平成の時代が、あと少しで終わろうとしています。特に感慨があるわけでもないけれど、ジュリーに関していうと、色々あったなぁ・・有り過ぎたな~💦と思います。おそらく、令和もジュリーは平穏ではないのかも。
私が初めてジュリーを見たのは1967年の昭和42年。そこから1989年の平成の時代まで22年。
90年代からジュリーはTVから距離をおいた。昭和のヒット歌手時代のジュリーとの付き合いより、平成のヒット曲を持つ歌手の立場から遠ざかっているジュリーとの付き合いの方が長くなっていた。まどろっこしい書き方だけど、ハッキリいえば 平成の売れていないジュリーとの付き合いの方が長くなってしまっていた。
ジュリーは40代から50代、ヒット曲の無いまま ジュリーは歳をとるだけなのだろうか?と、暗い気分になったことも何度か。でもその度に、ジュリーが違う姿を見せて私を引き戻しに来るのよ。ドヨンと落ち込む気分を引き戻した作品は「the 近松」「ACT エディット・ピアフ」「大阪物語」「桂春団治」など。その度に私はジュリーに何度目かの恋をした。(何故か舞台と映像作品が多いけど、歌はいいに決まっている)
そして昭和の時代には年に数回しか行けなかったコンサートに、平成になってからは何度も通えるようになった。
平成も90年代の初めの頃と今では大きく時代が転換して、私がネットを始めた90年代後半頃は、ネットをやっていないファンも多かった。ネットで日本全国のJ友さんと繋がるようになって、ジュリ友と呼ぶ特別なお友達が増えた。それと反比例するように、大阪フェスのご招待客の行列の長さが、毎回伸びて行ったのも目の当たりにした。
それでも毎年変わらずに、ライブと音楽劇を続けてくれるジュリー。大阪フェスが建て替えで長い休館に入った時、フェスが新しく開場した時、ジュリーは再びこのステージに立てるのか、チラとそんな不安が心をよぎる事も有った。
その潮目がハッキリと変わったのが、2008年の還暦「ジュリー祭り」。 あの途方もなく巨大な京セラドームと、東京ドームに人が入るのだろうか?すご~く心配だった。(さいたまス―パーアリーナの時は、入りをたいして心配していなかったんだけどね。)
世間にジュリーの力を改めて示した、ドーム公演の反響は凄まじかった。新しいファンが増えて翌年から一気にチケットが争奪戦になってしまうなんて、全く考えてもいなかった。その熱気を肌身で感じられて、こっちまで浮かれてしまったが、今では「ジュリー祭り」を知らないファンの人も増えている。
ジュリーwithワイルドワンズ、とても楽しかった。加瀬さんの優しい笑顔が目に浮かぶ。そして叶わぬ夢かと諦めていたタイガースの再結成へと、ジュリーにはほんとに40年越しの夢の世界へ連れて行ってもらえた。私って、なんて幸せなファンなんだろう!✨
いや、本当に幸せな事とは
それはジュリーが昔より力強く、いっそう艶を増した声で、迫力のある動きで、古稀になっても変わらずに歌い続けている、その紛れもない事実だろう。その幸せを感じられるだけで胸がいっぱいになる。
ZUZU、久世さん、加瀬さん、井上さん、裕也さん、ショーケン・・ 多くのジュリーに関わる人々が令和の時代を待たずに逝ってしまった。ジュリーの心情は、いかばかりかと思うけれど、今は近日に迫ったライブの練習などされているのだろうか。
ジュリーには、いつもいつも幾つになっても ハラハラさせられるけど、私がつくづくスゴイ!と思うのは、ジュリーの選ぶその道は回り道ではないの?こっちの道の方が ずっと簡単で楽ではないの?そんなに頑なでなくても・・石頭の困ったおっちゃんや、と思って見ているのだけれど、長~い目で見ていたら、ハッと後になって気がつくの。ジュリーの歩む道は間違っていなかった!と。
ジュリーには他の人が到底行けない道でも、行ってしまえる、やりとうせる不思議な・・いや確信できる強い力を持っている。ジュリーはさすがです。
昭和、平成の色々な場面を駆け抜け切りぬけてきたジュリー。
次の時代のジュリーも、もちろん見続けます。
先ほど令和になりました。
ジュリーに指をさされたら、キャ~~ッと叫ぶ
自分で有りたいです(^-^)