俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

短時間

2014-12-26 10:10:30 | Weblog
 多くの場合、短時間で済ませることが好まれる。交通機関はその典型だ。少しでも早く着けるほうを選ぶ。散髪も短時間のほうが良い。都会では10分理髪店が流行っている。私が住む伊勢にはそんな便利なものが無いから大阪へ出掛けた時に立ち寄る。歯の治療時間も短いほうが良かろう。娯楽である筈のスポーツでさえ短時間が好まれる。少しでも速く走ろうとするし、試合でも短時間で勝とうとする。
 時間の長さが価値に繋がるのはキャバクラなどの風俗店だけではないだろうか。
 仕事においても優秀な者ほど早く正確に仕上げる。できの悪い者がダラダラと仕事をすることに対して支払われる時間外手当ほど不合理な報酬は無かろう。もし仕事を外注するなら5日で仕上げる企業よりも3日で仕上げる企業を優先する。下手な自動車修理工であればあちこち調べて散々時間を掛けてやっと修理を終える。熟練した人であればあっと言う間に修理を完了する。私は後者に多くを支払いたい。
 サラリーマン時代に業務分析の資料を見て驚いた。業務内容を15分刻みで自己申告した資料なのだが、事務系従業員の呆れた仕事ぶりが分かった。少なからぬ時間が「思考」と「作業」に使われていた。思考とは要するに何もしていない時間であり、作業はパソコン操作を含めて何をしているのか不明な時間だ。この傾向は仕事の遅い者ほど顕著だった。これは自己申告だからある程度正当化されているだろう。それでもこんな実態だった。日本ではホワイトカラーの生産性が低いと言われているがかなりの時間が無駄遣いされているようだ。
 「下手の考え休むに似たり」と言うがこの格言のとおりだった。優秀な社員はテキパキと仕事をこなし、できの悪い者はダラダラと働く。こんな社員に対する時間外手当は不当なものだが、だからと言って支払わない訳には行かない。むしろ「残業禁止」が基本ルールであるべきだろう。

所有と共有

2014-12-26 09:41:40 | Weblog
 資源は有限だからこそ所有することが必要になる。空気だけは必要量を充分に満たしているので共有されているが、もし充分でなければ命懸けでの取り合いになるだろう。
 チンギスハンのモンゴル帝国は土地を所有せず、家畜を連れて家ごと移動していた。こんなことが可能だったのは大平原があり人口が少なかったからだろう。人口が増えれば土地も限られた資源になり取り合いが始まる。共有地は荒れ果てることを免れることはできない。あの広大な海でさえ乱獲を続ければ枯渇する。絶滅危惧種は決して少なくない。資源は有限だから共有は難しい。
 歳を取ると所有欲が乏しくなる。これは煩悩から解放されたからではなかろう。今更、所有しても仕方が無いからだろう。20歳なら所有すれば今後60年ぐらい使えるが、60歳であればせいぜい20年しか使えない。使う機会の少ない物を所有しても場所を取るだけだ。これは何かを研究しようとする時に初めは必要と思える文書を掻き集めるが、研究が進めば少数の文献しか必要なくなるのと同じようなものだろうか。
 将来に備えると考えることもできる。若い内に老後のことまで考えればお金は幾らあっても足りないように思えて稼げるだけ稼ごうとする。歳を取れば、これ以上稼いでも使い切れないということに気付く。
 子供の頃、私はプール付きの家に住みたいと考えていた。勿論、深い考えなど無くアメリカ製のテレビドラマや映画に感化されていただけだ。個人でプールを持つことは維持費が掛かるばかりでメリットは少ない。
 所有は最小限に抑えてできるだけ共有したいと思う。プールのように共有したほうが便利なものは少なくない。例えば道だ。道は共有しなければ役に立たない。警察や消防も共有したほうが合理的だ。
 傘も是非共有したいと思う。降っていない時には邪魔になるだけだから駅などに共有の傘があれば便利だといつも思う。しかしこれを具現化した「善意の傘」はすぐに無くなってしまう。返却しない人が多いからだ。
 図書館が民営化されるように現代の風潮は公から民、共有から私有だ。確かに公の仕事は非効率で無駄が多い。しかしこれは共有が原因ではなく適切な競争が無いために公務員が組織を「私物化」していることが原因ではないだろうか。民間企業でも電力会社のように独占企業は腐敗する。私は逆に自転車などを共有できればもっと便利な社会になると思う。韓国のような財閥のオーナーが支配する企業よりも、日本式の従業員が参画する企業のほうは長期的には上手く機能するのではないだろうか。