俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

身長

2015-04-18 10:29:25 | Weblog
 動物の体の大きさを決める要因は様々だ。一夫多妻制の動物であれば雌雄の差が大きい。これはオス同士で喧嘩をして勝ったほうがメスを独占するため、オスの体だけが極端に大きくなったからだ。ゴリラやゾウアザラシなどが典型例だ。
 ゴリラと近縁の種でありながらチンパンジーの性差は小さくオス同士の体格差も小さい。これは乱婚制で、オス同士がメスを巡って争わないからだ。しかしとんでもない方法で繁殖競争が行われている。精子がメスの子宮内で授精競争をする。どの精子が卵子に辿り着けるかは殆んど運任せだ。だから多くの精子を放出できるオスのほうが子孫を残せる可能性が高くなる。チンパンジーが他の動物と比べて異様に大きな睾丸を持っているのはこんな事情があるからだ。
 体の大きさは気温によっても左右される。恒温動物の体は一般に寒冷地ほど大きくなり、これをベルクマンの法則と言う。表面積は長さの二乗に比例し、体積は三乗に比例するから、大きいほど体積に対する表面積が小さくなる。表面積が小さければ熱を奪われにくいので寒さに強いという訳だ。
 ベルクマンの法則は人類にも当て嵌まる。男性の平均身長が最も高いのはオランダ人で何と183.8㎝だ。以下はデンマーク、アイスランド、スウェーデン、ノルウェー、ドイツ、オーストリアと北部ヨーロッパ諸国が上位に並ぶ。
 実は世界一大きなオランダ人と、当時は今よりもずっと小さかった日本人が戦ったことがある。蘭領印度つまり現代のインドネシアが主戦場だった。大きなオランダ人はまさかちっぽけな日本人に負けるとは思わなかっただろう。オランダが惨敗したことを象と蟻の戦いのようなものだったと喩えれば当時の日本人に失礼だろうか。
 国内でも気温による身長差はあるようだ。17歳男子の身長は高い順に①青森②鳥取③秋田④山形⑤石川⑥北海道となっている。北海道がトップでない理由は2つ考えられる。1つは弥生人よりも小柄だった縄文人の末裔であるアイヌ民族の血を引いていることで、もう1つは他の地域から移住した開拓民の子孫が多いので淘汰による選別を受ける期間としては短か過ぎるからだろう。
 逆に背が低いのは①沖縄②広島③高知④鹿児島⑤岡山⑥山口と、見事に南方に偏る。沖縄の場合、縄文系の人が多くしかも最南端に位置し、背が低くなるための理想的な条件を満たしている。
 背の高低は優劣ではない。しかし大半のスポーツにおいては背が高いほうが有利だ。背が低いという理由だけでスポーツエリートから外されることは明らかに理不尽であり、身長差で不利にならないようにルールを改めるべきだと私は常々考えている。
 

2015-04-18 09:42:38 | Weblog
 「雀の学校」の歌詞に違和感を覚えないだろうか。「♪ちいちいぱっぱちいぱっぱ 雀の学校の先生は ムチを振り振りちいぱっぱ♪」。「ちいちいぱっぱ」は雀の囀りを表現しているのだろう。しかし猛獣の調教師ではあるまいし、なぜ教師が鞭を振り回すのだろうか。戦前の教育が幾ら威圧的であっても学校で鞭を使っていたとは思えない。
 まず考えられるのは「愛の鞭」だ。しかし全体の流れと整合しないし、根性を養う場ではない和気藹々の授業に愛の鞭は似つかわしくない。
 本を読んでいてたまたま「教鞭を執る」という表現に出会って疑問は一気に氷解した。ムチとは教鞭のことだろう。現代風に言えば指示棒だ。多分、教師は教鞭をタクトのように振って「さあ、声を合わせて囀りましょう」と言っているのだろう。
 考えれば奇妙な話だ。この歌を初めて知ってから60年近く、意味も分からないまま歌っていたということだ。歌うだけならまだマシだ。意味を理解せずに語っていることが余りにも多いのではないだろうか。
 初期の戦後民主主義教育では「封建的」という言葉が非常に強力な否定語だった。つまり戦前の封建的な価値観を捨てて民主的になれ、という意味で使われていた。民主的が善で封建的が悪という単純な価値評価だった。
 今改めて「民主的」が問われるべきではないだろうか。中でも最悪なのは多数決万能主義だ。最近、住民投票によって解決すべきだ、という主張が目立つ。私にはこれは「多数者のために少数者を犠牲にせよ」という主張のようにしか思えない。 
 もし市内のどこかに産業廃棄物処理場を作らねばならない時に市民投票によって決めれば、候補地の近隣に住む少数の人がどんなに強硬に反対しても、それ以外の人の賛成多数によって決められてしまうだろう。こんな手続きは全く民主的ではない。NIMBY(Not In My Back-Yard)は集団と集団との利害対決だ。逆説的な言い方だが、住民つまり当事者は決定に関与すべきではない。被害者と加害者だけによる裁判はリンチのようなものだ。中立の立場の裁判官がいて初めて裁判が成立する。裁判官のような、直接的な利害関係の無い第三者に決定を委ねるべきではないだろうか。
 「民意を問え」という掛け声の元でとんでもないことが決定されることは決して少なくない。ヒットラーがドイツ国民の圧倒的な支持を得て総統に選ばれたという悪しき歴史的教訓を忘れるべきではない。