俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

稼ぎ時

2014-12-18 10:24:48 | Weblog
 もし傘の専門店があれば、晴の日は暇で雨の日は忙しい。忙しい日であれば社員総出で昼食・夕食抜きででも頑張ることになるだろう。
 消費増税の前には駆け込み需要が発生する。このビジネスチャンスを逃してはならない。増税後には反動減があるから、たとえ増税前よりも低い価格を設定しても余り売れない。
 漁業は大漁・不漁の差が大きい。魚群に出会ったら入れ食い・獲り放題になる。漁師はこの短時間に勝負を賭ける。魚がいない時に幾ら頑張っても徒労に終わるだけだ。
 このように物事には稼ぎ時がある。稼ぎ時に大きく稼いで、稼げない時には大人しくしているのが良い。サラリーマンなら30~50歳ぐらいが稼ぎ時だろう。昇進が懸っている時も勝負時だろう。誰もが粉骨砕身の覚悟で働く。
 ところで女性の出産最適期はいつだろうか。多分25~35歳ぐらいだろう。困ったことにキャリアを積むべき時期と重なっているから、仕事のせいで出産最適期を逃すキャリアウーマンが少なくないのではないだろうか。
 現在の女性のライフサイクルは、就職後30歳ぐらいで結婚して退職、35歳までに出産、40歳ぐらいから非正規雇用労働者になるというパターンがかなり多いのではないだろうか。これでは労働期間が短く生涯賃金も少ない。一番稼げる30歳以上での正規雇用期間か欠けるからだ。
 女性のライフサイクルを考えるに当って、出産最適期を最優先すべきだろう。私がベストと考えるのは11月4日付けの「祖父母」に書いたとおり3世代同居による育児と仕事の両立だが、それをできない人あるいはしたくない人のための代替策も必要だろう。
 男性に「第二新卒」という言葉がある。中途採用者を新卒者同様に育てるという考え方だが、出産を終えた女性を非正規雇用労働者ではなく第二新卒として受け入れる仕組みがあれば、女性の能力を生かすことができる。結婚あるいは出産退職した女性は人材の宝庫だ。専門職ではない女性に非正規雇用しか進路が無いという現在の社会は不合理だ。女性の第二新卒の入社試験があれば物凄い競争率になって素晴らしい人材が集まるだろう。これを女性のための新しいキャリアコースとして導入する企業が現れないものだろうか。女性のほうが長寿なのだから、定年を延長すれば充分に長く戦力化できる。

平和条約(1)

2014-12-18 09:47:12 | Weblog
 日本は敗戦国だ。こんな当たり前のことをわざわざ書くのは、このことを忘れた議論がしばしば見受けられるからだ。敗戦国である日本はそれ以前の経緯を総て放棄してサンフランシスコ平和条約(以下「平和条約」という)を締結した。この条約を覆すためには締結先の48ヶ国総てと平和的または力付くでの交渉を経て新たな条約を締結せねばならない。国内法に過ぎない日本国憲法とは違って国際条約を覆すことは極めて難しい。日本の対外的権利も義務も総てこれに基づいている。
 本当に残念な話だが、我々はこの条約について余りにも無知だ。学校で条約の存在については教わったがその内容は殆んど教えられなかった。これは戦後教育の重大な欠陥だ。憲法以上に重要な条約だけに充分な理解が必要だ。領土もこれに明記されているが、竹島および尖閣諸島については具体的に触れられてはいない。だからこそグレーゾーンになっている。
 今回、平和条約を読んで驚いた。第5条に「集団的自衛権を有する」と記されていたからだ。私は国際法には疎いがこの条項があれば「集団的自衛権を持たねばならない」ということにはならないのだろうか。それともこれはあくまで権利であって義務ではないと言い切れるのだろうか。
 国内法であれば権利と義務は別だ。権利は行使しなくても構わない。たまに「投票は国民の義務だ」などとデタラメを言う人がいるが、これは権利であって義務ではない。権利と義務は容易に識別できる。
 集団的自衛権は当然、権利だと考えられるが、戦勝国でありかつ軍事同盟国であるアメリカから「集団的自衛権を行使せよ」と言われた場合、拒絶できない。憲法制定よりも後で締結された平和条約のほうが優先するからだ。だから行使しなければ平和条約を踏み躙ることになってしまう。平和条約締結の時点で憲法を改定する必要があったということだ。安倍内閣が拙速とも思える対応をしてまで憲法解釈を歪めたのは、アメリカから要求されるまでに辻褄を合わせておく必要があったからではないだろうか。
 権利が義務に転じることは決して珍しくない。例えば憲法26条は「教育を受ける権利を有する」と定めた上で「子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ」としている。つまり子供の権利が親の義務と表裏一体になっている。立場が変われば権利が義務になり得る。
 恥ずかしながら私は平和条約と憲法との矛盾について全く気付かなかった。他のことを調べていて平和条約に辿り着き、この文面を見付けて愕然とした。7月に集団的自衛権容認が閣議決定され、その後、流行語大賞にも選ばれているのに、これと平和条約との関連についての掘り下げた議論を私は知らない。ごく稀に、集団的自衛権を認める立場の人が「国際法でも平和条約でも認められている」とあくまで権利として主張しただけだ。これが義務になり得ることを指摘した人はいない。実は平和条約と憲法は初めから齟齬をきたしており、国民が知らなかっただけだ。