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朝日新聞 ひととき

2019年02月28日 | TV・ラジオ・CM・映画

 朝日新聞、ひとときの投書

小椋佳さんは、おいくつだろう?ジュリーよりも、ずっと年上ではなかったか?と調べてみたら75歳でした。

後期高齢者ですね。ずっと前にご病気だと聴いていたと思うので、ライブをされているのはお元気になったので、良かったです。

 


1990年放送のジュリー出演のラジオドラマが放送されます。→今日は一日“ありがとうFM50”三昧 ~オーディオドラマ編~

特集サラウンドシアター 帰ってきた男 (60分・1990年放送)
作:池澤夏樹 音楽:水谷川忠俊 
出演:沢田研二 鳳蘭 ほか

以上の番組に、残念ながら全く私は記憶にないんですが・・どなたか、覚えていますか? 

それよりもっと前にNHKで放送したラジオドラマでも、よく覚えている作品はありますが(村上龍のコインロッカーベイビーズとか)、これは全く記憶にひっからないので、初めて聴くのかもしれない。だとしたら 楽しみです(^-^) 

作品名で検索しても、やっぱり記憶にない「帰ってきた男」

これは三昧シリーズで、一日中、同じテーマでやる番組ですよね。どうしても2008年の「ジュリー三昧」を思い出します。・・というか三昧シリーズは これしか聴いたことが無くて、ジュリー関連でない限り、一日中ラジオを聴き続ける事なんか、まずない。ジュリー三昧の放送日は、朝からドキドキして放送時間を待ちました。ジュリーが話すのなら、何時間でも聴けるわ。

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阿部嘉昭さん

2019年02月27日 | JULIE

後回しになってしまったのですが→「予約しました」 

こちらの書評を書かれた 阿部嘉昭さん(評論家・北海道大学准教授)は、感動的だったあの→「沢田研二・東京ドームライヴ」を書かれた方ですと、J友さんから教えていただいていました。

もちろん、東京ドームのライブ後に読んで大変感動したので

今でもその書き出しの文を忘れません。

これが、憶えておく数値。
昨日の15時から21時半まで
東京ドームでひらかれた
「人間60年 ジュリー祭り」で
沢田研二がつくったものだ。
ゲストなし、ツインギター、シンセ、ドラムという小編成のバンドのみで
単身の沢田がつくりあげた数字だから、恐れ入る。

 

嬉しくって嬉しくって嬉しくって、阿部さんや、こちらの記事は繰り返して読んだ。
前人未到「還暦アイドル」 ジュリー祭り

還暦ジュリーの画像は、これが一番好き!

今読んでも「ジュリー祭り」の記事には、やっぱり胸が熱くなる

古稀のジュリーの記事も、いっぱいネットや雑誌には載ったけどね~(笑)

 


当時、東京ドームのライブに参加してから、一時離れていたジュリーに戻りました。そう言われていた方が、どれだけ多かった事か。

ドーム公演をきっかけに、再びジュリーを再認識した方がとても多かったのは間違いのない事実で、それから後のライブチケットが、途端にとりにくくなりました。(正確にはその前から、前夜祭のライブから客席の満席が続いていました)

あれから10年、ジュリーのエポックメイキングである還暦の「ジュリー祭り」を知らない、それ以降にファンになった方も増えました。今は、さいたまスーパーアリーナの騒動のせいで、ジュリーに戻りました、ジュリーを知りました、と言われる方が増えたと思います。

そして今は、パソコンよりもTwitterで情報を得ているのですね。10年はほんとに、ひとつの区切りだと実感しています。

 

近所の公園の梅林

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有難うございます(^-^)

2019年02月26日 | JULIE

1989年の2月24日、冷たい氷雨が東京に降っていたその日、昭和天皇の大喪の礼が行われていました。

日本中が喪に服していたので仕事はお休み、家の中で一日中 じっとおとなしく、TV中継される大喪の礼を見続けていました。各国から弔問に訪れた要人たちが寒そうで、お気の毒に思いながら。

よりによって、私の誕生日と大喪の礼が重なるなんてね、お蔭で今までの60年を超えた人生で、一番思い出に残るバースデイでした。昭和の終りを見届けた、あの日からもう30年・・ 

24日はJ友さん達から、お祝いのメッセージをいただきました。素適なバースデイカードもいただきましたよん!皆さま、どうも有難うございます〜 

 

 

 

 綺麗な若いジュリーから、最近の年齢を重ねてなお素適な愛しのジュリーまで、ジュリーの活躍の長さを改めて思いながら、美しいバースデーカードを楽しませていただきました(^-^) どうも有難うございます。

