古代の日本語は何種類あったのだろうか。フィリピンには今でも百種類ほどの言葉がある。首都マニラのあるルソン島ではタガログ語、セブ島ではセブアノが多く使われている。日本にも同程度の種類の言葉があっても不思議ではない。ガラパゴス諸島の島々にそれぞれの固有種がいるように島ごと・地域ごとに固有語あったと考えるべきだろう。
しかし古事記や日本書紀を読んでいると言葉の壁が全く感じられない。大国主命の国譲り伝説においても話し合いをしているが、それまで交流の無かった異国の人間の間で言葉が通じる筈が無い。
あるいは神武東征において高千穂を出たイハレビコは安芸や吉備を経由して橿原へと至る。多分それぞれの土地で違った言葉が使われていたと思うのだがその点は全く読み取れない。
もっと不思議なのは百済などと頻繁に往来しているがどんな言葉を使っていたのだろうか。全く言葉の壁が感じられずまるで日朝共通語があったかのようだ。
これらのことが可能だったのは言葉を殆んど使っていなかったからではないだろうか。
しかしその一方で日本語がかなり広く使われていた痕跡もある。琉球語では「西」と「東」をそれぞれ「イリ」「アガリ」と読む。これは太陽と月の入りと上がりが語源らしい。特別天然記念物のイリオモテヤマネコは西表山猫と書く。琉球語には他にも日本語の古語が多く残っているらしいがどういう経緯で伝わったのか私の乏しい琉球史の知識ではさっぱり理解できない。
かつて高砂族と呼ばれた台湾先住民は部族ごとに違う言葉を使っていたので、違う部族の老人が喧嘩をする時には一時期共通語だった日本語を使ったそうだ。日本人が基本的に単一の言葉を使うのは実に不思議なことだ。
しかし古事記や日本書紀を読んでいると言葉の壁が全く感じられない。大国主命の国譲り伝説においても話し合いをしているが、それまで交流の無かった異国の人間の間で言葉が通じる筈が無い。
あるいは神武東征において高千穂を出たイハレビコは安芸や吉備を経由して橿原へと至る。多分それぞれの土地で違った言葉が使われていたと思うのだがその点は全く読み取れない。
もっと不思議なのは百済などと頻繁に往来しているがどんな言葉を使っていたのだろうか。全く言葉の壁が感じられずまるで日朝共通語があったかのようだ。
これらのことが可能だったのは言葉を殆んど使っていなかったからではないだろうか。
しかしその一方で日本語がかなり広く使われていた痕跡もある。琉球語では「西」と「東」をそれぞれ「イリ」「アガリ」と読む。これは太陽と月の入りと上がりが語源らしい。特別天然記念物のイリオモテヤマネコは西表山猫と書く。琉球語には他にも日本語の古語が多く残っているらしいがどういう経緯で伝わったのか私の乏しい琉球史の知識ではさっぱり理解できない。
かつて高砂族と呼ばれた台湾先住民は部族ごとに違う言葉を使っていたので、違う部族の老人が喧嘩をする時には一時期共通語だった日本語を使ったそうだ。日本人が基本的に単一の言葉を使うのは実に不思議なことだ。