【大学病院にて】
行きつけの町医者(緑内障でかかっていた医者)の緊急紹介によって、居宅の近所の大学病院へ受診となった日、一喜一憂する事態となったわけで。
その前段は過去ログを参照していただきたいのだけど、自分にはいくつかのポイントがあったのよ。
ひとつは、目に変調を来した二日後に控えた大阪ツアー(いまみちともたかのライブ参戦を含む食い倒れツアー)がどうなるのか、もうひとつは、個人的にレンタルビデオ店から作品をいくつか借りていて、その返却期限が迫っていたこと、そして最後に、今年度参加している地元自治会の仕事である回覧物の配布や会合参加という問題だ。
まあ正直最後の自治会問題については、手術を行った場合、その事実について大義名分が付くので、その多くは許容してもらえると思っていたし、実損はないから大きな問題ではないが使命感には傷がつく。
ところが、前段の2案件は、手術をすると決まった時点で大きな損失が生じることが確定しているわけで、入院が長引けば延滞金まで発生するという恐ろしい事態が待っているので気が気ではないわけで。
そのため、手術せずレーザー施術だけで即退院か、手術しても成功して早期退院となるか、最悪うまくいかなくて手術を複数回行って入院が長引くかの3つの診断結果いかんによって、ダメージの大きさが変わるということになる。
勿論、自分の命と自分のカラダが惜しいので、医者の指示には全乗っかりなんだけど、当然、レーザー手術のみで日帰りできれば、それらすべてが解消されるわけだから、そう願っていたけどね。
【第一の診断】
2時間くらい視力等の眼科検診を行った後、医師による診断で改めて「網膜裂孔」だと宣告されたものの「網膜剥離」がすでに始まっているとも併せて宣告された。
ただし、その網膜剥離が結構進んでしまっているので、ただちにレーザーで剥離している部分を焼き付けたいと医師から言われ、そのままレーザー治療室へ連行されたという。
その際は、心の中で「ギリギリ間に合ってセーフ判定になりそうだ。レーザー手術も順調なら、日帰りはおろかすぐ帰っていいみたいだから、思ったほど重傷でなくて良かったわぁ。」と小躍りしてしまったほど。
しかし、目論見はそのレーザー治療が5分くらい行ったところで、悪い方の杞憂になってしまうのよ。
その担当医師がさ、
「あれ、これダメだな。レーザーが届かない場所にも剥離が始まっているので、もう手術しかないな。」
と表情変えずにオレへ最終通知(笑)
つまり、網膜剥離の入口の病気「網膜裂孔」のハズだったのに、飛蚊症発症時から24時間ちょっとで、網膜剥離まで症状が進んでしまったということになる、トホホ。
【第二の診断】
そのレーザーをやってくれた医師の先輩、つまりその大学病院の眼科の権威である大先生に、直接診断してもらうことになり、やはりその第一の医師の診断通り、網膜剥離が進行してしまっているから、即手術が必要であることを伝えられた。
しかも、早い時間に行いたいということで、大先生の外来が終わってから、すでに先客のある患者の手術を行った後に、オレの手術を行うということで、それがたとえ夜中になろうとも即手術を行うことを言われた。
ゆえに、それだけ緊急性が必要な手術であって、それだけヤバい病気でもあるということは、自分にもわかったわけで。
【自分の病名】
かかりつけ医からは、手術をしたとしてもせいぜい一泊分で十分だと聞かされていたから、そのとおり準備して大学病院での受診に臨んだのだけれど、わずか数時間でも進行していた病気のために、1週間から2週間の入院は覚悟して欲しいと病院側から言われることに。
大した準備もしていないし、病院側にもデブ用の入院着も売っていないしレンタルもないことを知ってガックリ来ているうちに、あっという間に、6人部屋の入院用ベッドに案内され、身支度していたら車いすに載せられ手術室に向かうという、心の準備もないまま流れるように事は進んだという。
なお、入院や手術に関する同意書にサインするのだけど、そこで初めて本当の病名を知るのよ。
そう「裂孔原性網膜剥離」だという病名をね。
【手術名など】
なお、この手術に係る名称は「硝子体切除術 網膜剥離」といい、自分なりに言えば、眼内に先端にある硝子体を取り除き、網膜の下にある水を吸引除去する。
その後、網膜を処置しやすいように施術を行いそれを縫合したら、そこからさらにレーザーを照射させて剥離した箇所を凝固することで閉鎖固定。
最後にガス等を眼内へ注入して眼球を元のサイズに置換させ、硝子体に代わるものを眼球にセットして終了というもの。
なお、2週間は洗髪の禁止(感染症の防止)、飛行機の乗船禁止(眼球の破裂防止)などの禁忌事項がある。
なお、自分のような近眼由来による網膜剝離は、再発率が高く、さらに手術をしなかった側の眼の発症率も高いという。
また完全に元の生活に戻るには3か月は見て欲しいとも。
さらには、硝子体もとってしまって人工物に置換したということは、すなわち白内障の手術も行ったということだ。
ゆえに今回は簡単ではない手術でもなかったものであり、再発はおろか合併症や逆目の白内障の手術を行うリスクは、現時点でもあるということになる。
結果的に5日の入院で退院することはできたのだけど、術前よりも視界が悪いまま、術後と何ら変わらないオレの右目の状況に不安でしかない。
車の運転は禁止されていなかったから、今日軽く運転してみたけれど、日中はギリギリよ。
夜なんか絶対危険だろうし、高速道路なんか絶対無理だわ。
いやいや、有給休暇もいっぱいあるわけじゃないし、仕事もクソみたいに溜まっているし、出勤できないわで頭痛い。
さらに強行して電車で出勤したとしても、パソコンでの作業も1~2時間が限界。
この記事だって、朝と夕に頑張って書いたものよ。
いったいどうなる事やら。
【あとがき】
前述のとおり、病気自体も手術で完全に不安や心配が除去されたわけじゃないし、手術眼そのものがまだまだ見えない。 まあ、こればっかりは自分の回復力を含め、医者を信じるしかない。
続報があればまた書きます。
でも、入院中のトンデモ生活は、かならずいつか記事にすることを約束しよう。
ある意味、それは人間の縮図でカオス。
ある意味、それは人間の終末を見た気がするからさ。
(オレの場合は、車椅子で一人の看護師によって手術室まで移動。もちろん、血圧管理や麻酔的な点滴を打ちながらだったのは共通しているが。ちなみになぜ車椅子で移動したのか理由はその時は分からなかった。だけど手術が終わった時にその理由が分かった。なぜなら、歩いて部屋まで帰れないからだ。なお、オレは人生初入院、ガチ切除がある1時間以上の手術も初体験だったという。)
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