俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

多数決(2)

2014-02-05 10:05:57 | Weblog
 多数者は多数決によって決めようとする。少数者は多数決に断固反対する。タイでの農民対非農民であれ中東でのスンニ派対シーア派であれ同じ構図だ。
 日本では戦後民主主義に基づく多数決信者が少なくないために多数決に疑問を挟むことはマスコミではタブーとされているようでこの問題点を掘り下げようとはしないが、私は多数決ほど非民主的な手法は無いと思っている。多数者による少数者弾圧だからだ。
 多数決になぜ正当性が認められるのか。それは多数者がそれを正当とするからだ。しかしこれは循環論だ。多数決が正しいと主張するのは多数者だけであって少数者はそれを否定する。少数者は決して異常者ではない。
 問題が拗れていなければ多数者と少数者は共存できる。お互いの違いを尊重し合えば済むことだ。しかし一旦拗れれば修復は難しい。権利を否定された少数者は分離独立を希望する。
 憎悪の連鎖は簡単には収まらない。イスラエルの存在は別格だが、北アイルランド問題は先進国であろうとも解決困難であることの典型例だ。ソチに近いチェチェン共和国での紛争も簡単には解決できない。
 私はチベットやウィグルの独立を正当と考える。もし沖縄県民が望むならその独立も正当だ。中国が独立を認めないのは人ではなく資源の豊富な土地が欲しいからに過ぎない。南シナ海の無茶な領有権にしても海洋資源だけが狙いだ。中国の貪欲さには呆れるしか無い。
 アメリカのバージニア州議会では3日に、公立学校の教科書に日本海を「東海」と併記することが可決された。これはバージニア州には約75,000人の韓国系住民がいるからであり、日本にとっては「西海」であるにもかかわらず10,000人程度に過ぎない日系人の意向は否定された。これも悪しき多数決の一例だ。

続・不妊

2014-02-05 09:35:12 | Weblog
 不妊という遺伝子は必ず淘汰される筈だ。子孫が残らないのだから当然だ。出産可能者だけが子孫を残す。ということは不妊という性質は遺伝ではなく個体変異に基づくものだ。こんな変異が頻繁に起こっているとは恐ろしいことだ。これは環境ホルモンのせいだろうか?・・・・というのは冗談だ。一昨日の「不妊」では不妊の原因を個体レベルでの遺伝子変異と短絡して考えたからオスの一人として危険だと焦ってしまったが、個体レベルでの変異が起こらなくても不妊という性質が現れ得ることに気付いて一安心しているところだ。
 多分オスが授精するために複数の遺伝子が関与しているからこんなことが割と頻繁に起こるのだろう。幾らオスの役割が少ないと言っても、少なくとも精子を作る・勃起する・射精するという3つの機能が必要だ。仮にそれぞれに2つの遺伝子が関与しており、片方が補完的な役割を担っていれば個体レベルで変異が起きなくても不妊が起こり得る。例えば精子を作るために遺伝子Aと遺伝子Bが関与していればどちらかが正常であれば精子は作られ、両方揃って異常な時のみ不妊という異常が発現するということだ。両親から1つずつ異常遺伝子を受けてしまった子供であれば個体レベルでの変異が起こらなくても不妊という性質を持つ。あるいは勃起不全という障害ならオスは不妊になるがメスなら多分不妊には繋がらないだろう。この遺伝子はメスにとっては無害なものだ。
 生物の機能は機械とは違って1対1対応しないことが多い。1つの結果に複数の原因があり得る。我々は余りにも日常的に1対1対応を見ているためについつい簡単に因果関係を想定してしまう。病気も人間関係も気象変動も単純なものではないことを再認識すべきだと改めて痛感した。