明後日の2月28日は、2012年のブログ開設から8年目を迎えます。溢れるジュリー愛をブログで語らずにはいられない!などと思ってブログを始めたわけでは全く有りません。単なるなりゆきです(^^ゞ

読ませていただくだけで充分楽しいので、私が語れるはずはない、ブログをやるはずがない、やれないと思っていたのに、よくも続いたもんだと思います。

私の本質はミーハーで、色んなものに興味津津、ジュリー以外でも見たい知りたいものがいっぱいあります。誤字脱字、間違ってもよくある事さの精神で、これからも ゆる~くやりたいとおもいますので、どうかご容赦いただけますように、お願いいたします。

とっても香りのよいブーケ。有難うございます

平成も終わろうとしています。

昭和、平成、そして次の新しい時代のジュリーも ずっと見続けていきたいと思っています。

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『Uncle Donald』

2019年02月25日 | JULIE

ドナルド・キーンさんが亡くなられました、96歳。→ドナルド・キーンさんは戦時中も日本を愛した。『源氏物語』で学んだ平和への思い  読んでキーンさんのこれまでの歩み、日本文学の勉強、戦争を経て日本との関わり、心から日本を愛し、2011年の震災後に日本国籍を取得したキーンさんの姿に、胸がジーンとしました。

先月は橋本治さん。ジュリーと関わりのある方が、またお1人逝かれてしまい、淋しい・・ジュリーがキーンさんに送ったCD『Uncle Donald』を思い出します。→沢田研二さんがキーン先生に捧げる歌  東日本大震災が2011年、収録の「Pray」は2013年だったのかと、あの日からの時の流れの速さを実感しています。

そのジュリーのCDも収められている、キーンさんの部屋がある北区中央図書館のようすは、2015年のブログにアップしています。→北区中央図書館

『私の日本への愛、日本人への尊敬の念は何一つ変わっていない。ただ、確かに失望していることはある。』そう言われていたキーンさんに、日本のこれからの姿を空の上から見守って頂きたいと思います。

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20代の甥っ子さん

2019年02月24日 | JULIE

コユズさんからコメント欄にいただいた、横浜の20代の甥っ子さんのお話が面白くって〜(^^ゞ 改めてこちらで、お知らせします。以下、コユズさんのコメントから、有難うございます。


まだ20代の甥っ子が、武道館の中日に参戦して参りました。彼のNo.1ソングがこの曲(ヤマトより愛をこめて)だから。

イントロのピアノ演奏がギターってさぁ。と首をかしげながら参戦した訳ではございますが、言葉を無くすほど、感動して帰って来たようです。

甥が何故、武道館に参戦したかともうしますと、彼ら家族が横浜に住んでおります。そのため、沢田夫妻の姿をよく見かけるようで。高島屋やら、コンビニやら、、田舎暮らしの私にしてみれば、うらやましいこと、この上ないです。

たまたま、彼の父親(私の弟)と一緒に高島屋に行った時、沢田夫妻に遭遇して、「あっ、ジュリーだ」と声を出してしまいました。甥は「ジュリーって、誰?」と、聞いたらしく、弟は「おばちゃんが小学生からファンの、日本一歌の上手い人」と、囁いたようです。

甥は、そんな人ならもっと人だかりができる筈なのに、なんで?と疑問に思ったらしいのですが、ただその後も、たびたび見かける際に、声は掛けないけど離れた場所からジュリーを見つめる人たちに気づいたと、言ってました。

それから、去年の件(さいたまスーパーアリーナ)がありまして、ネットで過去の情報をググるうち、興味が沸いて、昔のパンフレットやら、「我が名はジュリー」などを見つけ、それらを見ているうちに、マスコミの報道と、おばちゃんの話があまりに差がありまして、どっちの言うことが本当なのか、気になったし、

1日4000人の関係者を3日間集めることができるのか、また、5000人以上のおばちゃん世代がノリノリでライブを楽しめるのか、ネットで見つけた歌声が凄かったこととか、幾つかの条件が重なったからです。

さて、今年のツアーはどのようなラインナップになるのか。新曲は?と今からワクワクですね。


小さな疑問が、ジュリーの曲を聴くきっかけになられた20代の甥っ子さんの感性が、素晴らしい~✨

ジュリーさまへの道は、あまりにも深くて長い道ですが、これからもジュリーを、若いあくなき探求心で追いかけていただきたいと思います!

それにしても地方に住んでいる者には、ジュリーのお買い物風景を 遠くから垣間見ることなど叶わぬことで「声は掛けないけど離れた場所からジュリーを見つめる人たち。」が、羨ましい限りです〜(^-^)

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SHOUT!

