俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

公共事業

2014-01-05 10:08:26 | Weblog
 ケインズは「雇用・利子および貨幣の一般理論」に「穴を掘ってそれを埋める仕事でも失業手当を払うよりも景気対策として有効だ」と書いた。あるいはこれは誰が言ったのか知らないが「ヘリコプターから現金をバラ撒けば景気は良くなる」という言葉もある。経済学をよく知らない私はこれらの言葉から経済学を馬鹿にしていた。ホモ・エコノミクス(経済合理性に基づいて個人主義的に行動する人間)という仮説と併せて経済学とは哲学以上に空理空論が横行すると思っていた。
 これは私の無知だった。後者はともかく前者のケインズの言葉には大切な前提条件が付いていた。「失業者が多い時は」と。つまりこれはあくまでカンフル剤だ。一時凌ぎの対策のことだった。
 医療も同じだ。人を切ったり毒物を飲ませたりすべきではない。しかし非常時はそうではない。内臓を切り取ったり薬=毒を飲ませたりする必要が生じる。たとえ有害なことであろうとも非常時には必要な措置だ。
 戦争は良くない。しかし必要な戦争もある。ナチス・ドイツが侵略を始めた時、イギリスは平和裏に解決しようとして介入しなかった。そのうちにドイツは侵略地から資源を獲得して強国になってしまった。そのためにイギリスは強国となったドイツと戦う破目になり第二次世界大戦を招いてしまった。
 悪政が許されるのは一時凌ぎに限られる。悪政を続ければ国が破綻する。大切な前提条件を無視して無駄な公共事業を続ければ国の借金は雪だるま式に膨らんでいずれは大増税が必要になる。
 ケインズの経済理論として「乗数効果」という言葉がある。収入を得た人が消費をすればそこに新たな収入が生まれるからその効果がさざ波のように広がるというものだ。
 しかし穴掘りと東海道新幹線を比べてみよう。穴掘りは付加価値を生まない。しかし東海道新幹線は巨大な付加価値を生んだ。仕事もレジャーも活性化された。無駄な公共事業は最小の乗数効果しか生まないが、有効な公共事業なら乗数効果を最大化することができる。
 無駄な公共事業は高齢者を狙った詐欺と大差は無い。詐欺でさえ乗数効果を生む。しかしこれを有効な経済活動と考える人などいまい。「ある」「ない」で評価すれば何であろうとも経済効果はある。大切なのはどれだけ大きな効果が生まれるかということだ。

シェールガス

2014-01-05 09:34:16 | Weblog
 シェールガスは最近発見された新しい資源ではない。昔からその存在は知られていたが採掘コストが高いために放置されていた。ところが原油価格が高騰したために充分に採算が合うようになった。
 原油の採掘の歴史はこんなことの繰り返しだ。50年前には原油の埋蔵量は50年分と言われていた。しかし50年経っても掘り尽くされていない。これも原油価格が上がったために、当時なら見向きもされなかった使い勝手の悪い油田が利用されるようになったからだ。
 海水には様々な資源が含まれている。金やウランやレアアースなどが含まれている。これらが利用されないのは濃度が薄いために抽出コストが高いからだ。もしこれらの資源の価値が高騰すれば海水からの抽出が現実になり海水が資源として重視されることになる。
 価格が上がれば徹底的な資源利用が行われるということを知れば、鰻の稚魚の問題のとんでもない矛盾に気付かざるを得ない。
 物の価格は需要と供給のバランスによって決まる。需要が変わらなくても供給量が減れば価格は上昇する。しかし価格が上昇し過ぎれば需要が減るのでバランスが保たれる。
 この理屈を鰻に当て嵌めればどうなるか。鰻の価格が上がれば蒲焼が売れなくなる。従って鰻の価格はどこかで安定する。ここまでは問題無かろう。
 しかし漁業(畜養)の現場では何が起こるか。鰻の価格は高止まりしているのだから獲った者勝ちだ。シェールガスと同様に、取得コストが多少上がってもより多くを捕獲しようとするだろう。高値安定が放置されれば最後の1尾まで取り尽されかねない。これでは資源保護という発想は生まれず、種の絶滅へと向かう。
 当分の間、鰻を食べることは自粛すべきだと思っている。しかし私は中国共産党や朴クネ大統領とは違って、自分の考え方を他者や他国にまで押し付けようとは思わない。他者や他文化を尊重すべきだと考える。しかしそんな甘い考え方では鰻の絶滅を防げないのかも知れない。日本人以上に自由の価値を充分に認識している筈のヨーロッパ人がクロマグロの漁獲量を規制しているのは、自由競争社会では少ない資源が一層乱獲されるということを知っているからだろう。