J友さんの「ザ・タイガース メモリーズ」
ジュリーのサインからの続きです♪
タイガース時代のジュリーのサイン - (移転しました)Saoの猫日和/old
先日、J友さんからタイガース時代のグッズ画像を見せていただきましたが、ジュリーのサインをご覧になったJ友さんから、ご連絡をいただきました。J友さんはザ・タイガー...
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1970年の大阪万博、EXPO70。タイガースの画像はネットから
大阪万博で開催された、タイガースが出演したコンサートに行かれたJ友さんの想い出。片づけをしたら数十年ぶりに、万博でタイガースが出演したパンフレットが出てきたそうです。
タイガースやGSが出演。当時、東京の大学生だったJ友さんは、実家のある関西に帰省しながら自宅には帰らず、会場近くに宿を借りて、毎日タイガースのショーを見に通ったそうです。
8月13日から16日
【大阪万博】1970年8月13日(木) インターナショナル・ウエスタンカーニバル
●インターナショナル・ウエスタンカーニバル
出演:ザ・タイガース/ザ・スパイダース/ザ・ワイルドワンズ/ザ・テンプターズ/ロック・パイロット(以上日本)
アライバル(英国)/マザー・スピリアス(アメリカ)/サウンド・トラック(フィリピン)
万国博ホール(14:30/18:30)8/16まで
VOL.4とありますが、全部でパンフは4冊あり、J友さんのお持ちはその中の1冊。
タイガース、タイガースの弟分のロック・パイロット、ワイルド・ワンズ、3組ともナベプロです。
ロック・パイロットは以前にブログでも何度か紹介しています。翌年にジュリー作曲の曲でレコードデビューしました。詳しくは⇒こちら
タイガースだけ、拡大。
他にスパイダース、テンプターズ
外国バンドも多数出演していました。
今も現役の方も、もうすでに亡くなった方々もパンフに載っています。
布施さん、森さん、三田明さん。
倍賞千恵子さん、美津子さん。
プロデューサーは渡辺美佐さんです。
(渡辺プロダクションの会社史より)
1970年3-9月 大阪万国博ホールにて開催
オープニング・スペシャル・ショーのサミー・デイビス・JRをはじめ、アンディ・ウイリアムス、ジルベール・ベコー、フィフス・ディメンション、マレーネ・ディートリッヒら超一流のアーティストを招聘し、国際的な文化交流を深めるとともに、EXPO 70の目玉として大成功をおさめたその手腕と名声は、国内はもとより海外まで高く評価される。
銀幕の大女優・マレーネ・ディートリッヒが万博にやってきた、70歳。という新聞報道と本人画像の記憶が、いまだに私にはしっかり記憶が有りますが、調べてみたら69歳だった。日本のマスコミはあまり騒がなかったらしく、もうバーさんだと思ったんでしょうか。ジュリーの音楽劇「ブルーエンジェル」は、元はディートリッヒの「嘆きの天使」の翻訳だったはず。
J友さんによると、『70年の万博は全然ホテルが足りなくて、近くのまだちゃんと建っていないマンションを宿に斡旋していました。布団は貸し布団、今思えば そんなんでいいの?と思うところがあり、空前のイベントに何もかも付け焼刃、といった感じでした。』
全く先例のない、空前の大規模イベントですから、何もかも手探りだったんでしょうね。
大阪で開催された万博には、学校と家族とで2度行きました。大行列の人気パビリオンには行かず、すぐに入れるローカルな国のパビリオンにだけ入りました。覚えているのは、カッコつけてサインしてくれたお洒落な万博のコンパニオンさん、外国人観光客さんにもサインをねだりました。三洋電機の洗濯乾燥機に、進化した全自動人間洗い風呂。暗い部屋の中で初めてのお披露目だった、レーザー光線を浴びて、同級生とキャーキャー騒いだのを思い出します。
並ぶのも待つのも嫌で、月の石も見ず、太陽の塔の中にも入らず、ですが人類の進歩と調和、人々の大きな熱気に包まれ、この先の輝かしい未来を信じさせた、大阪万博の記憶。なんたって姫路の田舎から出てきて、生まれて初めて外国人を見た!のが、1970年の万博でした(^^ゞ
2025年には、大阪で再び万博が開催されます。まさか、そのころにはコロナも終息しているでしょう、でないと大変やわ(-_-;) 大阪に夢をもう一度・・というには、あれから世界も日本も変わってしまい、あの頃の日本人が誰もが感じた高揚感が、再び今の時代に蘇るとは思えない。人類の進歩と調和から、世界はどの方向に向かうのだろうか。
2025年の万博は「いのち輝く未来社会のデザイン」。万博を開催する理由は、何よりもまず一番に、経済波及効果、儲けたい人が期待してのことだと思うけど、我々の前にどんな未来社会を示すことができるのか。本当にどの小さな命も輝く未来でありますように✨