2019年02月23日 | JULIE

手書きのロゴのポスター、カッコイイ~

若手のロックバンドみたい(^-^) 

攻めてるわ~ 吠えてるわ~

SHOUT!してます

ロームシアター京都

公式ポスターですか??

3枚ならべてみました、

J友さん教えて下さって

有難うございます✨

 

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③姫路 想い出の映画館

2019年02月23日 | TV・ラジオ・CM・映画

「炎の肖像」のチラシが有りました。

10㎝x20㎤程度の大きさ、全体像 ※画像追加しました

※ホテル昇殿て。。。もしやラブホ??

字が小さい~💦 実際のチラシも字が小さい。老眼になって読めないわ~ 宵待草のあらすじは、たったの3行で しかも切れている。どうでもいいのかしらん💦

ジュリー拡大

J友さんのご覧になった川越の日活は、普段はポルノ映画などを上映していて、入りにくかったそうですが、ここは大劇場でした。大きいので客さんの数が目立つ💦 宵待草のかいせつはいらないね?あまり面白い映画ではありませんでした あらすじ、切れてるし・・


「炎の肖像」を観た山陽座は今はもうなく、ここでは寅さんも観たっけ「花も嵐も寅次郎」。さすがに寅さんのお客の入りは多く、老若男女 広い世代のお客さんが来ていました。2015年に入っていた建物が老朽化で閉館になり、その後ビル全体が取り壊されて、今は新しいビルの完成が近いようです。

その道を挟んだ目の前にあったのが、ジュリーたちファニーズが初舞台を踏んだ姫路国際シネマ。が、70年代にはすでに国際シネマはなく、国際会館というパチンコ屋に変わっていました。「国際」とは随分ビッグな名前だと思っていたけど、映画館の名前を引き継いでいたのね。今はそこも無くなって、スターパーキングになっています。この場所から真のスターが羽ばたいていった事など誰にも知られず、毎日 車が出入りしています。

下は姫路駅から歩いて数分、ファニーズ初舞台の場所の現在の姿。

「太陽を盗んだ男」を観た姫路OSも、「魔界転生」を観た東映も、時代の流れで次々に閉館し、今は流行りのシネマコンプレックスができました。 

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②姫路「古い映画館の想い出」

2019年02月22日 | JULIE メモリーズ

昨日の川越の映画館に思いでがお有りのJ友さんは、3月中に無くなる前に あの元映画館に行ってみたいと言われていました。

その時の映画の半券を保存されていたそうで、画像を送って下さいました。

ポーズをとったジュリーが懐かしい・・

誰? けど、確かにこれもジュリー

歓びも悲しみも憎しみも

激しく美しく火と燃える若き日々

’75正月最高の<青春>ドラマ

今読むと気恥ずかしくなるような、映画のコピーでは有ります。 

J友さんの映画館の想い出の場所が川越なら、私にも思い出があって、私にとって「炎の肖像」を観に行った映画館は姫路です。

高校生だった12月の日曜日、封切り日の初回に姫路駅前の映画館に行きました。

今のシネコンと違って映画館は大劇場、映画館の扉を開けると・・ どれくらい多くの観客が詰めかけているのかと思っていたら、アララ・・

観客は少なくガラ〜ンとしていました。しかも隣りに座ったオッサンは痴漢・・💦「炎の肖像」には腹の立つ思い出もセットになっています。私は大スクリーンのジュリーを見るのに夢中で、隣りのオッサンに気が付かなかったのです。

スクリーンのジュリーは若くて、しらけていて、無軌道で、ライブ場面のみ熱かった。樹木希林さんはまだ結城千帆。正直、高校生にはよくわからない映画でした。濃厚なシーンも嫌だったし。

こちらでジュリーが「炎の肖像」を語っています。→ラジオ沢田研二ショー「映画:炎の肖像ー1 」1974年12月8日放送 私はこのラジオ番組の記憶はないのですが。。 関西で放送したのかな?

父親役の佐野周治さん(関口宏さんのパパ)についてジュリーが語っていますが、若いジュリーには、佐野周治さんはずっと年寄りに見えたのでしょうね。

調べてみたら、佐野さんはまだ62歳。66歳で急に亡くなって、まだ若いのにと思った記憶があります。たまたま、古本屋で今日買ったばかりの映画本に、プロフィールが載っていました。(ジュリーは載ってなかったわ)

さらにジュリーが 、ラブシーンについて語っているところに、ジュリーの「意地」を感じました。できませんと言いたくない、歌手芝居と撮影所の人に思われたくは無かったんでしょう。

なんで、女の子のアイドルジュリーにこんなシーンをさせるのか、ファン層は若いのに、この時のジュリーにやる必要があったのかと、ずーーーっと思っていました。 ジュリーの心情をやっと理解できて、良かったと思います。

