俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

自爆テロ

2014-01-07 10:12:56 | Weblog
 自爆テロほど厄介な犯罪は無い。
 まず防ぐことが難しい。通常の攻撃であれば、必ず逃走経路を確保するのだが、彼らは逃走することなど全く考えていない。だから神出鬼没であって防ぎようが無い。
 普通の犯罪とは違って法律によって規制できない。法によって裁ける限界は死刑までなので、死んだ者を死刑に処する訳には行かない。イスラム教徒(ムスリム)は火葬を嫌うので死体を焼くという方法もあり得るが、これは憎悪の拡大に繋がる。
 テロリストは確信犯だ。自分が悪いことをしているとは全く思っていない。だから「良心」に訴えることもできない。
 イスラム教では聖戦(ジハード)で死んだ兵士は天国へ行けると信じられている。だから喜んで死ぬ。大日本帝国の特攻隊員は「靖国で会おう」と言い残したそうだが、本当に信じていた人は少なかろう。殆んどが嫌々死んだのだから彼らとは全然違う。当たり前の話だが特攻隊員はテロリストではない。彼らが襲ったのは軍艦などの軍事施設だけであり正当な軍事行動だ。民間人を無差別に攻撃するテロリストとは全然違う。むしろアメリカによる原爆投下こそ人道に背くテロリズムだ。
 宗教の最大の問題点は自分達だけが正しいと信じ込んでいることだ。だから違う信仰を持つ人は必然的に極悪人として位置付けられる。極悪人を殲滅することは神の意思を実現する崇高な行為であり無差別殺人でさえ肯定される。オウム真理教と同じだ。西洋人は認めたがらないがナチスによるユダヤ人虐殺はキリスト教徒によるユダヤ教徒虐殺だ。
 宗教組織が武力を持たないのは日本だけではないだろうか。しかしこれも自らの意思でそうした訳ではなく、織田信長によって強制的に武装解除させられたからだ。それまでは宗派間で殺し合っていた。現代社会でさえ政教分離は難しいのに、あの時代に「兵教分離」を実現した信長は稀有な英雄だ。
 日本人は世界で最も宗教から自由な民族だろう。やれ豚を食うな・牛を食うなとか断食せよとかいった妙な戒律に縛られないから寿命も長いのだろう。宗教とは本当に有害な存在だ。世界中が宗教を否定した時に初めて平和が実現するのではないだろうか。宗教こそ平和の敵だ。

ロシアン・ジョーク

2014-01-07 09:34:25 | Weblog
 ソ連時代にロシアではこんなジョークが流行ったそうだ。
 共産党幹部が工場長を呼び出して叱責した。
党幹部「先月も生産目標を下回った。何とかしろ。」
工場長「あと100人増員してください。」
党幹部「何だと!一体何人働かせるつもりだ。」
工場長「はい、せめて半分ぐらいは・・・」
 私は大笑いした。そしてこのジョークを作った人は天才だと思った。ジョークの解説ほどヤボで興醒めなものは無いがこの「せめて半分」というオチは凄い。たった一言で当時のソ連の社会矛盾を端的に表現している。
 党幹部の「何人働かせるつもりだ」は疑問文ではなく叱責文だ。「労働者を使い過ぎだ」と咎めている。それを疑問文と捕らえてしかも「働かせる」という言葉も本来の意味で使うから、大半の労働者が実は働いていないという事実がオチになっている。
 ソ連では資本家による搾取の無い労働者の天国が作られる筈だったのだが実際の社会は怠け者の楽園だった。働きたいだけ働けば充分という理念から生まれたのは「働かない自由」だった。「労働者の社会」ではなく役人天国だった。そのためにソ連での生産性は低くこのことが国民全体を貧しくさせた。これらのことをこんな短い文章を使って言論統制下で発信したのだから最高級のジョークだ。
 資本主義を賛美するつもりは無いが、現実に基づかない理想は得てして理想から懸け離れたとんでもない代物を作ってしまう。自然発生したものはそれなりに合理性を持つ。それを空虚な理想で否定すれば却って矛盾が拡大する。社会をリセットすることは難しい。
 明治維新は「尊皇攘夷」が当初の理想だったが、本気で攘夷をしようとした薩摩藩と長州藩は外国と戦って惨敗した。このことによって空理空論から目覚めて開国へと方針転換したからこそ明治維新は成功した。理想は現実によって検証されねばならない。