俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

温暖化の真相

2014-01-03 10:01:37 | Weblog
 これまで地球温暖化について何度も書いたが、年頭に当たって整理しておこうと思う。論点は2つであり①温暖化の原因はCO2か②温暖化は危険か、だ。
 ①CO2・・・確かに地球の主要観測地での気温は上がっている。しかしこれらの観測地は殆んどが主要都市だ。東京・大阪などヒートアイランド現象によって高温化した場所が殆んどだ。ヒートアイランド現象の主因はCO2ではなくコンクリートとアスファルトと大量のエネルギー使用だ。これは数億年掛けて蓄積された石油・石炭などのエネルギーをこの100年間で一気に放出したことが招いた高温化だ。エネルギー保存の法則によってこのことは証明可能だ。CO2は原因ではなく結果だろう。
 ②危険性(1)・・・水位が上がるという話はかなり疑わしい。数度程度の上昇ならむしろ水位が下がる可能性のほうが高い。温暖化によって水蒸気の蒸発量が増えれば南極に降る雪が増えてこれが氷として蓄積される。
 ②危険性(2)・・・温暖化によって日本の農業が破壊されることはあり得ない。耕作地が北上するだけだ。リンゴやブドウの産地が北海道に移りパイナップルやバナナが本州で作れるようになるかも知れない。農業にとって恐ろしいのはむしろ寒冷化であって温暖化ではない。
 ②危険性(3)・・・異常気象の原因についてはよく分からない。私だけではなく専門家にも分からない。しかし巨大台風が増加するという話は眉唾物だ。と言うのも近年、巨大台風は日本に上陸しなくなっているからだ。私が子供の頃は伊勢湾台風や第二室戸台風のような巨大台風が数年おきに上陸したものだ。ところがこの数十年、巨大台風は上陸していない。50年前と比べれば台風による被害は減少している。事実に基づくなら日本は台風の被害を受けにくくなっている。マスコミがその事実を報じないだけだ。彼らは危険を煽れるネタにしか興味を示さず危機が減少していても無視する。

単純化

2014-01-03 09:31:33 | Weblog
 抽象化とは単純化だ。具体的な事物はそれぞれが異なっており比較することは難しい。ところが抽象化、特に数値化をすれば比較が簡単になる。こうすれば質の問題を量の問題に置換できるからだ。
 美女Aと美女Bのどちらが美しいかは幾ら議論をしても結論には至り難い。ところが採点してしまえば簡単に決まる。片方が80点でもう一方が90点であれば90点の勝ちだ。
 しかし数値化が有効とは限らない。もし楊貴妃の役にどちらを使うかとなれば尺度が変わる。数値化とは無意識のうちに行う偏った基準に基づいた評価に過ぎない。数値化は客観的なように装う歪んだ単純化だ。
 複雑なものを単純化しようとすれば歪めざるを得ない。立体を二次元で表現しようとして人類は大いに知恵を絞ったが、一次元で表現することは流石に不可能だ。数値化とはこれと同等の無茶な単純化だ。
 パスカルは「パンセ」で幾何学の精神と繊細の精神と分類した。現代の理系と文系の分類とほぼ等しい。パスカルは確率論の創始者でありパスカルの定理などの理科系の才能で知られているが、それだけではなく現代フランス語を確定したほどの名文家でもあった。
 私は理系と文系の発想の相違を単純化と複雑化と捕えることが多い。理系の発想では物事の本質を衝く単純原因で分析しようとするし、文系は微妙で繊細な問題と考えたがる。
 私のブログは二分法に対する批判のように単純化を咎める記事が多い。しかし単純化を誤りだと思っている訳ではない。
 単純化とは四捨五入のようなものだ。四捨五入で計算すれば楽になるが正確ではない。
 社会が単純化し過ぎていると思えばそれを否定するが、「ああでもない、こうでもない」と言い出したら私は「問題点はこれだ」と逆に単純化して主張する。幾何学の精神と繊細の精神は二者択一ではない。そのバランスを取ること、そして両者の長所を生かすことこそ大切だ。