映画を観てから45年もたってしまったのだけれど。

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①川越「古い映画館の想い出」

2019年02月21日 | JULIE

2月7日の川越にいく前に、J友さんから

『川越は私の学生時代の街です。時の鐘の近くの映画館で「炎の肖像」を観ました。

まだ古い映画館が残っているらしいです。川越市民会館では、8時だよ!全員集合がよく収録していました。ジュリーも来ました。懐かしい想い出です。』

というメールをいただいていたので、古い映画館を見落とさないようにしなければ・・と思っていましたが、その後

『炎の肖像は、川越プラザ劇場が日活だったようなので、こちらで上映されたようです。今はもう無い?』とのことだったので、残念もう無くなったのね。と思いました。 

ところがその後・・

こん松のブログの写真、あれは川越プラザ(旧鶴川座)跡ですか?あそこが以前映画館で、日活だったそうです。私が「炎の肖像」を観た映画館。。。。 あの凄いポルノ映画のポスターや看板に戸惑いながら入った映画館です。映画館跡、今もまだあるのですか??』

そこに貼ったものは以下の画像でした。

観光客の多い道からは、横に入った通りで見つけた、いかにも昭和らしいポスター(偽物)が面白くて、写したこの場所。その場所こそが、かつての日活の映画館跡だったのです。

観光客の為にエントランスをインスタ映えの場所を提供しながら、でも建物の中には入る事はできない。中を覗き込んでも物販店ではなさそう、入り口は解放しながら、中への入場は拒否、この落差は何で? ここは元は何だったのだろう?と不思議に思いながら。


川越観光の中心である昭和の街通りを、右手に一歩入った場所、「旧鶴川座」と書かれた場所が、元映画館だったのでした。明治時代に芝居小屋として完成し、時代と共に日活の映画館、ライブハウスとその姿を変え、2000年に閉館したのちは廃虚になっていました。

その後、川越を愛する有志の方々によって綺麗にお掃除されて、会場は時おり使われていたようなのですが・・・ インスタに投稿されていた文によると

『旧鶴川座入口前が綺麗な傘たち(アンブレラ・ウォールというらしい)で飾られていました☂️ 市の観光課企画による周遊イベントがあるようです。イベントは3月26日まで行われるので、それまでは見るチャンスはまだありそうです。5月頃には旧鶴川座は解体され、跡地には宿泊施設が建設されるとの事 、明治~平成を生き抜いた歴史的建物がなくなってしまうのは非常に寂しい事です。』

川越で明治からの歴史を刻んだ旧鶴川座は、5月には解体されるとのこと、とても残念です。私が見た時、インスタ映えの場所として、ポスターの横には傘が綺麗に飾られていました。これらが見られるのは3月末までです。

傘に浮かび上がる「結」の文字は、元映画館が解体される直前に、J友さんの青春の想い出を結び付けた、という事でしょうか。

何やら、この私までせつなくなった J友さんの青春の川越の映画館でした。

私にも青春の想い出の映画館があります。

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BOYS AND MENでさいたま~♪

2019年02月20日 | JULIE

J友さんからツイ情報をいただきました。

ジュリーは6位→【2019年1月】最新の音楽トレンドをチェック!ライブ動員数ランキング 武道館3連チャンがありましたもんね。

気になったのが、ジュリーの下にいるBOYS AND MENで、ある日TVからTOKIOのメロディーで「さいたま~♪」という歌声を聴きました。何だこれ?と思ったら、コメント欄でBOYS AND MENというグループが歌っていますと、教えていただきました。

ボイメンの動員人数は名古屋ドームという、大きな箱で一回やった動員人数のようです。(正直言って、こんな大きいとこでやれるグループとは存じ上げず・・人気グループやったんやね。)

埼玉は1分過ぎくらいからです。川越でメンバーが紫芋ソフトを食べています。やっぱり、埼玉といえば川越なのね。 

ボイメン、沢田研二「TOKIO」のカバー「TOKIO 47」“47都道府県 全バージョン”を配信リリース


 

守山市は滋賀県です。→守山市民会館 7月19日 転売チケットは入場禁止というけれど、どうやって確かめるのかしら?

滋賀県て、琵琶湖周辺以外は ほぼ知らないなぁ・・💦 比叡山から見降ろすと、琵琶湖が見えました。彦根城、長浜城には花見に行きました。ジュリーのライブのついでに、琵琶湖大津館にも。

守山市のライブには交通が不便そうだったので参加しないけれど、春になればヴォーリズの建築を観に、滋賀の近江八幡まで行きたいと思います。

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