こうして文章を書いていると、なんと「日本語」は美しく表現力の豊かな言語なのでしょう。英語の「I」は、日本語にすると、「私」「わたくし」「俺」「僕」「自分」・・・数々の場面で使い分けられる言葉があります。敬語もあるし。世界中でいちばん難しい言語なのかもしれません。英語は26のアルファベットを組み合わせて、単語を作り、文章を作ります。日本語には、50の「ひらがな」、50の「カタカナ」、そして濁点・半濁点、、さらに無数の「漢字」があります。「形容詞」「形容動詞」「ど「漢字」があります。「形容詞」「形容動詞」「動詞」「助詞」「助動詞」「名詞」など、単語の種類があり、中にはそれが変化するものもあります。生まれながらにして、日本語で育ってきた僕たちには、日本語は特に難しいとは思いませんが、これを外国人が「一から学習する」となると、大変です。それ程、日本語は複雑なのですね。しかも、話し言葉の場合は、「主語」を「省略」したりもします。「以心伝心」の精神・・・単一民族の言葉なのかも知れませんね。僕は、日本語が母国語で「幸せ」です。
人が死ぬのは悲しい。昨年12月末、妻の勤めていた会社の先輩が急死されました。年齢は47~48歳位です。頭が痛いと、その前から言われていて、お風呂から出て、家族が気づいたら、大きなイビキをかいていて、そして、逝去されました。突然の死に家族のショックは計り知れないものだったでしょう。妻も大きなショックを受けていました。僕も、数年ぶりにあったドラマのスタッフと再会して、一ヶ月後に彼が亡くなった経験があります。再会した時は、かつて仕事をしていた時と一緒で、とても元気だったのですが、やはり亡くなる前には「頭が痛い」と言っていたそうです。死因は「クモ膜下出血」。僕より五歳くらい若かったので、僕のショックも大きかったです。昨年は、仕事で御一緒した渡辺文雄さんが亡くなりました。何度も長時間お酒を飲んでいたので、渡辺さんとお話した事、お聞きした事が走馬灯の様によみがえり、滂沱の涙が渡辺さんのお顔を拝見しているうちに溢れてきました。家族の方、僕より長い時間、渡辺さんと仕事を共にした方、心境をお察しします。高校生の時、同級生が自殺しました。その直前に彼は、友達に「自分の好きな漫画本」を配っていたそうです。原因は、「大学受験のプレッシャー」と当時言われましたが、いろんな要素が彼にあの時、降りかかっていたんだと今は思います。「彼の死」を忘れない為、同級生で校舎の前に「植樹」しました。あれから、四半世紀、あの木も大きくなった事でしょう。人はいつか必ず「死」を迎えるものですが、「若い人の死」は身にこたえます。何年かに一回、高校の同窓会名簿が送られて来るのですが、僕はすぐに、自分の同期の最後のページをまず見ます。誰か、「亡くなっている」のではないかととても心配なのです。一日一日を大切に生きていこうと思います。
神戸の妻の実家にいます。今日は、妹家族とJR神戸へ遊びに行く。JRの駅に、「終日OKの喫煙コーナー」そして、ちゃんと「ゴミ箱」がありました。「テロ」という言葉は、関西には縁遠い存在らしい。まずは、神戸駅構内で昼食。それから、「U-PARA」という「総合ゲームセンター」に行く。グァムにはこういうシステムのゲームセンターはあったが、日本では初めて入った。入るのに、一人三時間1500円。ビルの四階、五階のフロアー全体に、ゲームセンター、ボーリング、ビリヤード、卓球、バッティングセンター、サッカーのストラックアウト(「筋肉番付」で出てきたやつ)、ロデオ、魚釣り、マンガ喫茶、マッサージチェア、等等、あらゆる「遊びのアイテム」が1500円で、三時間楽しめる。足湯をしながら、テレビを見るコーナーもある。僕と妻は年末年始の疲れで、二時間くらい、イスに座って足のマッサージをする機械で、疲れを取っていた。夕食はすぐ側のビルの「集合食堂」・・・大阪空港とか、羽田空港にある、周りにいろんな飲食店があり、セルフサービスで、料理をテーブルまで運び、食べた後は、その店まで戻すというシステムだ。人件費削減で、安い。空港以外で、こういう形態の食堂を見たのはこれも初めて。ラーメンが399円、ちゃんぽんが315円。どちらも税込みなのだ。これは合理的なシステムで、東京の街にも作って欲しい。僕の知らないところにあるのかもしれないが。
