俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

死に票

2014-12-16 10:20:20 | Weblog
 「♪一人の小さな手、何もできないけど♪」本田路津子さんの「ひとりの手」の歌詞だ。この歌の3番を批判する文章を読んだことがある。「♪一人の小さな声、何も言えないけど。それでもみんなの声が集まれば何か言える♪」に対して「たとえ一人であろうとも勇気を持って発言すべきだ」との意見だった。
 こういうタテマエを大上段に振り翳されるとウンザリする。政党が典型例だが、一人の声では力が無いからこそ集団を作る。一人で幾ら騒いでも無視されるだけだ。下手をすれば精神病院に強制入院させられる。
 権力者であれば一人の力で社会を動かすことができる。大韓航空の会長の馬鹿娘なら航空機の発着の妨害もできようが、私には高校生が乗る自転車1台止めることさえできない。
 私は現代の医療は間違っていると確信している。しかし私の如き無名の市井人が幾ら発言しても声にはならない。それどころか良心的な医師が薬の有害性を告発しても、テレビで浅田真央さんと舞さんが「3つのストナ!」と言えば消し飛んでしまう。大企業とマスコミを前にすれば良心的な声など蟷螂の斧に等しい。
 一昨日、衆議院選挙があった。投じられた票は総て死に票だ。なぜなら1票差で当選した人は今回も一人もいなかったからだ。どの有権者の1票であれその人の投票によって当落に影響を与えた人は一人もいない。だから1票によって政治を動かせると考えるのは幻想であり自己満足に過ぎない。もし当落を左右した個人がいるとすれば、数十人の認知症の老人に特定の候補者に投票させた人ぐらいだろう。
 投票する前から結果が分かっている選挙に投票しても無意味だ。オリンピックではないのだから、参加することに意義があるとは思えない。こんな白黒を付けるだけの投票ではなく、得票数を議員報酬に反映させたらどうだろうか。1票10円とすれば10万票を獲得した議員には100万円が上積みされる。候補者の当落を左右することなどできないのだから、せめて議員の報酬にでも影響を与えたいものだ。このことによって当落のためには死に票にしかならない1票であろうとも少しは意味を持つ。
 こんな○×式のような小選挙区制と比べれば、昔の中選挙区制のほうがずっと選ぶ自由があった。有権者に選択の自由が無いから投票率は下がり続ける。公明党と共産党の候補者しかいない選挙区の住民は実質的に選挙権が奪われている。香港の偽りの普通選挙と全く同じだ。

個性

2014-12-16 09:41:28 | Weblog
 習うとは倣うということだ。学ぶとは真似るということだ。総ては模倣から始まる。模倣を欠けば何事も修得できない。
 日本語には素晴らしい言葉がある。「守破離」だ。まず教えを守り、次に教えを破り、そして教えから離れて独自の境地に到達する。初めから独創的ではあり得ない。それは「我流」であって低レベルなものに過ぎない。偉大な先人から学ぶことから始めねばならない。
 ニーチェは「ツァラトゥストラ」の「三様の変化」でこれと極めて類似したことを書いている。精神は駱駝から獅子を経て小児に至ることによって初めて己の世界を獲得する。己の世界を獲得するためには駱駝から獅子を経て小児に至ることが必要だ。
 音楽はドレミを習うことから始まる。これを無視すれば音楽にはならない。ただの雑音だ。音階を理解して先人の音楽を知った上で初めて新しい音楽が生まれる。勿論新しいだけでは無価値だ。それまでのものとは異なる何らかの優れたものでなければならない。修得→改善→独創、とステップアップする。
 子供は伸び伸びと育てるべきだと考える人がいる。そうすることによって個性が育つと主張する。私は全く逆に、躾けこそ重要だと考える。犬は躾けられなくても犬だが、躾けられなかった人は獣にしかなれない。個性は自然に育つのではなく守破離を経て初めて生まれる。守・破の段階を経なければ個性ではない。ただの未熟児か奇形児だ。
 「守」を経なかった人は社会に適応できない。未熟な精神レベルのまま野蛮人か「引き籠り」になってしまう。これは甘やかした親の罪だ。1+1=3と主張することは個性ではない。ただの阿呆だ。
 「守」のレベルから離脱できない人は余りにも多い。学校で習ったことをそのまま信じ、マスコミの言うことを鵜呑みにしたまま一生を終える。こんな人ばかりを見ていると「守」は有害とも思いたくなる。学校とは人を飼い馴らす場所であり、マスコミは思想統制だと私も思う。しかし飼い馴らされた犬のほうが凶暴なノラ犬よりずっとマシだろうし、教育を受けた人なら更に高まることが可能だが無教育であれば一生無教育のレベルに留まる。「破」のレベルに昇る可能性があるのだから「守」は「無」より遥かに好ましい。基礎訓練をしても一流選手にはなれないかも知れないが、基礎訓練が欠けていれば絶対に一流選手にはなれない。
 「破」に達してもそこに留まる人は惨めだ。文句を言うことが自己実現だと思っている。他を否定しても自己は確立されない。落選した民主党の海江田前代表のようにアベノミクスを罵るばかりでは政治家失格だ。具体的な代替案を示さねばならない。価値を創造するのが「離」のレベルでありここに至って初めて本物の個性が生まれる。