<その5からのつづき>
【水郡線の旅(後半戦)】
常陸大子では結局12分の停車時間があったため、結果的には駅弁ギャンブル(注:その3参照)を実施しても間に合った気はするが、結構な人数の乗客もいたので、一人旅ゆえ荷物の不安もあったから、のり弁作戦へ変更したのは正解だった気がする。
(常陸大子駅に停車中の328D。ここから、1両増結されて3両となり、ツーマン運転になってリスタートとなる。)
その後、下小川での列車交換で遅延が無くなっていたことを確認して、いよいよ上菅谷への到着があと小一時間と迫る。
その上菅谷駅に達すれば、自分は見事、35年前に常陸太田-水戸間を乗車していたので、いよいよ水郡線を完乗したことになるのだ。
【水郡線完乗へ】
そして17:52に上菅谷駅に到着。
これで支線を含めた水郡線全線をおよそ35年越しに完乗したことになる。
いやーしんどかった(笑)
この事実を当時の乗り鉄仲間にも知らせてやりたいくらいだが、この瞬間においては、彼があいにく生きているのかすら不明なので自己満足の世界に酔っておこう。
そして、まだ水戸まで20分はある距離だからな。
余韻に浸った時間も一瞬であり、それでいて遅延は許されないので気は抜けないのよ。
(下菅谷駅にて列車交換。常陸太田行きの下り列車をパチリ。)
(車窓から見た後台駅の待合所の様子。単線片側ホームの待合所内には、電光掲示板の時刻表がある。列車は非電化であっても、駅内は電化されている。)
【いざ328Dのゴール、水戸へ】
水戸につく頃には、もう薄暮、いやもう夜なのかも知れない。
(水戸駅に入線の328D。折り返しで常陸大子行となる。)
(水戸駅の水郡線ホームにおける駅標。)
328Dは結果的に水戸駅にほぼ定刻着(17:14)だったものの、感慨に浸る間もなく、折り返しの列車を待つ客と入れ替わるようにホールへ降ろされた。
そして、まず向かった水戸駅のトイレは大渋滞、用を足したら、もう次の列車の乗車まで時間がないではないか。
そんなこんなで水戸駅ではほぼ乗り換えに時間を要してしまい、一度改札をでてお茶を買ったら、もう次の列車のホームにいるしかなかった。
水郡線での3時間30分の旅、たしかに疲れたけれど、言葉に表せないような達成感に似たものを味わったと記憶しているが、水戸でバタバタしたのはちょっと残念だったなぁ。
(次の列車は。特急ひたち号。これに乗れないと、家に帰れないおそれもあったので、水郡線328Dが定刻運行してくれたからこその恩恵だ。)
(その特急を待つ対岸ホームには、鹿島臨海鉄道大洗鹿島線の緩行列車が待機中だった。)
(水戸駅に入線してきた特急ひたち22号。全席指定席だが、ほぼ満席だった。個人的には、全席指定席の方針には今のオレなら賛成なのだ。なお、このひたちで東京駅まで向かう。)
【東京経由で居宅へ】
水戸駅では乗り換え時間がわずか13分という行軍だったのだけど、これもそれも水郡線328Dが定刻に到着してくれたからこそ。
絶対に水郡線が遅延したって、水戸駅で特急ひたちが接続のために待ってくれるわけがないので、この日の水郡線の運行に感謝しかない。
評判悪き328Dだったが、水戸では指定席を予約していた「ひたち22号」に無事乗車できたのだから大満足。
勝手なことを言えば、このひたち22号が柏に停車してくれれば最高だったんだけどな。
そうなっていれば、この日の締め(中締め)は、地元近くのショボい居酒屋ではなく、毎月顔を出している柏駅に近い居酒屋で素敵な一杯を楽しめたんだが。
(東京駅から千葉のある居宅方面までは、NEXを利用した。これも前述のとおり、この列車に乗車できないと、下車駅から公共機関を使って帰宅できないおそれがあったから、これまた全席指定の特急の乗車となった。こちらの利用率は、40%くらいだったかな。)
【御静聴(御清読)ありがとうございました】
今回の南東北ツアーは、水郡線のゴールであったこのあたりで終了とします。
実は、特急ひたちに乗るのも人生初だったのだけど、特急ときわにて散々乗車している区間でもあるため、その差は停車駅の差だけだし特別な感情もわかなかったからさ。
でも自分が鉄ちゃん時代だった35年前って、当時、特急ときわなんか走っていなかったけどな(笑)
特急ひたちのほうが憧れだったし思い入れも強いけど、
まあ・・・もういいでしょう。
(最終下車駅の直前で、まる二日間お世話になった乗車券をパチリ。途中下車印が刻印されたのは、新幹線駅だけだった。一応、水戸でも途中下車したのだけどね。もうこのきっぷは自動回収されて手元にないが、久々の乗り鉄旅を十分味わったと評価しよう。)
<その1へもどる>
【水郡線の旅(後半戦)】
