EKOさんが、20日の大分iichikoグランシアタの ライブに行かれたそうです。レポをいただきました。有難うございます
★大分iichiko グランシアタ。2層のバルコニー席を有する囲み型のホールで、座席数は1,966席
ジュリー (EKOさんより)
もう昨日になってしまいましたが、大分グランシアタに行ってきました。
グランシアタは1,966席の駅から歩いて15分程の素敵なホールです。ジュリーがここに来てくれたのは、あのほぼタイガース以来です。
ホールの扉が開くまで扉の前に並んでいたら、「よくこんな所に来てくれたよね。今度いつ来るか分らんから来てみた。」と言う方が結構いて、私が「ジュリーはここのところ毎年大分に来てくれるよ。」と言ったら驚いていました。
「今日は歌えません、とか言わないよね。」話で盛りあがっているグループもいて何か変な気分でした。
彼女はデリケートを歌い終わったところで短い挨拶。何か聞きたい、ドタキャンの話とか、、、それは後で、、、
カサブランカダンディーは何かジュリー声が疲れているかなあ、、、と思ったのですが、すぐに力強い声になりました。
「あなただけでいい」、昨年亡くなった平尾さんへのリスペクトかな。
「風は知らない」大好きな歌です。ジュリーは確かに痩せていました。顔のあごの線がスッキリ。
痩せた分、何だか声が若返った気がして、saoさんが以前書いていらしたように確かに人生経験を積んだジュリーの風は知らないでしたが、私はまた若いころのジュリーが歌っている錯覚にも陥りました。
「雨だれの挽歌」、ドラマチックで涙が出そうでした。みんな聞き入っていました。
「我が窮状」姿勢を正して歌うジュリーに私も心の姿勢を正しました。
「屋久島MAY」ホール全体が屋久島の縄文杉の場所になった気がしました。大好きな歌です。
「A,C,B」私はタイガースがジャズ喫茶で歌っている頃は中学生。ましてや田舎の中学生。
テレビや雑誌で見る王子様のジュリーしか知らずそのジュリーが全てと思っていました。
あの頃、ABCに行って、ファンのお姉さま方とキャーキャー言ってお姉さま方とタイガースの話をしたかったな、、、と思いながら聞いていました。
MCは、ドタキャン話。会話は全部標準語でした。
大分はいつもだいたい標準語です。
「プッツンしたのではなく、(胸を叩いて)、ここがある。(頭を叩いて)ここがある。(胸)ここで感じ(頭)ここで考えてあの行動になった。
それも僕にはあの会場に来てくれた方たちが許してくれるという自信があったから。」「50年のうち売れたのは25年。あとの25年は地方を地道に回った時代がある。ヒット曲を4曲くらいしか歌わないことを貫きとおした。」
それから還暦コンサートで人気が復活したいつもの話になるのですが、ジュリーは地道にそうやってファンとの絆を作ってきて、ファンは自分の思いを受け止めてくれるという、信頼があるのですね。
それは、私はジュリーの離婚のときとか、マスコミに対する態度とかでジュリー離れした過去があるけれど、ジュリーを信頼し続けたファンがいっぱいいるから、今ジュリーはこの大分の地に立っているのだな、、、と改めて思わされた言葉でした。
2階席まで満員の会場に「この2,000人程のお客さんの前で歌う僕は幸せです。」と。
やはり、私はMCの声もジュリーは声が若返っていると何度も思いました。
カズさんのギターもギター1本なんて思われませんでした。ギターソロも力強くて聞き入りました。
帰るために駅に向かうと、駅前はクリスマスのイルミネーションうっとり。その時何やら聞き覚えのある声が、、、
食べ物やさんの2階から大きく流しているジュリーの「コバルトの季節の中で」
街はクリスマスのイルミネーションだけど、、、と思いつつ嬉しい気持ちになりました。
グランシアタにジュリーが来てることへのサービスかなあ、、、
ありがとう、、、本当に素敵な夜でした。
グランシアタは駅からすぐの商店街を抜けてすぐ、ホテルの中にある街中のホールです。会場一杯の2,000人ほどの聴衆だったのですが、大分のどこのホールでもジュリーに毎回のように言われます。
人数の割に声援の声が?って。
立っている人も前の方がほとんどで、『腰が皆さん痛いのかな、座っていても腰は痛いよ』って。
やはり、いくらジュリーに叱咤激励されても 土地柄ってあるのです。
ジュリー許してね。 気持ちは皆んな熱いのよ。
EKOさん、とても詳しい 素敵なレポを有難うございます。
大声援のあるところ、ザワザワしているところ、観客がウルサイところ、おいどまいどのあるところ、おとなしいところ、日本の全国各地で 観客の反応は違うのですね。長崎はカサダンの拍手が、他よりも一拍多かったです。あれは九州全域?長崎だけかしらん?