俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

多面性

2014-01-01 10:07:15 | Weblog
 人間は競争的か協調的か?両方だ。若干、男性が前者の傾向が強く、女性は後者の傾向だが、両性とも両方を併せ持つ。
 人間は利己的か利他的か?やはり両方だ。同じ人が利己的でありかつ利他的だ。100%利己的な人も100%利他的な人もいない。黒と白の間に無数のグレーがあるようにその中間であり、状況に応じてその位置が変動する。より正確には、利己的と利他的は同一次元ではなく縦軸と横軸のように別次元の関係として位置付けられるべきだろう。この二者は一次元上ではなく二次元の関係だ。
 人間は悲観的か楽観的か?これもまた両方だ。同じ人が悲観的にも楽観的にもなる。喜怒哀楽のどれかしか持たない人などいない。誰もが総ての感情を持ち、その都度それぞれあるいは複数の感情が現れる。どれもが人間性だ。
 多面性を持つ人間を単純化しようとする試みは必然的に失敗する。人は善でも悪でもない。同様に、善でも悪でもあり得る。多面性を持つ個人の一部にスポットライトを当てて悪そのものであるかのようにレッテルを貼っているだけだ。
 善でありかつ悪でもあるということは決して矛盾ではない。これを矛盾と考えるのは幼稚な論理しか知らないからだ。
 太陽光は無色に見えるが実際には無数の色によって構成されている。それどころか紫外線や赤外線のような不可視光線まで含んでいる。だから太陽光の特定の色だけを反射する物体はその特定の色に見える。太陽光そのものは不定色だ。
 多面性を持つ人間は太陽光のようなものだ。何色でもあり得る。人間性について、太陽光の色を特定しようとするような仮説ばかりが作られた。これらは総て誤りであり、かつ一面においては正しい。人間とは多面体・複合体・分裂体そして総合体だ。

共感

2014-01-01 09:38:28 | Weblog
 私は同情を好まない。同情は上から目線だ。自分を安全地帯に置いて下々の者に憐れみを施す。
 同情は人を不幸にする。元々、人は幸福よりも多くの不幸に出会う。そして誰もが最後には、究極の不幸である死に直面せねばならない。そんな人間が他人の不幸まで感じ取ればこの世を呪うことになる。人類に絶望して自ら命を断ちたいとさえ思ってしまう。アフリカや中東の各地や中国や北朝鮮の人々に同情すれば心が悲しみに占領されて陰鬱な気分になる。世界に蔓延する不幸に耐えられるほど強い人などいない。同情を奨励する人は心に痛みを感じない情念欠落人間ではないだろうか。そのことによって自分が優しい人間であると信じ、信じさせようとしているだけではないだろうか。
 私は同情ではなく共感あるいは共歓を勧めたい。共に嘆き悲しむのではなく喜びと楽しみを共有してこそ人は幸せになれる。
 逆説的な言い方だが、共感は人類の本能だ。群居動物である人類には本能として共感力が備わっている。これは犬や猿などの総ての群居動物が共有する本能だ。蛇は敵が痛がると知っているから咬むが、知能の高い動物には他者が喜ぶことを感じ取る共感力が備わっている。鯨や海豚あるいは象や鴉などの賢い動物が仲間を助ける事例は無数に報告されている。総ての哺乳類と鳥類には子を慈しむ心が予め備わっているし、男女の性愛はお互いに相手を悦ばせようとする営みだろう。共感力を欠いた個体は群から排除されるか我が子を死に至らしめることによってその狂った遺伝子が淘汰されている。
 共感力を欠いた変異体が温存されるのは現代の人間社会だけだ。そして共感力を欠いた欠陥人が他者の共感を利用しようとする。それが同情の奨励として巷に溢れ返っている。同情を煽る者を警戒すべきだ。彼らこそ偽善者だ。