科学の実験で想定外の結果が出たら科学者なら大喜びするだろう。新しい事実が発見されたからだ。社会について政治家やマスコミが調査をして想定外の結果が出れば多分隠蔽するだろう。そのデータは闇に葬られて都合の良いデータが使われる。あるいは同じデータでも全く逆の意味で利用する。
理系と文系では実験・調査に対する姿勢が根本的に違う。理系では事実を知ることが優先され、文系では主張を裏付けるために利用されるだけだ。
実はこれは理系と文系の違いではなく、利害関係が絡むからだ。社会問題であれば自分の利害が絡むが、科学の実験であればリチウムの炎が赤であれ青であれどちらでも構わないから客観性が保たれる。
理系での最悪の実験は薬の臨床データの捏造だ。ノバルティスファーマ社だけではなくこれまでに無数とも思えるほど多くのデータが捏造された。利害が絡めば科学者であっても事実より先に結論が出現する。
裁判においても当事者は公正な判断ができない。犯罪の被害者やその家族に加害者を裁かせればとんでもない判決になるだろう。いくら公正な裁判官でも自分自身を裁くことはできまい。他人に委ねることになるだろう。当事者は公正たり得ない。
これとは逆のことを主張する奇妙なグループがある。「差別されている者にしかその苦しみは理解できない」とフェミニストは主張する。この主張だけであれば間違っていない。間違っているのはその続きの隠された部分だ。女性問題は女性の主張が最大限反映されるべきだと彼女らは言う。私は全く逆に、当事者は公正たり得ないと考える。しかしこれでは困ったことになる。男女共に女性問題の当事者なのだから誰も公正な判断などできないということになってしまう。
例えば喫煙者差別を痛感しているのは喫煙者だが、これは決して喫煙者に判定権があることにはならない。人種差別問題も差別される側に優先権があるとは思えない。差別される側と差別する側の合意が必要だ。
子供の頃、私はキャッチボールで顔面に来る球が苦手だった。グラブで顔を覆ってしまうので球を見失うからだ。そのためにわざわざ右に移動して体の左側で捕球していた。これと同じ愚行ではないだろうか。正面に来る球こそ一番よく見えるのだからしっかり見て直前にグラブを差し出せば良い。早くグラブを構えるから球が見えなくなる。これと同様、早くから価値判断をしてそれを見直さないから却って事実を見失う。差別される側の人は一番よく見える位置にいるのだから極力長く正確に事実を把握することに徹して、公正な判断は他者に委ねたほうが良いのではないだろうか。
理系と文系では実験・調査に対する姿勢が根本的に違う。理系では事実を知ることが優先され、文系では主張を裏付けるために利用されるだけだ。
実はこれは理系と文系の違いではなく、利害関係が絡むからだ。社会問題であれば自分の利害が絡むが、科学の実験であればリチウムの炎が赤であれ青であれどちらでも構わないから客観性が保たれる。
理系での最悪の実験は薬の臨床データの捏造だ。ノバルティスファーマ社だけではなくこれまでに無数とも思えるほど多くのデータが捏造された。利害が絡めば科学者であっても事実より先に結論が出現する。
裁判においても当事者は公正な判断ができない。犯罪の被害者やその家族に加害者を裁かせればとんでもない判決になるだろう。いくら公正な裁判官でも自分自身を裁くことはできまい。他人に委ねることになるだろう。当事者は公正たり得ない。
これとは逆のことを主張する奇妙なグループがある。「差別されている者にしかその苦しみは理解できない」とフェミニストは主張する。この主張だけであれば間違っていない。間違っているのはその続きの隠された部分だ。女性問題は女性の主張が最大限反映されるべきだと彼女らは言う。私は全く逆に、当事者は公正たり得ないと考える。しかしこれでは困ったことになる。男女共に女性問題の当事者なのだから誰も公正な判断などできないということになってしまう。
例えば喫煙者差別を痛感しているのは喫煙者だが、これは決して喫煙者に判定権があることにはならない。人種差別問題も差別される側に優先権があるとは思えない。差別される側と差別する側の合意が必要だ。
子供の頃、私はキャッチボールで顔面に来る球が苦手だった。グラブで顔を覆ってしまうので球を見失うからだ。そのためにわざわざ右に移動して体の左側で捕球していた。これと同じ愚行ではないだろうか。正面に来る球こそ一番よく見えるのだからしっかり見て直前にグラブを差し出せば良い。早くグラブを構えるから球が見えなくなる。これと同様、早くから価値判断をしてそれを見直さないから却って事実を見失う。差別される側の人は一番よく見える位置にいるのだから極力長く正確に事実を把握することに徹して、公正な判断は他者に委ねたほうが良いのではないだろうか。