孤独死という言葉は奇妙だ。人はどうせ一人で死ぬのであって家族に看取られようとアパートの一室で野垂れ死のうと同じことだ。私は無神論者だから、死ぬ時や死んだ後については関心が無い。自分の死体などゴミとして処分して貰いたいとさえ考えている。大切なことは死ぬまでに充分に楽しむことであり、不自由な生活を強いられたサラリーマン時代の埋め合わせをすることだ。とは言え、これは私個人の価値観であり、親にまでそれを押し付けることはできない。
私は田舎で一人暮らしをしていた母を孤独死させないために、住み慣れた大阪を離れて田舎に移り住んだ。母が死ぬまで世話をしてそれから自由に生きようと思っていた。ところがここに落とし穴があった。自由になる頃には自分自身が不自由になっている。不自由になってからの自由など有難味が乏しい。
大阪に住んでいた頃は100mを2分30秒のペースで毎日2㎞以上泳いでいたが今では3分のペースで1㎞泳ぐだけだ。視力の衰えも実感しつつある。老化は刻一刻進み、遅らせることは可能でも止めることはできない。多分、本人が気付かない内に脳も老化し続けていることだろう。
友人との交流も途絶えつつある。大阪で築いていた関係は希薄になる一方であり、田舎での新しい繋がりは乏しい。そもそも優秀な同級生は悉く東京圏・大阪圏・名古屋圏に流出し、地元に残っているのは教師を含めた公務員と医者と銀行員ぐらいだ。深い交友は望み難い。不便な土地で不自由な生活を強いられ不愉快な思いをして暮らしている。
近頃は「サウンド・オブ・ミュージック」の挿入歌の「もうすぐ17歳」の歌詞`♪I am 16, going on 17♪'が`♪I am 60's, going on 70's♪’に聞こえる。60代とは辛いものだ。
今のところ特に大きな病気を抱えてはいない。しかしいつそうなるか分からない。そうなるまでに「老春」を楽しみたい。サラリーマンという不自由な立場から解放されて自由を楽しめる時間は残り少ない。母の死後、大阪に戻っても、憧れの「我儘老後」を楽しめる期間は余りにも短く、身寄りの無い老人として孤独死を迎えることになるだろう。現役時代からの憧れだったhappy retirementは不本意な形で終わりそうだ。
私は田舎で一人暮らしをしていた母を孤独死させないために、住み慣れた大阪を離れて田舎に移り住んだ。母が死ぬまで世話をしてそれから自由に生きようと思っていた。ところがここに落とし穴があった。自由になる頃には自分自身が不自由になっている。不自由になってからの自由など有難味が乏しい。
大阪に住んでいた頃は100mを2分30秒のペースで毎日2㎞以上泳いでいたが今では3分のペースで1㎞泳ぐだけだ。視力の衰えも実感しつつある。老化は刻一刻進み、遅らせることは可能でも止めることはできない。多分、本人が気付かない内に脳も老化し続けていることだろう。
友人との交流も途絶えつつある。大阪で築いていた関係は希薄になる一方であり、田舎での新しい繋がりは乏しい。そもそも優秀な同級生は悉く東京圏・大阪圏・名古屋圏に流出し、地元に残っているのは教師を含めた公務員と医者と銀行員ぐらいだ。深い交友は望み難い。不便な土地で不自由な生活を強いられ不愉快な思いをして暮らしている。
近頃は「サウンド・オブ・ミュージック」の挿入歌の「もうすぐ17歳」の歌詞`♪I am 16, going on 17♪'が`♪I am 60's, going on 70's♪’に聞こえる。60代とは辛いものだ。
今のところ特に大きな病気を抱えてはいない。しかしいつそうなるか分からない。そうなるまでに「老春」を楽しみたい。サラリーマンという不自由な立場から解放されて自由を楽しめる時間は残り少ない。母の死後、大阪に戻っても、憧れの「我儘老後」を楽しめる期間は余りにも短く、身寄りの無い老人として孤独死を迎えることになるだろう。現役時代からの憧れだったhappy retirementは不本意な形で終わりそうだ。