昔から「名選手、必ずしも名監督にあらず」と言う。プレ-ヤーとマネージャーでは仕事が違うからだ。同様に優秀な係長が必ずしも課長に相応しい訳ではない。
係長はプレーヤーのトップであり課長はマネージャーのボトムだから仕事の質が違う。人には適・不適があるものだ。万年係長の中には昇進しないことによって却って良い成果を残せた人もいる。生涯一選手を貫いた名選手のようなものだ。
係長であれば係の利益を守れば良い。係の仕事を円滑に進めれば充分だ。課長になれば他のセクションとの調整も図らねばならないから求められる資質が異なる。
ビジネスでの役割分担は多様だ。ノーベル賞受賞者である田中耕一氏は経営者ではなくフェローという立場だ。本人の希望もあってのことだが、田中氏には経営者よりも研究者が似合う。人を優劣という一元論でしか見ない人は社会をピラミッド構造にしたがるがそれでは個々の能力を生かせない。
アメリカのノードストロームという百貨店には本物のカリスマ販売員がいたそうだ。販売額が桁違いに多いので役員並みの給料を貰っていたそうだ。日本のカリスマ店員とは格が違う。
不思議な先輩がいた。現場レベルでの仕事は余り得意ではないのだが、全社的な仕事になると途端に能力を発揮する。各セクションの利害を調整することが得意で誰もが納得した。社長にはなれなかったが専務にまで昇進した。
長嶋茂雄氏は文句なしに名選手だった、しかし迷監督だったと思う。チャンスにこそ力を発揮した長嶋氏には、殆んどの選手がチャンスを迎えれば萎縮するものだということが理解できなかったのだと思う。人には適したポストがある。「やはり野に置け蓮華草」は人を貶める言葉ではなく、適材適所を意味する。
係長はプレーヤーのトップであり課長はマネージャーのボトムだから仕事の質が違う。人には適・不適があるものだ。万年係長の中には昇進しないことによって却って良い成果を残せた人もいる。生涯一選手を貫いた名選手のようなものだ。
係長であれば係の利益を守れば良い。係の仕事を円滑に進めれば充分だ。課長になれば他のセクションとの調整も図らねばならないから求められる資質が異なる。
ビジネスでの役割分担は多様だ。ノーベル賞受賞者である田中耕一氏は経営者ではなくフェローという立場だ。本人の希望もあってのことだが、田中氏には経営者よりも研究者が似合う。人を優劣という一元論でしか見ない人は社会をピラミッド構造にしたがるがそれでは個々の能力を生かせない。
アメリカのノードストロームという百貨店には本物のカリスマ販売員がいたそうだ。販売額が桁違いに多いので役員並みの給料を貰っていたそうだ。日本のカリスマ店員とは格が違う。
不思議な先輩がいた。現場レベルでの仕事は余り得意ではないのだが、全社的な仕事になると途端に能力を発揮する。各セクションの利害を調整することが得意で誰もが納得した。社長にはなれなかったが専務にまで昇進した。
長嶋茂雄氏は文句なしに名選手だった、しかし迷監督だったと思う。チャンスにこそ力を発揮した長嶋氏には、殆んどの選手がチャンスを迎えれば萎縮するものだということが理解できなかったのだと思う。人には適したポストがある。「やはり野に置け蓮華草」は人を貶める言葉ではなく、適材適所を意味する。