大賞こそな~んにも取れなかった1975年、ヨーロッパ進出、結婚、TVドラマの悪魔のようなあいつ出演、時の過ぎゆくままにの大ヒットと まさに充実の1975年でした。
アルバム「いくつかの場面」12月21日発売。
声を震わせながら歌うジュリーの「いくつかの場面」の歌唱には、ファンなら誰もがそれまでのジュリーの「いくつかの場面」を思い浮かべて 胸をいっぱいにして涙したはずです。
タイガース時代からほんとに 色んなことがあった。下手とバカにされ、あれほど売れたのにタイガースは解散、PYGを経てソロ歌手へ・・ ファンなら ほんとによく頑張った!ジュリーあなたはエライ!とそれまでの「いくつかの場面」を振り向き思ったたはず。そしてこの先も新たな「いくつかの場面」はまだまだ もーっと続いてゆくのです
何はともあれ充実の75年は終わった
私は76年の年明けは大阪フェスで。
日記を読んだらJ友さんから「3日はチケットがとれず、4日に回されたと連絡があった」と書いていました。これを読んでくれてると思う幼馴染のJ友さん、覚えてないでしょ?私も全く覚えていないわ・・・ 今なら、第二希望ならそれなりの席が来るとおもうじゃない?ところが、Wだよ!それまでがZばっかりだったから、前よりもちょっと前になったと 日記には健気にも書いていましたが、毎回が ヒドイ席ばっかりだったのよ~(田舎だから売り場に並んで席は取れないし、そこまでやれない)
※J友さんによると、今回の50周年は第二希望でもイマイチだそうです
76年1月4日の日記
『大阪フェスにジュリー見に行った、もちろんとっても楽しかったよー。LPの曲が中心でやっぱりナマはいいなぁ・・ (中略)おしゃべりもとても楽しかったよ。駅での事件の話しが多かったけれども、でもジュリーは二度とあんな事はしないでしょう。ジュリーもしきりに言っていました。悔しかったろうなぁ と思うと可哀そう。今さら仕方のないことだけど。
(コンサートには)サリーやデイブ平尾が出て来て、もうあの事件はパロディであります。
※比叡山に行った日の事、私達が京都駅に着いたら改札で国鉄駅員から「また来たのか」と言われた。と日記に書いていました。そういえば、おぼろな記憶が・・・昔の国鉄は、親方日の丸で駅員教育がなってなかったんじゃないでしょうか
今年で10年目、新たな気持で頑張って欲しい。ジュリーってまるでハーフみたいでスラっとしてカワユイの今回はあんまりロックっぽいものは少なかった。私はとてもおとなしくて、ジュリ~♪なんてひと言も叫ばなかった。前に押しかけることもせず上品に聞きました。
Julie、始めは船長みたいな白い服に帽子を被って「あこがれのハワイ航路」なんて歌うの。変わっていて面白かった。それから紅白の時のぶどうのついたラメの衣装、とてもキレイ。2時間なんて短い・・ 4月7日に神戸国際会館に来るの、ジュリーシートが4500円。一度は前で見たいから4500円出そうと3人で決めた(あとの1人は誰か忘却)でも4500円て高い、ファンクラブの会費も払わなきゃいけないし お金がいっていって トホホ・・・お金~~~!!
※日記はほぼ原文のままです。文章力も頭の中身もともに、40年たっても全く進歩が無いことが よ~っくわかりました 当時は至極真面目に書いていますが、今読むと・・・笑えます 若い時はお金がなくてツアーに行けず、働いてお金が自由に使えるようになったら、今は家庭や介護で自由に行けない。そんなもんですね。
この後、1月21日に新曲「立ちどまるな ふりむくな」発売。TBSの久世さんプロデュース、セブンスターショーに出演。2月11日に「巴里の哀愁」が公開になりました。3月からは2週間のヨーロッパへ、スイスでTV出演・フランス・イギリスでレコーディング。
帰ってきたらスプリング・ロックンツアー春の全国縦断コンサート。ジュリーにならい、若手の歌手も全国縦断ツアーをするようになったそうで、なんでも先駆者のジュリーです。
長くなったので予定の某夫人は明日やります、ごめんなさい。明日で激動の「1975年・巴里の哀愁」のカテゴリーは終わります。