土曜日の朝日別版be「もういちど歌謡曲」は1974年5月の曲です。
1974年、発売は3月の「恋は邪魔者」この時の衣装は派手だった、衣装に負けないくらい大きく足を広げ、手をつくアクションもハデだった。ジュリーの若さこそのものだったと思う。
特に凄かったのが「東京音楽祭」の時のジュリーのアクション、ジュリーいきってる(頑張りすぎてる)売れているという自身が怖いものなし、やりたい放題の感じがした。歌唱衣裳パフォーマンス、全てにあんまり頑張り過ぎて、張り切りすぎて張りつめ過ぎました、見ていて、ジュリーやりすぎ・・・ その思いきりの頑張りにも関わらず、国際大会には出られなかった。テレビの前で、お茶の間にはこういうジュリーはどういう風に受け止められているのだろうか?と思った。そして次の曲はニーナ!の「追憶」ノリにノっている印象です。
大ヒットした今も忘れられない有名曲が並ぶ当時のオリコントップ10に、「恋は邪魔者」は・・・
☝ かろうじて10位!
さて、読者が選ぶベスト15は?(当時ヒットした上記を含む20曲から、beモニターが選びます。)
結果発表 上からずーーーーーーーーっと下の方へ
結果、入ってない・・(ーー゛) 売り上げはベスト10内なのに、読者が選ぶ15位にも入ってない!
ムキ~~!!(怒!) でも仕方がないわ、ジュリーのヒット曲の中では目立たない曲・・大ヒット「危険なふたり」の後、「追憶」の前。投票しているのは、6割強が男性だしね。おもしろくな~いと、思いながら検索していたら、とてもよいサイトを発見。
音楽に造詣が深く、かつ当時の音楽シーンを良く知る方の確かな分析と考察には、素直に感動します全く同感です。当時を知る人も、知らない人にも読んでほしい!「恋は邪魔者」以外の記事もこれから読みます(^-^)是非
→http://orikarapoponta.blog.so-net.ne.jp/2012-04-29 1970年代の音楽を一曲ずつ紹介し、そのオリジナル・カラオケで楽曲考察を行い、制作時の背景や時代、またエピソードを筆者の知っている限りお伝えします。
(抜粋)沢田研二さんはタイガース時代から、特に若い女性から絶大な支持を受けていましたが、大衆からみた沢田研二さんのイメージは決して健全なものではなくて、当時のロックシンガーに対するイメージと共通するような、どこか不健康で近寄りがたい印象を抱かせるものだったんですね。それが「あなたへの愛」あたりから柔和になり始め、「危険なふたり」で一気に親しみやすさを増していきました。
「恋は邪魔もの」は、その歌詞や歌い方からして、折角そのように変化していた沢田研二さんのイメージを再び不健康なものに戻してしまう楽曲となる可能性があったと思うんです。しかし前年の活躍が絶大であったためか、そのような事は全くありませんでした(^^)
※前年の活躍とは、「危険なふたり」のヒットで日本歌謡大賞、レコード大賞大衆賞の受賞を指します。これで完全にタイガースのジュリーから、ソロシンガー・ジュリーへと飛躍しました。
そうそう、B面の「遠い旅」井上さん作曲もいいのよ~!名曲です。