俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

晩節

2014-01-17 10:05:29 | Weblog
 細川元首相の東京都知事選立候補は全く不可解だ。選挙だから誰が立候補しても構わないが「正気か?」と疑いたくなる。当初の15日から今日(17日)に延期されていた出馬表明会見は20日に再延期されたがまさか「やっぱりや~めた」ではあるまい。そう疑いたくなるほど奇妙な立候補だ。疑問点は主に2つ。①借入金問題②反原発だ。
 ①借入金・・・・ブラックジョークとしか思えない。5000万円の借入金問題で辞任した前知事の後任に、1億円の借入金問題で辞任した元首相が立候補することは100%笑い種だ。
 その問題が発覚したのは1993年のことだった。熊本県知事に就任する前年の1982年に東京佐川急便から1億円借金していたことが発覚した。猪瀬前知事は何とか説明しようと努めて失敗したが、細川氏は説明責任を果たさず政権放棄をしたと私は記憶している。30年以上前に起こり20年以上前に発覚した事件だからもう時効だろうが、事情が事情だけに袋叩きに会うのは必然だ。一体どう説明するつもりだろうか。恥晒しにしかなるまい。もし細川氏に知事になる資格があるのなら猪瀬前知事は辞職する必要など無かったということになるだろう。
 ②反原発・・・・反原発をスローガンにして立候補するなら東京都知事選ではあるまい。国会か福島県か、原発銀座の福井県、あるいは熊本県の隣で原発所在地の鹿児島県で立候補すべきだろう。東京で反原発を主張して何ができるのだろうか。「日本の中心で愛を叫ぶ」だけのパフォーマンスならやめて貰いたい。
 「原子力発電」や「原子力発電所」などでも書いたように、私は東日本大震災以前から地震による危険性を指摘していただけに、大衆迎合型の無見識な反原発は不愉快だ。
 政界を去って20年間、陶芸家として活躍していたそうだが、なぜ今更、政界に復帰するのだろうか。漫画のような話であり週刊誌のネタにしかならない。もう手遅れかも知れないが、かつてのヒーローが晩節を汚すべきではない。殿、ご乱心召されるな!

弱い動物

2014-01-17 09:33:41 | Weblog
 人類はかなり弱い動物だ。一般の市民が服も靴も無くジャングルに放り出されたら一日も生きられないのではないだろうか。すっかり温室育ちの虚弱体質になっている。
 では屈強な兵士ならどうなるだろうか。多分、自力で槍などの武器を作ってしばらくは生き延びるだろう。それでも猛獣に襲われたら一溜りも無い。
 こんな弱い動物が地上に蔓延しているのは文明の恩恵以外の何物でもない。文明は蓄積される。蓄積された文明の上に個人は乗っかっている。個人はちっぽけな存在なのに巨人の背中に乗っかっているから大きいだけだ。
 ではなぜ文明は蓄積されるのか。共有されるからだ。知恵を独り占めするよりも共有したほうが進歩する。ある道具を大勢で使えば様々な改良が施されるだろう。発明は苦手でも改良なら得意という人が大勢いるからだ。トヨタのカイゼン活動のようなことが自然に起こる。
 助け合ったり知恵を共有する集団は、助け合わず知恵を独り占めする集団よりも強い。他の集団との競争だけではなく環境の変化に対する適応力も高い。無人島で生き延びられるのは助け合う集団だけだろう。人類は弱い動物だからこそ共有したり助け合うことが欠かせない。そういう性質が本能的に備わっている。
 人類の本質は群居動物だ。群居動物だからこそ悪意も善意も連鎖する。シリアなどのような内紛の国ではお互いに悪意を持つ。日本のような平和な国では善意の連鎖が起こる。誰かによる善意が次の善意へと繋がる。
 群居動物としての本能は概して有益なものだが、異質なものを排除する時には危険なものに変質する。劣ったものだけではなく優れたものも少数者として排除され勝ちだ。助け合う群居動物は美しいが、異端者を排斥しようとすることは群居動物の大きな欠陥だ。ナチスによるユダヤ人虐殺も中国での少数民族弾圧も異質なものを嫌う群居本能に基づく。多数決も群居本能の現れだ。この欠陥は長所と表裏一体だ。