2018年は、記念すべきジュリーの古稀の年でしたが、揺れに揺れた2018年になりました。
驚きは新年初めの大阪フェスティバルホールから始まりました。 フェスでは、行ったら当日の席が変わってしまいました。普段入れないオケピ席に席ができました。関係者席が増えたせいだとか、何とか?どういうこと?
それはともかく突然の発表
ジュリーと関わった方との別れも多かった2018年。
ジュリーを長く支えて下さった井上堯之さん。まだ若い秀樹さんの死去には、大変驚きショックでした。希林さんは何と言ってもジュリ~♪心よりご冥福をお祈りします。
紫色のピエロは躍る、古稀のステージが始まりました♪
最初の武道館ではギター1本だけの音に慣れることができず、曲によっては違和感は残りました。9月の横浜アリーナあたりから、2人だけの音に慣れてきたような気がします。
タイガース時代の『風は知らない』が、私の中に大空を拡げさせ、ジュリーの柔らかく気負いのない歌声が心に沁みました。
ツアーの初日の武道館は、行きの新幹線も大幅に遅れ、自由席で途中は立っていました。帰りの新幹線は動けば停まるを繰り返し、新大阪に着いたのは午前1時くらい。やっとのことで新神戸まで辿り着き、JRが手配したタクシーで午前3時に家に帰りました。J友さんは、列車ホテルで新大阪で泊まったそうです。この時のJRの対応は、説明不足につきます。なるべくタクシー券を出したくない、費用を抑えたいという意図が見え見えで、対応に不信感を抱きました。
私の今年の遠征は、武道館と横浜アリーナと静岡と長崎です。
静岡ライブに台風直撃、新幹線は動くのか?静岡まで行くべきか?行かないべきか??
前日はTVの台風情報ばかり見ていました。もし開催されたとしても、当日中に家に帰れそうにもない。ライブの翌日の仕事をドタキャンすることは職場に迷惑をかけるので、私はジュリーを断念し、静岡に向かうことはやめました。結局、公演直前にJRの運休でライブは中止になり、のちに振替公演になりました。
51年間の間には、ショックな落ち込んだ出来事は何度もありました。
1976年の新幹線事件で、ジュリーが1カ月の謹慎をした時。77年「勝手にしやがれ」で大賞レース前に起こった大麻騒動。いずれも大変心配し落ち込んだ出来事でしたが、ジュリーは大ヒットを出すことで、自ら騒動を吹き飛ばしていきました。
今回はそれらを上まわる大きな騒ぎになりました。10月のさいたまスーパーアリーナの当日、J友さんからLINEで『開場が遅れています』その後すぐ『中止になりました』ええええ???うそ~ 何で?病気? 観客が少ないから?そのどれもが中止の理由だとしたら、イヤ!
世の中はネット社会、あっという間に中止の噂が拡がります。有る事ない事を書かれて言われて、TV欄も新聞にも沢田研二の文字が踊っていました。パソコンを開けたら、トップニュースに沢田研二の名前がズラーっと並んでいて、見ただけでパソコンを閉めたくなりました。
ジュリーはこれからどうなるのか? 翌日になり、謝罪会見をするという・・ ジュリーが世間に対して謝る姿など、私は絶対に見たくはないのです。
コメント欄に 今までにないほどの数のコメントをいただきました。皆さんが動揺している、ジュリーを心配している。心を動かされなかったコメントはひとつもありません。そのどれもが、心からジュリーを心配しているコメントばかりでした。私達のジュリーへの気持ちは皆同じです。
ジュリーの飾る事の無い真面目な謝罪会見の言葉で、ジュリーが中止にした心のうちはわかりました。会見後から事態は収束に向かいましたが、騒動直後の大阪のローカルな狭山でのライブには、想像以上の多くの数のマスコミが現れ、観客に遠慮のないマイクを向けていました。
狭山の席は記念すべき1列でした。始まる前から会館の内外に大きな熱気が感じられ 会場は異様な雰囲気に包まれていましたが、いつも以上の精一杯の大きな拍手でジュリーを迎えました。ジュリーはいつものように歌うのか?狭山で何を語るのか?
始まれば、これまで以上にジュリーとファンとが真剣に向き合った、熱い熱い濃密なライブになりました。私達は何があってもジュリーの味方です。
そんな中で、楽しい思い出もできました。
長崎まで観光を兼ねてライブを見に行きました。坂の街、長崎の異国情緒は神戸とも横浜とも違う。歴史を残す街並みや、原爆を投下された街でもある長崎。横浜、静岡と同じく、また再び行きたいと思います。しかし長崎のジュリーは、あきらかに風邪声でガラガラ、とても苦しそう・・ それでも何とか持ち直し、ジュリーは歌いきりました。
11月18日の京都のロームシアターは、タローさんの誕生日! まさかのタローさん本人の登場で、
会場は大いに盛り上がり、2人の変わらない友情に心はホッコリしました。
来年もどうぞよろしくお願い致します。