多数者は多数決によって決めようとする。少数者は多数決に断固反対する。タイでの農民対非農民であれ中東でのスンニ派対シーア派であれ同じ構図だ。
日本では戦後民主主義に基づく多数決信者が少なくないために多数決に疑問を挟むことはマスコミではタブーとされているようでこの問題点を掘り下げようとはしないが、私は多数決ほど非民主的な手法は無いと思っている。多数者による少数者弾圧だからだ。
多数決になぜ正当性が認められるのか。それは多数者がそれを正当とするからだ。しかしこれは循環論だ。多数決が正しいと主張するのは多数者だけであって少数者はそれを否定する。少数者は決して異常者ではない。
問題が拗れていなければ多数者と少数者は共存できる。お互いの違いを尊重し合えば済むことだ。しかし一旦拗れれば修復は難しい。権利を否定された少数者は分離独立を希望する。
憎悪の連鎖は簡単には収まらない。イスラエルの存在は別格だが、北アイルランド問題は先進国であろうとも解決困難であることの典型例だ。ソチに近いチェチェン共和国での紛争も簡単には解決できない。
私はチベットやウィグルの独立を正当と考える。もし沖縄県民が望むならその独立も正当だ。中国が独立を認めないのは人ではなく資源の豊富な土地が欲しいからに過ぎない。南シナ海の無茶な領有権にしても海洋資源だけが狙いだ。中国の貪欲さには呆れるしか無い。
アメリカのバージニア州議会では3日に、公立学校の教科書に日本海を「東海」と併記することが可決された。これはバージニア州には約75,000人の韓国系住民がいるからであり、日本にとっては「西海」であるにもかかわらず10,000人程度に過ぎない日系人の意向は否定された。これも悪しき多数決の一例だ。
日本では戦後民主主義に基づく多数決信者が少なくないために多数決に疑問を挟むことはマスコミではタブーとされているようでこの問題点を掘り下げようとはしないが、私は多数決ほど非民主的な手法は無いと思っている。多数者による少数者弾圧だからだ。
多数決になぜ正当性が認められるのか。それは多数者がそれを正当とするからだ。しかしこれは循環論だ。多数決が正しいと主張するのは多数者だけであって少数者はそれを否定する。少数者は決して異常者ではない。
問題が拗れていなければ多数者と少数者は共存できる。お互いの違いを尊重し合えば済むことだ。しかし一旦拗れれば修復は難しい。権利を否定された少数者は分離独立を希望する。
憎悪の連鎖は簡単には収まらない。イスラエルの存在は別格だが、北アイルランド問題は先進国であろうとも解決困難であることの典型例だ。ソチに近いチェチェン共和国での紛争も簡単には解決できない。
私はチベットやウィグルの独立を正当と考える。もし沖縄県民が望むならその独立も正当だ。中国が独立を認めないのは人ではなく資源の豊富な土地が欲しいからに過ぎない。南シナ海の無茶な領有権にしても海洋資源だけが狙いだ。中国の貪欲さには呆れるしか無い。
アメリカのバージニア州議会では3日に、公立学校の教科書に日本海を「東海」と併記することが可決された。これはバージニア州には約75,000人の韓国系住民がいるからであり、日本にとっては「西海」であるにもかかわらず10,000人程度に過ぎない日系人の意向は否定された。これも悪しき多数決の一例だ。