僕は土曜日に、肩こりがひどく(メガネが合っていなかった)、自宅の最寄駅から五駅目の近くの鍼灸医院に通っていた時期がありました。結構、待ち時間がある時は、歩いてすぐの「吉野家」に昼飯を食べに行っていました。店内は大概、男性の一人客。さっとと注文し、ザザッと食べ、お金を置いて出ていくという、とても回転率の早いのが「吉野家」の特徴。ある時、僕の横に、女性が一人で入ってきて、「牛丼・並盛り・ツユダク」と、来慣れた感じで、注文するのです。ふつうの女子大生風の女性です。女性が一人で、「吉野家」に通いつめているという事だけで、いろいろ想像が膨らみます。「吉野家」や「回転寿司」は、一人で食事(特に晩御飯)をする時、僕など男性が入る店だという先入観があったから、驚いたのかもしれません。全然、話が飛びますが、僕が一人旅で、バリ島に行った時、ほとんどが、新婚さんなどのカップルか、女性の二人連れでした。帰国後、「それはどう見ても、変態におもわれるで」と周りから言われましたが、何故、カップルと女性の二人連れが許されて、男一人だと、「変態」と思われるのでしょう。電車の「女性専用車両」に通じるものがあるのかも。「ツユダクの女性」は、どんな人生を送っているのでしょう?ほっとけって・・・そうですね、ひとの人生ですから。
高杉晋作が亡くなった時の事を書きます。彼は「結核」でした。その死に立ち会ったのは、彼の妻ではなく、「愛人」の望東尼と言われています。彼女は晋作の死後、門司に渡り、そこで一生を終えたという事です。たった、二人。
晋作は、歌を詠みます。「おもしろきことも無き世をおもしろく」と彼が言うと、望東尼は、続けて「棲みなすものは心なりけり」と詠いました。こういう一人が「上」の歌を言い、別の人が「下」の歌を考えて詠う遊びがこの時代、流行っていたのですね。この歌の意味は、次の通りです。「面白く無い世の中を面白く生きていくのは、その人の心の持ちようだ」という事です。この望東尼の「下」の歌を聞いて、高杉晋作は、「面白いのお」と言って、亡くなったという事です。僕がこのエピソードを知ったのは、司馬遼太郎の「世に棲む日々」(文春文庫)ですが、山田風太郎の名著『人間臨終図鑑』にも載っています。この本は、死んだ年が若い順に、死んだ時の様子を克明に記した本で、夏目雅子も載っていれば、徳川家康も載っているという、不思議な本です。徳間文庫から出ています。僕はこの高杉晋作の辞世の歌が好きで、結婚式の色紙にもよく書きます。この歌は、現代でも「生きています」よね。
晋作は、歌を詠みます。「おもしろきことも無き世をおもしろく」と彼が言うと、望東尼は、続けて「棲みなすものは心なりけり」と詠いました。こういう一人が「上」の歌を言い、別の人が「下」の歌を考えて詠う遊びがこの時代、流行っていたのですね。この歌の意味は、次の通りです。「面白く無い世の中を面白く生きていくのは、その人の心の持ちようだ」という事です。この望東尼の「下」の歌を聞いて、高杉晋作は、「面白いのお」と言って、亡くなったという事です。僕がこのエピソードを知ったのは、司馬遼太郎の「世に棲む日々」(文春文庫)ですが、山田風太郎の名著『人間臨終図鑑』にも載っています。この本は、死んだ年が若い順に、死んだ時の様子を克明に記した本で、夏目雅子も載っていれば、徳川家康も載っているという、不思議な本です。徳間文庫から出ています。僕はこの高杉晋作の辞世の歌が好きで、結婚式の色紙にもよく書きます。この歌は、現代でも「生きています」よね。