素人が医療を批判することは憚られている。医療とは高度な専門知識に基づいており素人には理解できないものとされている。しかし高度な専門家を素人が批判してはいけないものだろうか。例えばプロスポーツ選手、彼らこそ並外れた才能と血の滲むような努力を重ねた超人だ。素人は彼らに敵わないことを知っている。しかし遠慮することなく批判する。但しそれは技術についてではなく戦術についてだ。野球であれサッカーであれポジショニングなどについてであれば素人でも正当な批判ができる。これは運動能力とは別レベルでの話だからだ。
素人が心臓手術をすることは不可能だ。だからと言って外科医に文句を言えない訳ではなかろう。これはパソコンを作れない人でも機能について注文を付けても構わないのと同じことではないだろうか。
政治家もプロフェッショナルだ。優秀なブレインを抱えているだろうし、様々な問題について熟知している。それでも我々は平気で文句を言う。
医師は確かに豊富な医療知識を持っている。しかしその知識が間違っていればどうなるだろうか。医師の多くは学校秀才上がりだ。学校秀才には困った特徴があり、教わったことを余り疑おうとしない。知識と現実に矛盾があれば、間違っているのは知識ではなく現実のほうだと考え勝ちだ。養老孟司氏の解剖学の授業で「この死体、間違っています」と言った東大生がいたそうだ。こんな石頭には医療の改善は期待できない。
日本の医療制度にも問題がある。医師免許さえあれば歯科以外の何科でも標榜することができる。通常は得意のジャンルを選ぶが、儲かりそうだという理由で選ぶこともあり得る。それまで普通の内科医だった人が心療内科医を併せて名乗っても構わない。元々精神医療になど関心(interest)が無く、利益(同じくinterest)だけを目的にしたこんな医師がいい加減な診断をしては安易に抗精神病薬を乱発して精神病患者を作ってしまう。素人以下だ。確かに専門医という制度があるが、これはそれぞれの学会が勝手に認定する。だから学会に会費さえ納めていれば専門医として認定される金で買える肩書きに過ぎない。
医学界は中国共産党のようなものだ。「由らしむべし、知らしむべからず」が基本スタンスであり、権力を独り占めして批判を許さない。その癖、自浄能力を欠く。この2者はどちらも自滅する宿命を背負っている。医学界は今尚「白い巨塔」のままだ。もっと開かれた社会であるべきだろう。
素人が心臓手術をすることは不可能だ。だからと言って外科医に文句を言えない訳ではなかろう。これはパソコンを作れない人でも機能について注文を付けても構わないのと同じことではないだろうか。
政治家もプロフェッショナルだ。優秀なブレインを抱えているだろうし、様々な問題について熟知している。それでも我々は平気で文句を言う。
医師は確かに豊富な医療知識を持っている。しかしその知識が間違っていればどうなるだろうか。医師の多くは学校秀才上がりだ。学校秀才には困った特徴があり、教わったことを余り疑おうとしない。知識と現実に矛盾があれば、間違っているのは知識ではなく現実のほうだと考え勝ちだ。養老孟司氏の解剖学の授業で「この死体、間違っています」と言った東大生がいたそうだ。こんな石頭には医療の改善は期待できない。
日本の医療制度にも問題がある。医師免許さえあれば歯科以外の何科でも標榜することができる。通常は得意のジャンルを選ぶが、儲かりそうだという理由で選ぶこともあり得る。それまで普通の内科医だった人が心療内科医を併せて名乗っても構わない。元々精神医療になど関心(interest)が無く、利益(同じくinterest)だけを目的にしたこんな医師がいい加減な診断をしては安易に抗精神病薬を乱発して精神病患者を作ってしまう。素人以下だ。確かに専門医という制度があるが、これはそれぞれの学会が勝手に認定する。だから学会に会費さえ納めていれば専門医として認定される金で買える肩書きに過ぎない。
医学界は中国共産党のようなものだ。「由らしむべし、知らしむべからず」が基本スタンスであり、権力を独り占めして批判を許さない。その癖、自浄能力を欠く。この2者はどちらも自滅する宿命を背負っている。医学界は今尚「白い巨塔」のままだ。もっと開かれた社会であるべきだろう。