俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

重いコンダラー

2014-12-12 10:22:53 | Weblog
 この変なタイトルが理解できるのは私と同世代の一部の人だけだろう。昔「巨人の星」というスポ根(スポーツ根性)アニメがあった。その主題歌は「♪思い込んだら試練の道を♪」という歌詞でこの冒頭部分を「重いコンダラー」と誤解して、なぜかグラウンド整備に使うコンクリート製のローラーが「コンダラー」だと思い込まれた。当時は日本語の歌詞には字幕が付かなかった。多分サザン・オールスターズの桑田佳祐氏が早口で歌い始めてから字幕が付くようになったのだと思う。
 374番まである鉄道唱歌の3番は「♪海のあなたに薄霞む♪」という歌詞だがこれを「ウスが棲む」と誤解して海の貴方がウスという寄生体に取り付かれていると思っていた人がいた。
 「♪ウサギ追いしかの山♪」を「ウサギ美味し」と誤解したり「♪夕焼け小焼けの赤トンボ、負われてみたのはいつの日か♪」を「追われて」と誤解した人も少なくない。「仰げば尊し」の「♪今こそ別れめ♪」に至っては「別れ目」と誤解している人のほうが多いのではないだろうか。「こそ」を受けた「別れむ」の已然形だ。
 不本意な謝罪をせねばならない人に「孟子は毛ありません」と言え、と入れ知恵したことがある。100%確実に「申し訳ありません」と聞こえる。彼は心の中で舌を出しながら謝罪するフリをしただろう。
 日本語は母音も子音も少ないために同音異義語が非常に多い。それなのに割と平気で外来語を摂り入れる。「重いコンダラー」も新しい外来語だと思い込まれたのだろう。つい先日も「ケッカンシュ」と言われて「欠陥種」かと思ったら「血管腫」のことだったし「ゴニン逮捕」との報道は「5人」ではなく「誤認」だった。NHKの3時のニュースの冒頭の挨拶は関西人には「惨事になりました」と聞こえる。
 日本語では漢字やカタカナを使って書き分けられるが韓国では偏狭な国粋主義に基づいて漢字が排斥されているため文章が分かりにくくなっているらしい。特に学術用語は大半が日本語か中国語から伝わった漢語なのでハングルで書かれても意味が伝わりにくい。「貴社の記者は汽車で帰社した」をひらかなで書くようなことが頻発しているようだ。これは韓国の文化にとって致命傷ともなりかねない。
 変な国粋主義は却って文化を低下させる。日本語のように漢字もかなもアルファベットも同列に扱えば表現力も理解力も高まる。私は表意文字と表音文字の両方を使う漢字かな混じり文を世界一便利な表記方法だと思っている。中国国内で日本語の「の」が中国語の「的」の代わりに使われているのを何度も見た。表意文字しか無い中国語にとって表音文字の「の」は使い勝手が良いのだろう。

非感染症

2014-12-12 09:32:41 | Weblog
 医学は人類のために多大な貢献をした。医学の進歩が無ければ現代のような長寿は不可能だっただろう。但しこれは対感染症の功績が大きく、原因を究明しない対症療法は殆んど貢献していない。
 非感染症の代表格は生活習慣病だろう。こんな変な病名なのは原因が特定されていないからだ。原因が曖昧なまま生活習慣が悪いということにしている。
 原因が分からない病気、あるいは余りにも様々な原因によって起こる病気には対症療法が使われる。体温が高ければ解熱剤、痛ければ鎮痛剤、挙動がおかしければ抗精神病薬といった具合だ。注意すべきことはこれらの「治療」が原因に対処していないということだ。あくまで症状の緩和であり一時凌ぎに過ぎない。これらの病気が治るのは薬の効果ではなく、自然治癒力が働くからだ。
 尿管結石という病気がある。カルシウムが固まってできた石状の固形物が尿管を傷付けると不思議なことに脇腹が痛む。脇腹には何の病変も無いから幾ら脇腹を治療しても痛みは治まらない。原因である固形物を取り除く必要がある。
 かつて脚気が国民病だった時代がある。これはビタミンB1欠乏症だが、当時陸軍軍医だった森鴎外はこれを感染症と信じ込んで食生活の改善を怠ったために多くの兵士を死に至らしめた。原因に正しく対処しなければ病気は克服できない。
 感染症対策が成功したのは原因を特定できたからだ。病原体を見つけてそれを制したからこそ克服できた。感染症と比べて非感染症は原因を特定しにくいが、尿管結石や脚気のように原因が分かった非感染症は少なくない。原因さえ分かれば正しい対処が可能になる。この原因療法と対症療法は全く別のものだ。この二者を同列に扱うべきではない。原因療法は科学だが対症療法は科学ではない。科学の名を騙るオカルトに近い。総ての医療は原因療法であるべきだが、原因が分からない間は対症療法に頼らざるを得ない。これは手が無いからそうしているだけであって、医者も患者もこれを正しい医療と誤解すべきではない。原因を治療して初めて医療の名に値する。