも早い時間だったので 結構 前の方で観る事が出来ました。
ジュリーがエミさんの手を引いて結婚発表した光景は今でも目に焼き付いています。皆さんと同様 凄ーく ショックだったので。もう 41年前の事なんですね。

 


(ぷーさん) 私は当時 東京からの参加でした。

前日長距離バスで京都駅に そのまま深夜営業の喫茶店で時間を潰し平安神宮から 一番のバスに乗りました。  LPにもフィルムにも写り込んでいます。
中抜けの 去年出戻りなので 比叡山の事をこうして振り返れるのは 幸せです。
私はファンクラブには入っていませんでした が ジュリ友さんに手配していただいたのだと思います サンバイザーは自前で30人分ほどオソロで用意しました。

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④1975年7月20日 比叡山フリーコンサート

2016年07月23日 | 比叡山フリーコンサート

色々比叡山フリーコンサートについて、コメントやメールをいただき、大変有り難いと思っています。

自分の記憶だけでは、とてもじゃないけど記事にはなりません。

皆様のお陰で、さらに思い出したことがあり、始めて知った事実も有りで

ほんとに良かったと思います✨ のちほど、まとめて紹介させていただきます。


ヤング75年8月号から

拡大

ジュリーが去ってゆく最後に、ファンがジュリーにむけて

「アイビリーブインミュージック」を皆で歌った。

帰りのバスに乗るのも時間がかかった。

私が凄く気になったのは、始めに貰ったジュリーのポスターが持ち帰られずに、

そのまま何枚も座席にクシャクシャになって残されたものが、

何枚もあったこと。 ファンならジュリーのポスターを何で持ち帰らないの?

信じられなかった。どうしてなの?


肝心のコンサートの曲目を書いていなかった。 これはアルバムから

SIDE 1:
1. ビー・マイ・ブラザー、ビー・マイ・フレンド
2. 夢のつづき
3. グッド・ナイト・ウィーン
4. 夜の都会(ナイト・タイム)
5. 恋のジューク・ボックス
6. 十代のロックン・ロール
7. キャンディー

SIDE 2:
1. トゥ・ラヴ・サムバディ
2. 時の過ぎゆくままに
3. お前は魔法使い
4. メドレー
a) グループ・バンド
b) ムーブ・オーヴァー
c) ジーン・ジニー
d) ユー・ガッタ・ムーヴ
e) シー・シー・ライダー
5. 美し過ぎて


SIDE 1:
1. 花・太陽・雨
2. 自由に歩いて愛して
3. ホワッド・アイ・セイ
4. 聖者の行進

SIDE 2:
1. 気になるお前
2. 悲しい戦い
3. 残された時間
4. 叫び


「自由に歩いて愛して」あたりで 奥様の紹介になったようです。

いつもは強気のジュリーが、ファンに ものすご~っく気を使っているのがわかりました。

「結婚ごときで僕は変わらない」 隣りにいる新妻に「ごとき」とはお気の毒。

はいはい、分かってますよ。

でも「妻」「妻」の連呼には平静でいられるほど、大人じゃないのよ。女の子たちはね。

 

しかし、このセットリストを眺めただけで、当時の熱い風が私の周りに吹き寄せるような感慨が・・・・ 

ああぁぁ いい曲ばっかり✨ 題名を見ただけで、胸の芯が痺れますわね。

ただ、とても残念なのは 無理に音源を2枚組のアルバムに入れこもうとした結果らしい

ジュリーの声が、早回しみたいな甲高い声になっている。それが残念です。

YOUTUBEで何曲も見ることができます。

https://www.youtube.com/playlist?list=PLwpwfPreGpWMxYl_lF2MLoB4lf24Qhveb

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③1975年7月20日 比叡山フリーコンサート

2016年07月22日 | 比叡山フリーコンサート

 

続きの前に、J友さんから教えていただきました。澤会からインフォが届いたそうです。。

11月3日(木・祝)、国際フォーラム、開演時間16:00 との事です♪

やっぱり追加がありましたね。3年連続の11月3日です。



比叡山フリーコンサートについてのコメントやメールを、皆様からいただきました。

朝7時発のバスに乗った人はいるのかしらん、と思ったところ、

平安神宮発の朝7時のバスに乗った方は、早い時間なので困ったかわりに、

前の良い席でご覧になったそうです。いいな~

ロームシアター京都の隣りは、赤い大きな鳥居のたつ平安神宮。

28日の京都のライブでは、感慨を持って平安神宮を眺めてきたいと思います。


前に貼ったと思うけど、TIPTAP、1975年のジュリー

沢田研二27歳〜海外進出、結婚、そしてキャリア最大のヒット曲〜
http://www.tapthepop.net/story/41881


 

続きです・・

ジュリーがオープンカーにのってやっと登場♪

後ろの方の席なのに、青いシャドーやショッキングピンクの華やかな衣裳は私から見えたのか??