常陸大子では結局12分の停車時間があったため、結果的には駅弁ギャンブル(注:その3参照)を実施しても間に合った気はするが、結構な人数の乗客もいたので、一人旅ゆえ荷物の不安もあったから、のり弁作戦へ変更したのは正解だった気がする。
(常陸大子駅に停車中の328D。ここから、1両増結されて3両となり、ツーマン運転になってリスタートとなる。)
その後、下小川での列車交換で遅延が無くなっていたことを確認して、いよいよ上菅谷への到着があと小一時間と迫る。
その上菅谷駅に達すれば、自分は見事、35年前に常陸太田-水戸間を乗車していたので、いよいよ水郡線を完乗したことになるのだ。
【水郡線完乗へ】
そして17:52に上菅谷駅に到着。
これで支線を含めた水郡線全線をおよそ35年越しに完乗したことになる。
いやーしんどかった(笑)
この事実を当時の乗り鉄仲間にも知らせてやりたいくらいだが、この瞬間においては、彼があいにく生きているのかすら不明なので自己満足の世界に酔っておこう。
そして、まだ水戸まで20分はある距離だからな。
余韻に浸った時間も一瞬であり、それでいて遅延は許されないので気は抜けないのよ。
(下菅谷駅にて列車交換。常陸太田行きの下り列車をパチリ。)
(車窓から見た後台駅の待合所の様子。単線片側ホームの待合所内には、電光掲示板の時刻表がある。列車は非電化であっても、駅内は電化されている。)
【いざ328Dのゴール、水戸へ】
水戸につく頃には、もう薄暮、いやもう夜なのかも知れない。
(水戸駅に入線の328D。折り返しで常陸大子行となる。)
(水戸駅の水郡線ホームにおける駅標。)
328Dは結果的に水戸駅にほぼ定刻着(17:14)だったものの、感慨に浸る間もなく、折り返しの列車を待つ客と入れ替わるようにホールへ降ろされた。
そして、まず向かった水戸駅のトイレは大渋滞、用を足したら、もう次の列車の乗車まで時間がないではないか。
そんなこんなで水戸駅ではほぼ乗り換えに時間を要してしまい、一度改札をでてお茶を買ったら、もう次の列車のホームにいるしかなかった。
水郡線での3時間30分の旅、たしかに疲れたけれど、言葉に表せないような達成感に似たものを味わったと記憶しているが、水戸でバタバタしたのはちょっと残念だったなぁ。
(次の列車は。特急ひたち号。これに乗れないと、家に帰れないおそれもあったので、水郡線328Dが定刻運行してくれたからこその恩恵だ。)
(その特急を待つ対岸ホームには、鹿島臨海鉄道大洗鹿島線の緩行列車が待機中だった。)
(水戸駅に入線してきた特急ひたち22号。全席指定席だが、ほぼ満席だった。個人的には、全席指定席の方針には今のオレなら賛成なのだ。なお、このひたちで東京駅まで向かう。)
【東京経由で居宅へ】
水戸駅では乗り換え時間がわずか13分という行軍だったのだけど、これもそれも水郡線328Dが定刻に到着してくれたからこそ。
絶対に水郡線が遅延したって、水戸駅で特急ひたちが接続のために待ってくれるわけがないので、この日の水郡線の運行に感謝しかない。
評判悪き328Dだったが、水戸では指定席を予約していた「ひたち22号」に無事乗車できたのだから大満足。
勝手なことを言えば、このひたち22号が柏に停車してくれれば最高だったんだけどな。
そうなっていれば、この日の締め(中締め)は、地元近くのショボい居酒屋ではなく、毎月顔を出している柏駅に近い居酒屋で素敵な一杯を楽しめたんだが。
(東京駅から千葉のある居宅方面までは、NEXを利用した。これも前述のとおり、この列車に乗車できないと、下車駅から公共機関を使って帰宅できないおそれがあったから、これまた全席指定の特急の乗車となった。こちらの利用率は、40%くらいだったかな。)
【御静聴(御清読)ありがとうございました】
今回の南東北ツアーは、水郡線のゴールであったこのあたりで終了とします。
実は、特急ひたちに乗るのも人生初だったのだけど、特急ときわにて散々乗車している区間でもあるため、その差は停車駅の差だけだし特別な感情もわかなかったからさ。
でも自分が鉄ちゃん時代だった35年前って、当時、特急ときわなんか走っていなかったけどな(笑)
特急ひたちのほうが憧れだったし思い入れも強いけど、
まあ・・・もういいでしょう。
(最終下車駅の直前で、まる二日間お世話になった乗車券をパチリ。途中下車印が刻印されたのは、新幹線駅だけだった。一応、水戸でも途中下車したのだけどね。もうこのきっぷは自動回収されて手元にないが、久々の乗り鉄旅を十分味わったと評価しよう。)
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