俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

20代

2014-02-23 10:40:56 | Weblog
 ソチオリンピックでは10代の選手の活躍が目立った。19歳の羽生結弦選手を始め15歳の平野選手や18歳の平岡選手、あるいはメダルを逃したが17歳の高梨沙羅選手などだ。その一方で、7人の個人メダリストのうち20代の選手は共に25歳の渡部選手と小野塚選手の2人だけだった。これは奇妙なことだ。女子はともかく男子の場合、肉体的ピークは25歳前後の頃にある。10代の選手の活躍を喜ぶよりも20代の選手の不振を憂うべきではないだろうか。
 ではなぜ20代の選手が弱いのか。雇用の問題ではないだろうか。ここ数年、雇用環境が悪化していたのでスポーツどころでは無かったのかも知れない。特に女性の雇用環境の悪化が20代の女子選手の不振に繋がっているように思える。
 ウインタースポーツは金が掛かる。フィギュアスケートは1000万円と言われているし、海外でスキーやスノーボードをすれば幾らぐらい掛かるのだろうか。どれも贅沢なスポーツで庶民が気軽に楽しめるスポーツは殆んど皆無だ。冬季五輪に出場するために最も必要なのはお金なのではないだろうか。
 こんな事情から夏季種目に鞍替えした選手もいるのではないだろうか。冬季五輪の種目の多くは夏季限定であり金銭的負担も大きい。選手を支える企業としてはそんな選手よりもフルシーズン活躍できる選手のほうが好ましい。だから選手も得意な種目を諦めざるを得なかったのかも知れない。
 41歳の葛西選手や30歳の竹内選手、あるいは惜しくもメダルには届かなかった34歳の上村愛子選手らの活躍は喜ばしい。しかし体力的にピークの筈の20代の選手がなぜ育たないのかを検証する必要があるのではないだろうか。

朝鮮史試論

2014-02-23 10:09:26 | Weblog
 1900年頃の朝鮮(大韓帝国)には4つの選択肢があった。但し2つは非現実的であり現実的な選択肢は2つしか無かった。
 非現実的な選択肢は①衛氏朝鮮以来の中国を宗主国とする冊封体制②自主独立、だ。宗主国の中国が日清戦争で日本に負けて朝鮮の独立を認めてしまったために①は不可能であり、冊封体制に依存していた朝鮮には②を選ぶだけの国力も無かった。帝国主義の時代において弱肉強食は当然の論理であり、弱小国は植民地化される運命にあった。そんな状況に追い込んだのは日本による謀略だろう。
 現実的な策としては③ロシアの属国になるか④日本の属国になるか、しか無かった。これを巡って激しい内紛があり、その結果④が選ばれた。こうして日韓併合へと繋がった。今から考えれば日韓併合は失敗だっただろう。併合せずに宗主国と朝貢国という関係にしておけば良かったと思う。
 日本の立場としては至近距離にロシアの属国が生まれることは絶対に避けたかっただろうが、大韓帝国としてはどちらのほうがマシだっただろうか。もしロシアの属国になっていれば文字通りに植民地支配をされていただろう。その意味では賢明な選択だったように思える。
 選択肢が限られていれば不本意な選択もやむを得ない。このことを国辱として当事者を国賊とすべきではなかろう。多分、当時としてはそれ以外に選びようが無かった。もしそれを反人民的と否定するなら、どんな選択肢が可能であったかを示すべきだろう。当時の状況を把握して初めて歴史理解が可能になる。