蠱毒(こどく)という言葉がある。毒虫や毒獣を1箇所に集めてお互いに殺し合いをさせ、最後に生き残った最強の猛毒動物が暗殺などに使われた。
不謹慎な話だが、昔、暴力団同士での抗争事件がある度にこの言葉を思い出したものだ。暴力団が殺し合えばその時は危険であっても双方の組員が減るのだから社会は却って安全になる。もっと殺し合えと思ったものだ。
多くの犯罪でもこれと似た感情を持つ。通り魔や強盗などのような面識の無い人に対する犯行であれば被害者に非は無く加害者だけが悪いが、知人間で起こる犯罪の多くは被害者にも非があることが少なくない。マスコミは加害者=悪、被害者=善という構図でしか報じないが、実際にはあくどい被害者が少なくない。こんな形で悪党同士で殺し合うことは庶民にとっては決して悪いことではあるまい。
肉食獣同士が殺し合えば肉食獣の絶対数が減るから草食動物にとっては有難い。私は決して肉食獣を悪だと言いたい訳ではない。食われる側の草食動物にとって肉食獣が減ることが僥倖だという事実を伝えたいだけだ。
船橋市での18歳少女殺人事件の報道に違和感を覚えないだろうか。関係者に肩書きが付かないからだ。通常であれば「大学生」とか「飲食店従業員」といった肩書きが付くものなのだが、被害者も容疑者も肩書きを持たない。稀に20歳の容疑者2人に「無職」という肩書きが付くが、まともに働いていないチンピラグループだろう。親の脛を齧っているのかあるいは集団での万引や売春で稼いでいるのか知らないが、街に巣食う悪ガキだろう。こんなグループが殺し合いで滅んでくれれば街の治安が良くなる。こんな蝮(まむし)と蠍(サソリ)の殺し合いを騒ぎ立てる必要は無い。どうせ報道するなら、報道姿勢を改めて、悪い連中と付き合えば酷い目に遭うという教訓として報じるべきではないだろうか。
群集心理は恐ろしい。2ちゃんねるなどの例からも分かるように、責任の曖昧な合議は過激化し易い。多分彼らは個人であればそれほど凶暴ではあるまい。ところがお互いに強がって強硬な主張をすれば凶悪犯罪に対するブレーキが働かなくなる。これが集団リンチに繋がる。敢えて死者に鞭打ってでも、非行グループの仲間になることが非常に危険だということの警告として報道すべきだと私は考える。
不謹慎な話だが、昔、暴力団同士での抗争事件がある度にこの言葉を思い出したものだ。暴力団が殺し合えばその時は危険であっても双方の組員が減るのだから社会は却って安全になる。もっと殺し合えと思ったものだ。
多くの犯罪でもこれと似た感情を持つ。通り魔や強盗などのような面識の無い人に対する犯行であれば被害者に非は無く加害者だけが悪いが、知人間で起こる犯罪の多くは被害者にも非があることが少なくない。マスコミは加害者=悪、被害者=善という構図でしか報じないが、実際にはあくどい被害者が少なくない。こんな形で悪党同士で殺し合うことは庶民にとっては決して悪いことではあるまい。
肉食獣同士が殺し合えば肉食獣の絶対数が減るから草食動物にとっては有難い。私は決して肉食獣を悪だと言いたい訳ではない。食われる側の草食動物にとって肉食獣が減ることが僥倖だという事実を伝えたいだけだ。
船橋市での18歳少女殺人事件の報道に違和感を覚えないだろうか。関係者に肩書きが付かないからだ。通常であれば「大学生」とか「飲食店従業員」といった肩書きが付くものなのだが、被害者も容疑者も肩書きを持たない。稀に20歳の容疑者2人に「無職」という肩書きが付くが、まともに働いていないチンピラグループだろう。親の脛を齧っているのかあるいは集団での万引や売春で稼いでいるのか知らないが、街に巣食う悪ガキだろう。こんなグループが殺し合いで滅んでくれれば街の治安が良くなる。こんな蝮(まむし)と蠍(サソリ)の殺し合いを騒ぎ立てる必要は無い。どうせ報道するなら、報道姿勢を改めて、悪い連中と付き合えば酷い目に遭うという教訓として報じるべきではないだろうか。
群集心理は恐ろしい。2ちゃんねるなどの例からも分かるように、責任の曖昧な合議は過激化し易い。多分彼らは個人であればそれほど凶暴ではあるまい。ところがお互いに強がって強硬な主張をすれば凶悪犯罪に対するブレーキが働かなくなる。これが集団リンチに繋がる。敢えて死者に鞭打ってでも、非行グループの仲間になることが非常に危険だということの警告として報道すべきだと私は考える。