2015年のピーのバースデイライブの時には、参加したJ友さんからご報告を頂いています。その時は西成区民会館にファニーズ時代の写真が飾られていたそうですが、今回は映像で紹介されました。⇒
ピーの大阪西成区の「バースデー記念講演会」2015年9月24日
※2015年のバースデイ記念講演会の画像、いずれも今回は映像で紹介されました。
ライブが終わった後、J友さんたちが明月荘には一度も行ったことが無いと言われるので、会場から歩いて数分の明月荘跡に行きました。
元明月荘があった場所は、昭和の時代の名残が いまだ色濃く残る静かな住宅街です。細い路地に居並ぶ家々のようすは、レトロ・・といってもいいほどで、ホッとするような居心地の良い昭和の風情が、この先も残りますように。
久しぶりに訪れた明月荘、思わず行き過ぎてしまいそうになりましたが、ファンと思しき同年代の女性が数人いたあので、きっとここだとわかりました。
入らないように周りに綱が張ってありました。今は何もない明月荘跡も、いつか他の建物に生まれ変わってしまうのかな・・。
明月荘の跡には、先に来ておられた方が、敷地で明月荘の流し台の小さなタイルを拾っておられました。私も欲しいなと思いながら、お話をしたら「ジュリーのファンでしょ?はいどうぞ」と、タイルを下さいました。どうしてわかったんでしょ?顔のどこかに、ジュリーファンと書いてあったんでしょうか(^^ゞ ピーファンの皆さんは顔見知りの方が多いのかな。私も地面を探したら、数個の小さなタイルを発見。一個だけ白いものもありました。
ピーファンの方にアガパンサスの苗を見せて差し上げたら、喜んでいただき、苗と一緒に記念撮影をされていました。それでは私達もと、J友さんと並んで記念撮影。2020年のマスク姿の記念にもなりそうです。
コロナ禍の下でのライブを申し込むことには、やはり一抹の不安やためらいもありましたが、コロナ対策がキチンととられした会場の設営に、安心感が持てました。1966年の貴重なジュリーの音源や、始めて見るファニーズの写真に感激し、何よりも元気いっぱいの74歳のピーの意欲的な姿に、励まされました。
記念に買ったクリアファイル。
有難う~ピー!
で、さらにその後、岸里駅を降りた時から店の看板が気になっていた、大阪で有名な激安スーパー玉手に入店。J友さんともども、安くて怪しくて有名だから、一度入って見たかったのよ~ でも、ジャガイモ1円、玉ねぎ1円は、1000円以上買わないと買えない、という事を知りました。しかし焼き魚や煮魚などの、鮮魚の総菜が安くって、中トロも安かった~! 喜んでいろいろ買って帰りました(^-^)
岸里駅では老人の怒声に肝を冷やすも💦、ピーの講演会に、明月荘に、スーパー玉出と、イロ~んな見所があって、久しぶりにJ友さんともお逢いして、思った以上に楽しい一日となりました(^-^)
ヤフーニュース9月23日より
元タイガース・瞳みのるが語る“弟”岸部四郎さん「もう一度、一緒に演奏したかった」
1960年代、日本中を席巻したグループサウンズを代表するバンド「ザ・タイガース」。歌手の沢田研二(72)、現在は俳優の岸部一徳(73)らとともにオリジナルメンバーでドラムを務めた瞳みのる(74)が、同メンバーで8月28日に他界した岸部四郎さん(享年71)への思いを語った。 【写真5枚】波瀾万丈!岸部四郎ヒストリー 瞳は四郎さんの実兄・岸部一徳とは中学の同級生。小学生時代から親交があり、バンド発足後に途中参加してきた四郎氏には「兄さん」と慕われていた。 「メンバーでは僕が最年長なのにね。それなのに一番若い四郎が一番最初に逝ってしまうなんて。本当に残念でならないですね」。“弟”に先立たれたショックが大きいという。 瞳は9月19日、大阪市西成区の岸里で自身の74歳を記念したイベントを開催。岸里はメンバーと共同生活し、プロとしての第一歩を踏み出したアパート「明月荘」のあった原点で、恩返しのトーク&ライブだった。その直前というタイミングでの訃報に「もう一度、一緒に演奏したかった」と思いを吐露した。 会場となった西成区民センターでは、新型コロナウイルス感染拡大防止対策を実施。座席数を約半分の240席に制限し開催にこぎつけた。チケットは完売し、オールドファンのあたたかい拍手が響いた。 イベントのラストには、この日に合わせてリリースした新曲「明月荘ブルース」を熱唱。「この曲を四郎に聞かせてやりたかった。ここで一緒にいて四郎に聞いてほしかったなあ」と感極まる姿は印象的だった。