でも、ジュリーの登場とともに、派手に眼に飛び込んできた記憶があるので

多分、双眼鏡で見たんだろうなと思う。

コンサートの様子は、LPレコードの写真にカラーで多数紹介されていて

その時の熱気が伝わってきそうな、鮮やかに熱い写真の数々・・

薄れた記憶も甦って来る。


途中、ジュリーが「僕の妻です」と釈迦堂で結婚式をあげたばかりの

奥様の手をひいて会場を埋め尽くすファンに紹介した。

記憶は年月とともに 次第に薄れてゆくとはいえ

真っ白い清楚なウエディングドレスに 白いユリの花束を飾らずに

そのまま抱えた奥様の姿を 私はこれからも忘れることは無いだろう。

感激の涙を流すエミさんの姿を見た時

私たちは「来なくていい、見たくない」そう思っていたことなど すっかり忘れた。

心を揺さぶられずにはいられない 二人の寄りそう姿に

心からの祝福の拍手を送ることができた。

見守る私の涙も溢れそうになっていた。


今から思えば、あのウェディングドレスは、歳が若いだけの小娘には

とても着こなせそうにない、大人の女の着る物だったなと

自分がこの歳になって思う。


41年経っても、私が比叡山で特に今も忘れずに印象に残ったのは、3つ

 それは比叡山へ向かう、延々たるバスの隊列

 気分が悪くても、起き上がる女の子たち。 そして あともう1つ。

それは白いウェディングレスに白いユリの花束を抱えて 

感激の涙を流す花嫁の姿です。

 


 

※恥を忍んで当時の日記の抜粋(笑)


京都まで行ってきた。MT比叡まで行き、

日焼けしながら何時間もジュリーの来るのを待ちました。

ジュリーはチャイナ服を来て出てきたよ。

エミさんが純白のウェディングドレスを着てベールを被り

百合の花束を持って出てきたの。ジュリーが腕をとってね。

延暦寺でさっき結婚式をあげましたって 言いました。

拍手してね皆で。ジュリーが「妻」「妻」というたびに拍手して・・・

本当は悲しくて涙があふれてきてしまったの。うん、でも祝ってあげられる。

彼女泣いてた。嬉しかったんだろうな。

羨ましいけど、やっぱり幸せにいてほしい。私も涙が溢れそうになったけど

心から拍手してあげられたことが嬉しい。


結婚したけど、やっぱり私にとって沢田研二はジュリーでジュリーは私の憧れです。

ジュリーは「結婚ごときで僕は変わらない」と言いました。

ジュリーが言わなくても、私はそれを感じられるのです。

ジュリーの強さと生き方に共感を覚えるし、彼の音楽を愛している。

私はジュリーの後から必至で着いていきたいと思っている。

でもいつもジュリーは「自分の為に歌いたい」と言います。

一度でいいのです「みんなの為に」と歌って下さい。

 


 

あの頃の私に言ってやりたいのは

あの頃ジュリーは、自分の為だけに歌いたい なんて

思っていなかったと思うよ。それを口にしなかっただけだと思うけど

それを口にして欲しいと思う気持ちも分かって欲しいな。

※ 日記の続き

ジュリーが幸せだという事はいいことだ。

後ろの方に座っていたけど、前の方に押しかけたの。15mくらい離れたところで見た。

もっともっと近くで観たかった。イエ~イ!って叫んで ジュリー!!と3~4回言った

一生懸命歌ってくれて嬉しかった、興奮して聴いてた、一緒に歌も歌ったよ。

 

2時間たったら、スーーーっと車で帰っちゃった・・・ julie

今頃何してるかなぁ また大阪フェスに行くんだ! でも去年より、もっと後ろの方だって(T_T)


殆ど覚えていなかったけど、そうか 2時間で車でジュリーはスーーーっと

帰っちゃったのか。何時間も待ったのに、短い!

と今更クレームつけちゃう(笑)

始めはきちんと座っていた観客は、アンコール前には もうワヤワヤになって

後方から前に押し寄せてギューギューになったけど、誰も文句は言わなかった。

あの時、少なくとも後方には保安や関係者の見張りはいなかった。

日記を書いていたお蔭で、ちょっとだけ様子がわかった。

今と頭の中身もたいして変わらないとわかったし(^^ゞ

 

あの頃はジュリ~♪!と叫ぶことさえ恥ずかしかった。

28日の京都では、遠慮せずに叫ぼう! もう恥かしい事などない。

なんたって、自分自身が恥かしくて 半世紀近くも封印していた日記まで

開帳しちゃうんですからね(笑)

 

このところストレスが溜まりまくりの毎日、京都で発散してきます(^^)

 

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