マツケンさんの続きです。
松平健さんの舞台を2008年か7年に(2007年でした)、まだ大阪の難波にあった新歌舞伎座で見ました。800円で見られるという、新聞社のお得な優待チケットを手に入れたので、この値段なら見に行ってもいいと思った。2004年に流行った「マツケンサンバ」からはもう数年がたち、その熱気は薄れていた時期だった。
果たして新歌舞伎座まで行ったら、開演時間には間があるというのに、私のような安売りチケット狙いの中高年の男女で、新歌舞伎座前はワイワイガヤガヤ騒然 いっぱいになっていた。やっぱりな、安いと来るのよね。私もですが (^^ゞ
係員がいうには、沢山の方が来られて3階の優待席が確保できるどうか、わかりません。2000円のB席なら、必ず確保できます、という。なんだ~ 結局そういう事か、お金を払えってことね(=_=;) 神戸から難波までわざわざ出てきて、何も見ないで帰るのはどうか・・と思ったので、仕方がない。2000円を払った。ああ、優待チケットで釣られてしまったなぁ ・・
新歌舞伎座は約1700席。1階の値段の高い席はパラパラ 半分も客が入っていなかった。3階のてっぺん席は優待の人達でいっぱい。私の座った2階席には、真ん中辺りだけ人がいて、端は全部が黒布で覆ってあった。マツケンサンバの熱気はとうに醒めて、ま、客の入りはこんなもんでしょう。大劇場で一ヶ月も公演するのは、もはや よほどの人気演目か、選ばれた大スターでない限り無理です。もう歌手の座長芝居の時代ではない。
一幕は捕物帳だったが、謎らしい謎もなく、たいした緊迫感もなく、とても退屈な芝居・・・眠くなって 眠くなって・・・こらえていたが眠気に負けて、芝居が始まってから、わずか30分ほどで深い眠りに落ちた。気がついたら、芝居は終わっていた。あれま(*_*; でもたいして残念でもないわ~
二幕は舞踊でした。ゲストはさすがに最近は見かけなくなった、京唄子。実は、これは書きながら 今思い出したエピソードで、これを書かなきゃ忘れたままだったろう。ブログって実は記憶の発掘の助けになるのね。京唄子の踊りは、見た目はまだまだ遠目にはキレイだったが、踊りの動作はゆっくりと緩慢だった。こんな程度の踊りを見せて・・・と冷たく見ていた私だった
が、京唄子が高らかに『今年で80歳です!』と誇らしげに 女性なら言いたくないと思う自身の年齢を告げたので、オドロイタ。この年齢でこの踊りなら、スゴイです!それにしたら うちのバーさんは(寝たきり認知症)・・・と、当時思った。でも比べたらアカンね。京唄子さん、今年で幾つだろう?そうか、年齢がわかれば、この芝居を見に行った年も確定できるわ。 ※京さんは1927年生まれでした。今年88歳。
そして、やっとお待ちかねの オ~レ~ オ~レ~ マツケンサンバだよ~ ドハデキンキラ着物のマツケンさんが、バックに踊り子を多数従えて 華やかに歌い踊る。さすがにこの時は客席は盛り上がりました、私も ほぼこれが目当てだったんで 一緒にオ~レ~♪ で凄く楽しかったわ~ヽ(*´∀`)ノ(ノ´∀`)ノ

この後、新曲を長い黒髪の総髪に、真っ白なスーツで歌ったけど、もはや二匹目のドゼウは いなかった模様でございます。以上は、マツケンさんが再々婚しなければ、思い出さなかったお話でした。
そして最初見たときは、大都会のド真ん中 ビルの間に ド~ンとドッシリとした存在感を放つ新歌舞伎座。桃山風で周りの風景と全くそぐわない、現代建築の狭間で違和感超ありあり。なんですか?これ?と思いました。この頃は、建築に興味はなかった。

2009年に取り壊されると知った時には、さすがに残念だと思った。そして、今知った。これ、有名な建築家・村野藤吾昨だったんですね。知らなんだ、あああ 無くなって残念・・・ただ、wikiに「内装も豪華」とあるけど、豪華だったなあ??覚えてない、古くて煤けていた、という記憶しか、残っていないのであった。 興味のある無しとは、こうも見方が違うものです。チャンチャン・・・
※姫路市に「ヤマトヤシキ」という、ローカルなデパートがございますが、梅田の阪急デパートのショーウインドーの華麗さ豪華さと比べたら、まさに月とスッポンのショボさ・・・。そのヤマトヤシキの建物は、なんと旧新歌舞伎座と同じ、村野藤吾だったんです!知らなんだ~(殆どの人は知らんと思う)そう知れば、途端に有難や~と思ってしまう、建築家のブランド名にヨワイ私だった。