和歌山城は、1585年羽柴秀吉が紀州を平定し、弟の秀長に命じて虎伏山の峰に創建した平山城です。1619年徳川家康の十男・頼宣が入国し、御三家の紀州藩が成立し、1621年二の丸大奥部分を拡張するため、西内堀の一部を埋め立て、南の丸・砂の丸を内郭に取り入れ、ほぼ現在の和歌山城の姿になりました。昭和20年の和歌山大空襲で焼失。昭和33年に鉄筋コンクリートで復元されました。
立派なお堀もあり、一周するのに1時間もかかり、かなり大きな城でした。そこに、枝垂れる様な枝ぶりのクスノキがあり、写真に撮りました。何でこんな姿になったのか考えたのですが、石垣の上にあるためじゃないかと推理しました。
説明によると「周囲7m、樹高25m、推定樹齢450年、城内最大の樹木で、和歌山大空襲で損害を受けたが、樹勢が回復し、今日に至っている。」とのことです。